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2008.10.18 (Sat)

空を飛ぶ欲望

とある評論サイトで紹介されていた小説、先月一時帰国した際に入手して、送ってもらう荷物の中に入れてあった。
当の荷物が届き、飯を食べに出るお供に持ち出し、食べ終わったところで半分くらい読んでいたのだがコーヒーを飲む口実で読み続け…結局一気読みしてしまった! 火急の仕事があるというのにorz
『とある飛空士への追憶』
一応、ネタバレ回避のため改頁。

【More・・・】

一気読みしてしまったという時点で、推薦に違わぬ高評価をしていることは了解されるだろう。
故に以下にうだうだ書くのは、こうすればもっとチューンアップ、ブラッシュアップできたのではないかの旨、ということになる。


300頁強の文庫本1冊ということで分量的には手頃といえるのだが、そのためかやや説明不足に感じられる部分もないではない。
  • シャルルの行動の説明として、他の飛空士や皇国(軍)への義理・忠誠・連帯が参照されているわけだが、そうだとすれば序盤の基地での生活や通常の軍事行動についてもっと紙幅が割かれてよいのではないか。(*1)
  • 千々石との因縁ももっと膨らませることができただろう。特に、シャルルの飛空士としての初シーンが撃墜シーンというのは、彼がエース・パイロットであることを印象付けない方向で働く。その後の描写との整合性という意味で若干混乱がある。
こうした点を書き込んでいくとすれば、分量的には1.5倍くらい、上・下巻2冊構成くらい、か。

しかし他方、本作の魅力の一つが(一気に読ませるという部分にも通じる)疾走感にある以上、あまり長くなり過ぎてしまうのも考え物で、その意味では書き込み過ぎないという作者の決断も了解できる。
だが、そういう観点から眺めると、逆にやや冗長な部分もあるのではないか、もっと削り込めたのではないかという気もする。例えば、序盤の家庭教師視点の叙述はまるまる削れるだろう。

この方向性をさらに徹底すれば、視点をファナに固定してしまうという戦略もあり得ただろう。本作は叙述の視点を特定のキャラに固定することはせず、主人公であるシャルルとファナはもちろん、脇役視点の描写もその都度飛び込んでくる(*2)
これに対し、専らファナ視点で叙述を押し進め、、シャルルについては完全に客観キャラにしてしまうという書き方も可能であろう。これにより、シャルルのコンテクストに関する描写の不足はむしろプラスに転じる。他方、このアプローチは空戦シーンの描写にはマイナスかも知れない。(*3)


この、キャラクターを並立的に描写してい文体は、アニメ的でもある(*4)
そして、この作品の魅力が蒼穹の深さ、雲海を跳ねる躍動感、空戦の疾走感にあるのだとすれば、それはアニメで観てみたい気もする。OVAで3~4巻くらいか。
  1. 発端~発令~出発~第1日
  2. 第2日~大瀑布越え
  3. “南の島編”
  4. ファイナル・バトル~フィナーレ
3巻構成だと、大瀑布越え~“南の島編”をまとめる感じか。でも“南の島編”がBパートのみというのは物足りないな。ここはじっくり描きたい。
ただ、映像化しちゃうとラスト・シーンがありがちなチープなものにならないかというのはちょっと心配ではある。これは制作者のセンスと腕を信用するより他ないが。劇場版の画面サイズなら迫力ある絵作りができそうだな…それいいな。尺的にもちょうどいい。劇場版アニメ化、観たいな。まだ誰も動いていないのか?オレが業界の人間なら今すぐ企画書出すぞ…

アニメ化するとすれば誰が、というのもある。
  1. 新海誠氏で
  2. 『最終兵器彼女』のスタッフで
  3. 『ラスト・エグザイル』のスタッフで
  4. 『戦闘妖精雪風』のスタッフで
上へ行くほど悲恋度が、下へ行くほどアクション度が高まる、など。

こうなると声も妄想。
自分的にはシャルルは朴ロ美氏、というか要はロランだな。実力はあるが朴訥で些か不器用な辺り。
ファナは、「玻璃の中」、デレ期、后妃(予定)と演じ分けなければならないから実力のある役者で。それをあまりクセのない、アニメ声っぽくない声で聞きたい…川澄綾子氏辺りだろうか。桑島法子氏というのもあるかも知れない。(*5)(*6)
*1 シャルル自身の空を飛ぶ動機が「空の上では身分は関係ないから」にあるのだとすれば、「ファナとともにどこまでも飛び続ける」という選択をするはずだ。(しかしドラマツルギーとしてはカタルシスが足りない。悲恋は悲恋であるからこそ美しい。)他の理由で説明するにしても同様である。
*2 視点を切り替える際に構成上の手当を施す(例えば節を改めるといった)こともなされていない。
*3 ロジカルにはシャルルのほうを視点キャラに据えるという選択肢もある。だが、この冒険によってより大きな人生の転換を経験するのはファナの側である以上、そちらを視点キャラとしてほうが適切であろう。
*4 アニメ(に限らず画像情報を主とする媒体)においては、(極めて強い意味で原則的に)キャラクターたちの外部に“カメラ”を設定せざるを得ず、故にキャラクターは並列的に描かれざるを得ない。
連続的に描写の視点を切り替えていく文体もカットインを多用する手法のフィルム作りに通じるだろう。
*5 もっと最近の人はよく知らない…

*6 ちょっとこれはいささか揚げ足取り気味のツッコミになるのだが;
本作の世界設定の全て--大洋に挟まれた東西の大陸と国家、大瀑布、身分社会、戦争--が、海上12000キロ(*6a)単機敵中翔破という縦糸を支えるために設定されている。
テクノロジー・レベルも大体第二次世界大戦時が想定されていて、確かに個人の技倆と英雄的行為に戦況が決定的に依存する状況というのは第二次大戦中葉の空戦までだろう(*6b)(*6c)。オーバーテクノロジーといえば水素電池くらいだが、これも(外部からの)無補給飛行というドラマを支えるためにある。

ところで、
で、アクションとかに関心のある作家さんだと、こういうメカメカしいギミックについて行き届いた配慮がなされるのだが、もっと“柔らかい”要素については見落とされてしまう場合がある。
本作中盤のキー・アイテムに「水着」がある。そしてこれは「ビキニ」であると作中明言されている。
同様の水浴用服装はローマ時代からあったとのことだが、我々が知る近代的なものが普及したのは1960年代に入ってからである、ということを知っていると、「第2次大戦当時のテクノロジー」の世界に「ビキニ・スタイルの水着」は些か唐突に思えてしまった。考案されたのは1946年だからオーバーテクノロジーというほどではないのだが。(*6d)
…ってそもそも何でそんな知識を持っているんだ?というのが問題なのだが(爆) きっとそんな読者のほうが間違っているのだろう。

*6a リンドバーグの大西洋横断(5810km)の2倍強、という数字は意識されているだろう。12000kmはマイルに換算して7500マイル。成田-ホノルルが3800マイル強だからその約2倍で、ほぼ太平洋横断(成田-メキシコ・シティが11246km、成田-リマが15423km)。成田-ロンドン/パリが6200マイル前後、成田-アメリカ東海岸が6700マイル台なのでそれより少し長い辺りか。
*6b これより後だと、組織と物量とテクノロジーの要素が圧倒的に重要になる。実際、千々石は帝政天ツ上の戦術規範(=組織の論理ないしソフト面でのテクノロジー)逸脱する形でラスト・バトルに臨むのである。
*6d だからこそ『ストライクウィッチーズ』などでも参照されるのだ。
*6c さらに言うと、肌の露出に関する「恥ずかしさ」の感覚というのも社会的に構築されたものであるから、服飾の普及を含む背景となる社会事情によって、我々(21世紀初頭の日本人)とは容易に異なってき得る。例えば、戦前の華族はお手伝いさんが着替えを手伝うのが普通だったから他人に肌を曝すことに拘りがなかった、とどこかで読んだ。というか現代先進国の間でもアメリカ人とは感覚違うなーと思うし(笑) …ということを意識的に書いている作家って、意外と少ないよね。
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テーマ : ライトノベル - ジャンル : 小説・文学

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