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2008.05.15 (Thu)

月日は百代の過客にして 行かふ年も又旅人也

今日は父の命日である。
12年前の今日、父は他界した。十三回忌に当たる。
昭和15年11月30日生まれだったから、55歳5ヶ月と15日、覚え易い。
両親の結婚記念日でもあったらしい。

肝臓ガンだった。
そのことを母から知らされたのはその数ヶ月前。それと相前後して、ある研究会でガン告知に関する判決を報告するよう割り当てられた。幹事の先生が父のことを知っていたはずがないので全くの偶然なのだが、「何だかなー」と思った。報告自体は四十九日明けの定例研究会期日だった。当時も今も医事法をやっているとは言えないのだが、そんな事情から思い入れのある仕事になっている。
私であれば告知すべきだと考えただろうが、結局告知しないという母の判断を尊重した。もっとも本人も薄々は感付いていたように思う。

父は洒落にならないほどの大酒飲みだった。
若い頃から好きだったようだが、私が十代の頃は半端ではなかった。祖父が他界してからか。
暴力こそなかったものの、怒鳴り合いはしょちゅうだった。
こちらも中二病だったし。しかし経済的に従属していることは否定できないわけで、そのこともirritationの種だった。にもかかわらず結局大学に残るという選択をしたのは皮肉である。
ただ他方、父の髪に白いものが混じっているのを発見した時には、「親父も老いるんだ」という、ある意味当たり前のことを認識してある種の途惑いのようなものを覚えたことも記憶している。
そんな様子だったから母は我々子供以上に苦労していた。しかし晩年、糖尿病の関係で下肢を失ってからは外を飲み歩くこともなかったから、穏やかな月日だった。そのような時間を持てたことで母も納得しているようだし、それでよいのだと思っている。
自分も酒飲みの遺伝子は継いでいることは自覚しているので、意識的に自重している。

父が他界した時--自分でも奇妙な感覚だと思ったのだが--まず頭に浮かんだのは「逃げたな」という感覚だった。フロイトではないが、男子が父親との対決を通じて自己を確立するのだとすれば、決着が着く前に手の届きようがないところに行かれてしまった、という直感だったのだろう。
人格を構築する十代の頃に範とすべき--あるいは、範とすべきと思った--成人男性が身近にいなかったのは確かであって、現在の自分が大人として、あるいは男子として、ある種の欠落があるとすれば--実際、あるのだろうと思われるし、ジョハリの窓ではないがそこには自分の気付いていない部分もあるだろうと想像するのだが--そういったところに根っこがあるのだろう。ちょっと昔の流行り言葉で言えば「アダルト・チルドレン」といったところか。

しかし何だかんだ言って、結局自分も父に似ているな、あるいは似てきているな、と思うこともある。
父が自分の現在の年齢だった頃には、既に自分も生まれていた。ぼちぼち物心も付き始めてきた頃である。
自分がああだった頃、父はどのようなことを考えていたのだろうかと想像する。そうして、人生の長さと歴史の流れの不可逆性を感得する。ことができるようになってきた。

こうやって人は齢を重ねていくのだろう。
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