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2008.01.06 (Sun)

AALS年次総会・その2・米国ロースクールの国際化

AALS年次総会で議論されていた中身だが、ロースクールを如何に国際化していくか、という意識が強く出ていたのが印象的だった。(自分がそっち系統のセッションを中心に出ていたことを差し引いても。(*1))
しかも、教育のみならず研究においても。
むしろ、「国際化していこう」という前向きな姿勢よりは、「国際化してかないとマズイ」という危機意識といったほうが当たっているかも知れない。


その背景要因ないし原因(としてrecognizeされているファクターとして言葉の内外に染み出しているもの)は、まぁ一言で言えば「グローバライゼーション」なのだが、もうちょっと具体的に整理してみると:

(卒業生たる)弁護士の業務自体の国際化
米国内で外国クライアントの案件を扱うのみならず、外国の事務所に滞在して事件を取り扱うこともありうる(*2)。そういうcross-culturalなシチュエーションにも対応できる人間を育てなければならないのではないか、という意識。
さらにより一般的に、ロースクール教育と業務の現場とのギャップが大きくなっていると認識されており、実務サイドから“即戦力”を求められている、という状況もある。

・米国内の裁判所に出てくる事件でも、国際性を帯びている。
特にWTOの裁定が関係していたり、NAFTA絡みとか。そういったものを米国内の法制度とどう接続していくか。

・特にヨーロッパのカウンターパートが、教育・実務の双方で域内統合を深化させていることとの対比。

・単純に「オレら外国のこと知らな過ぎてヤバクね」という意識。
「日本人とかは意識的に外国情報集めてるよねー」などという発言もあった。


で、具体的に国際化していく局面だが:
・留学生の受け入れという面では既にLL.M.プログラムを中心に各校とも蓄積がある(*3)
それを、大学のassetとしてどう活用していくか、というのが現在の中心的な関心らしい。

・アメリカ人J.D.学生を、外国の大学に送り出す、ということも重要になりつつある模様。

・そのようなフォーマルな人の遣り取りだけではなくて、教育・カリキュラムの中で国際的な事項をどう取り込んでいくか、という問題群。
このようなことを考えるときに、国際法や比較法関連の授業を提供する、というのはまず思いつく。
しかしこちらでむしろより重要だと考えられている(ような)のは、普通の(?)科目、特に1年次の基本科目の中で国際的な話題に触れる、というアプローチ。民訴の授業で国際的な裁判管轄を議論するとか、契約法の授業でCISGとかUNIDROIT契約法原則に触れるとか。

こういう発想は日本にはない。個々の教員が(恐らくは自分の研究とも関連して)個別的なトリビア的に外国法の話をすることは少なからずあるだろうが、システマティックに科目の内容の一部として取り込んでいくということはほとんどなされていないだろう。
しかし、こういったアプローチのほうが効果的なのではないかと思える。(例えば)国際法の体系的な理解のためには別個に科目を立てる必要があろうが、選択科目とする限り、そもそも関心を持った学生しか履修しない。だが、必ずしも関心を持っているわけではない者も、そういった話題への最低限のexposureはあったほうがよいのではないか。むしろ関心がないからこそ、最低限の問題の提示を与える必要があるのではないか。我々は既に好むと好まざるとにかかわらず、既に国際的なものに巻き込まれているのだから。

・教育のみならず、研究においても比較法・外国法研究、やってかないとねー、というのが大きなトピックとして出ていた。
しかし(もちろん個別的な研究はこれまでにもあるけれども)法学研究における主要な研究手法としてはどうしたらいいのか、未だ試行錯誤中、という印象。

この関連の報告をした人と後で少し話をしたのだが、言葉の壁の話題になって、外国法の資料の英語アーカイブを作らなきゃと思ってる、ということを言っていた。
日本はこれまで外国法研究が盛んだったので、独・仏・英・米に関する情報の蓄積があるから、特に東アジア諸国からの留学生は日本語を勉強すればこれらの法域の法情報にもアクセスできる、というメリットがあったわけだが、英語でこれをやられちゃうと負けるなーと思った。


・研究に関連して、国際化とは直接関係ないのだけれども、もう一題。
20世紀前半までは、重要な研究のあり方として、数巻本のtreatiseを書くというのがあった。Corbin on Contractsとか、Bogerd on Trustsとか。
が、ここ数十年はそういうのがあまり出てないじゃないか、と(*4)
言われてみれば確かにそうだな、と。
ただ、リステイトメントなんかがそういう「大家によるtreatise」の代替なのかな、という気もしないではない。

【More・・・】

*1 あと、AALS自体のリベラルな傾向も差し引くべき。
*2 ローファームの国際的合併などもあるし。
*3 新規参入も多い模様。
*4 Nimmer on Copyrightsとかの知財関係くらい?
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テーマ : アメリカ合衆国 - ジャンル : 政治・経済

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