コモンロー的なるもの?2008-01-11 Fri 18:12
既に1ヵ月半前になってしまったが、
政府=間接部門の効用 | bewaad institute@kasumigaseki政府の機能に関するこちらのエントリだが、これに対するコメント6 「 6. 通りすがり Says:は私が書き込んだ。これに対してbewaad氏より 「20. webmaster Says:と回答された。 この見解には首を捻らないでもなかったものの、人様のブログのコメント欄で本筋とは関係ない話題をするのも適切でないのでこれ以上は追求しなかった。 が、年が明けてから、池田信夫先生のブログで、考え方の方向性としては正反対ながら、共通する認識を持っていると思えるエントリがあったので、併せてコメントしたい。 政府=間接部門の効用 | bewaad institute@kasumigasekiに対して私のコメントの趣旨は、例えば民間団体を組織してそこに「間接部門」機能を担わせる、という選択肢もあるはずなのに(*1)、そのような選択肢の可能性は検討されることもなく、すぐに「監督官庁」が求められる、これはどういうことなのか、という問題設定だった。(*2)私が社会的な問題を考える際にはどうしてもアメリカを参照してしまうので、前記引用回答コメントには見た瞬間はドキリとした。「国会対応やメディア対応等」であれば、例えば学会がそれに当たる、という選択肢もあり得るはずだ。例えばアメリカでは、ロースクールやメディカルスクールの認証はそれぞれ専門家団体であるABAやAMAがやっている。(*2) しかし前記回答はよく考えてみると腑に落ちない。 「一定の機能」を専ら政府に(のみ)委ね(ようとす)るのは何故かという問いに、「英米法系ではなく大陸法国だから」という解答が成立するためには、(少なくとも)二つの命題を経由する必要がある。
1. ここで期待されている機能はマスコミ対応等の社会的説明責任を念頭に置いている。権力的なものではない。これに対して実定法上の(特定的な?)授権を要求するのは、私的自治の原則に反する。(*4) 別の言い方をすれば、ここでの授権は、契約(*5)や法人設立(*6)に関する民事一般法以上のものは必要ない。はずである。 2. コモンローのカバーする領域としてまず思い浮かべるのは、契約や不法行為、財産権といった民事(一般)法の領域になる。アメリカにおいても、公法的な領域において(すなわちある組織が権力作用を営むに際して)、制定法上の授権なく純粋にコモンロー的に対応しているという法分野を、思いつくことができない。(*7) 例えば先にアメリカのロースクールの認証をABAが行っているとしたが、ABA認証ロースクールに行けば司法試験受験資格が得られるのは、州制定法がそのように規定しているからである。(*8)(*9) そうだとすると、英米では先に団体的活動が生じてそれを判例法が承認する、というようなイメージは描けない。 以上より、「一定の機能」を専ら政府に委ねるのは「英米法系ではなく大陸法国だから」だとは言い難い。 むしろ答えは、より特殊日本的な事情に求められねばならないだろう。それが何かを特定することは現時点では困難だが。国民性論、政治文化、官僚文化、ビジネスの体質、メディアの傾向、様々な可能性が考えられる。 自由な社会のルール - 池田信夫 blog に対して自由な社会のルール - 池田信夫 blog 「「各自が利己的に考えて行動」すると無政府状態になるから、法律でしばらなければだめだ、という発想をハイエクはテシス(人工的秩序)と呼び、これに対して各自の意思によって進化的に形成される秩序をノモス(自生的秩序)と呼んだ。後者のうちもっとも重要なのは暗黙の社会的規範であり、それを裁判によって明文化したものが判例であり、それを立法化したものがコモンローである。 「社会的規範」と「実定法主義」ここでは、好ましい規範として「社会的規範」を同定することができ、そしてコモンローにおいてはそれが採用される、と想定されている。しかし大陸法国ではそうではない、と。しかし、好ましい規範が同定可能なのであれば、それは如何なる立法回路を通じてでも採用可能なはずである。大陸法型立法過程であっても社会的規範とパラレルな立法をなすことは可能なはずである。従って、ここでの問題はコモンローか大陸法かということではない。 確かに官僚機構に起案を委ねると自らに有利な立法をするインセンティヴがある、とは言える。しかしこれは日本型官僚制の問題であって、日本が大陸法国だからではない。 自生的秩序についてこの点は、ハイエクの自生的秩序の解釈にもかかわる。(*10)この概念の意義については
そして、ハイエクは、前者は必ずしも必須のものとはしていない、との指摘がある(*11)。「市場の積極的導入」という旧社会主義国で多く見られた現象は、後者では正当化できるが前者では正当化できない。 他方、コモンロー云々というのは前者に関係するテーゼのはずである。 アメリカの場合とりあえず私はアメリカしか勉強していないが、アメリカ法がビジネスにとって好ましい環境を(常に)提供しているかについても留保が必要だろう(*12)。池田先生も、前記引用エントリの終わりではSOX法の経験を挙げ、否定的に評価している。もっとも、SOX法は議会制定法であって、コモンローではないから問題が生じたのだ、と言えなくもないかも知れない。それではコモンロー上のルール下では望ましいビジネス環境は実現するであろうか。 そうではない例を二つ挙げる。 第一は信託法上の受託者の義務についてである。 伝統的な信託法においては、信託財産の価値を毀損しないために、受託者を監督する広範な権限を裁判所が有し、受託者の行為を制約するルールも様々なものがあった。これは、土地が主要な信託財産であり、その価値の維持が重視された環境下では適合的であったかも知れない。 しかし、現在においては株式を初めとする金融資産が信託財産の重要な部分を占めている。そのような環境下では、単にこうした資産を保持しているだけでは不十分で、むしろ積極的な運用が図られねばならず、そのためには専門的知識を持った受託者が裁量的に行動する必要がある。こうして、第3次リステイトメントにせよ、統一信託法典(Uniform Trust Code)にせよ、近時の信託法改革は判例法の展開とは別の回路で受託者の裁量を広げている。 第二は日本人にも馴染みの深い製造物責任の分野である。 製造物責任(製造物に欠陥の存すること自体を責任原因とする民事責任)は、その法形式には幾つかのものがあり得るが、いずれにせよ1960?70年代のその展開は判例法主導であった。 コモンローはビジネスに敵対的に展開したのである。 これに対するビジネス側の対抗策は幾つかあるが、その一つは連邦安全規制への依拠であった。連邦制の問題もあるので一筋縄ではいかないが、連邦行政庁の策定する製品等の安全基準(これ自体、議会制定法の授権に基づく)を遵守していることを根拠に州不法行為法上の責任が排除されることを主張した。細かい解釈論に依存するので結論はsporadicだが、90年代以降、この主張が認容される例が目立ってきたのは確かである(*13)。さらに、ビジネス側のほうがこうした効果を狙って連邦規制を求めてロビイングしているとの報告もある(*14)。 また、アメリカにおいても行政庁(*15)は、規則制定権限、執行権限、一定程度の裁定権限を併せ持っていることも指摘しておく。 まとめすなわち、いずれも大陸法vsコモンローという枠組で問題を把握した上で、bewaad氏は日本は大陸法だから仕方ない、池田先生は大陸法だからけしからん、という評価を下すわけだが、私の疑問は、そもそもそれは大陸法vsコモンローという対抗軸の問題なのか、ということになる。仮に大陸法の問題だとすれば、大陸法系の本家であるドイツやフランスでも同様の現象が観察されなければならないことになる。あるいは(少なくとも国家法の部分に限定すれば)世界的には英米法系諸国よりも大陸法系諸国のほうが優勢なのであって、そうした国々でも同様の現象が観察されなければならないことになる。 しかし、両氏とも、特殊日本的な問題を念頭に置いて議論をしている。そうだとすれば、「大陸法だから」という診断は、背景要素の一つとしてカウントすることは可能かもしれないが、直截的な原因とは言い難いように思える。より日本特殊な要因を探ったほうが、原因を探究する際にも、処方箋を書く段でも、より有効性が高いのではなかろうか(*16)。 【関連】 規制を求める業界 *1 あるいは、「間接部門」サービスを提供するビジネスの登場も考えられる。例えば前記引用エントリ本文では耐震偽装の例が挙げられているが、私見では、マンションの耐震性・安全性というのは所有者に帰属する財である以上、単純な民民の瑕疵担保・品質保証という問題、もし売主を信用しきれないand/or売主も自らの商品の性能を客観的に証明したいということであれば、「マンションの安全性認証ビジネス」といったものの発展を期待できるはず。(細かい実現可能性の問題は置いておく。)何故そうならないのか、という問い。 *2 しかも、さしあたりは「国民が」というつもりだったが、「官庁が」と読み替えてもらっても構わない。両者は一応独立に検討し得るが、“共犯関係”にあるのは前記引用エントリ本文にもある通り。 *3 やや不正確な記述なので注意。 *4 芸能人が取材陣に対して「事務所を通して」と言うのとどう違うのか? *5 「クライアントが一定の報告義務を果たす限り、一定の案件について第三者に対して広報対応する」という契約。 *6 学会のようなものであれば法人格なき社団ないし社団法人となろう。会社組織も考えられよう。目的次第でincorprationの態様が異なる日本の法人法は煩雑に思える。 *7 無論、制定法上の授権が幅広く、詳細は行政庁の運用と判例法に委ねられている場合は大いにある。 *8 但し、多くの州で裁判所規則の形でルールは供給されている。 *9 例えばニューヨーク州の場合、see NY CLS Ct of App § 520.3(b)(2) ("Approved Law School Defined. An approved law school for purposes of these rules is one ... (2) which is approved by the American Bar Association."). *10 この箇所は、私のオリジナルのアイディアではなく、学部時代の授業及び後述学会報告に基づくことを注記しておく。恐らくは他の研究者も既に指摘しているのだろうと思うが、私の守備範囲外なので確認できていない。 *11 鳥澤円「オーストラリア学派の制度観」(2005年度法と経済学会報告、2005年7月17日、於北海道大学)available at http://www.jlea.jp/05kougai3.pdf. この理解は池田先生も共有していると了解している。日本の政治はなぜ「変化」できないのか - 池田信夫 blog参照。 *12 もっとも、ビジネス環境の構築は唯一の政策目的ではない以上、このことは必ずしも否定的には評価されない。競合する諸価値においてどのような優先順位ないし組み合わせで実現するかは政治的判断の領域である。願わくばそれがlow politicsではなくhigh politicsであらんことを! *13 See, e.g., Geier v. Am. Honda Motor Co., Inc., 529 U.S. 861 (2000). *14 In Turnaround, Industries Seek U.S. Regulations - New York Times*15 但し、日本語の「行政法」がアメリカ英語の"administrative law"に対応するかは厄介だが。 *16 コモンローvs大陸法という枠組に問題の淵源を求めてしまうと、日本の現状に問題があるとしてもその改革はほとんど不可能ということにもなりかねない。コモンロー的なものを導入しなければならないとすれば、明治維新からやり直さねばならないだろう。 |
この記事のトラックバック
例によって調べ(られ)ないまま書く。
中山先生がフェアユースを導入する考えを固めた、らしいとのことだが(*1)。
立法技術的に云々 - 雑... …
2008-08-03 Sun 16:13 アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
渡米直前に頂いたので、そのまま荷物に入れて飛行機の中で読んだ。
一読して、個々の記述に特に異論があるわけではないものの、どうも腑に落... …
2008-03-20 Thu 14:16 アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
最高裁長官による連邦司法部に関する年次報告書(原文)、裁判官の給料の話はほとんど年中行事になっている(笑)
まぁ、トップが司法部を代表... …
2008-03-01 Sat 16:20 アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
|
この記事のコメント |
コメントの投稿 |
|
|
|
| HOME |
|




