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2008.08.20 (Wed)

【陪審】市民による量刑【裁判員】

予め断っておけば、自分は裁判員制度には賛成でも反対でもない。
反対論には与しないが、是非推進すべきという魅力も見えない。
ただ、アメリカの陪審制度は多少なりともウォッチしているので、その限りでは議論に貢献できる部分もある、かも知れない。
が、自分自身の態度が前述の通りなので、頑張って論を張ろうという気もなかなか起きないし、このブログでもこれまであまり触れてこなかった。今後もそうだろう。


ここでは一点のみ、記しておく。
裁判員制度が刑事司法を崩壊させる:NBonline(日経ビジネス オンライン)
「事件ごとに選挙人名簿から無作為で選ばれる裁判員と職業裁判官からなる合議体が、事実認定だけではなく、死刑を含む量刑判断まで行うという、世にも稀な国民の司法参加の制度」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20080819/168233/?P=3
アメリカの陪審制度が一般に罪責の認定のみを行い、量刑は裁判官の職掌、というのは基本的にはその通りである。
しかし、重大な但し書きを付す必要があると理解していて:
少数ではあるが、陪審が量刑を行う州もある。但し、少数だからこれはスルーしてもよいかも知れない。

より重大な留保として、2000年のApprendi判決を嚆矢とする連邦最高裁の一連の判例法(*1)は、量刑判断にかかわる事情につき、陪審の判断対象とする範囲を拡大していることである。すなわち、量刑を重くするための事情が陪審によって認定されていない場合、当該刑の宣告は陪審審理の機会を奪ったものとして違憲な手続となる。
特に、2003年のRing判決は、事実上、死刑を科すかどうかは陪審が決定しなければならない、という効果を持つ。(*2)

従って、非専門家が量刑に関わること、特に死刑判断を為すことを、「外国だってそんなことをしていない」と裁判員制度批判の論拠として使うことは適切ではない、と考えている。(*3)

【More・・・】

*1 Apprendi v. New Jersey, 530 U.S. 466, 120 S. Ct. 2348 (2000) (法定刑の上限を引き上げる事実は陪審によって認定されなければならない(ヘイトクライム(hate crime)の事例。"Other than the fact of a prior conviction, any fact that increases the penalty for a crime beyond the prescribed statutory maximum must be submitted to a jury, and proved beyond a reasonable doubt. ");
Ring v. Arizona, 536 U.S. 584, 122 S. Ct. 2428 (2002) (死刑にするために認定されなければならない加重事由を裁判官が認定する死刑制度は違憲);
Blakely v. Washington, 542 U.S. 296, 124 S. Ct. 2531 (2004) (ワシントン州量刑ガイドラインに基づいて、陪審によって認定されていない事情に基づいて加重された刑期の宣告は違憲);
United States v. Booker, 543 U.S. 220, 125 S. Ct. 738 (2005) (連邦量刑ガイドラインを一部違憲無効・合憲限定解釈;ガイドラインは勧告的なものに過ぎず、裁判官を拘束しない).
Cf. Harris v. United States, 536 U.S. 545, 122 S. Ct. 2406 (2002) (法定刑の下限を引き上げる事実については陪審による認定は要求されない(薬物(drug)規制の事例)).
*2 この"Apprendi and its pregeny"というのはかなり重要な動きなのだが、断片的な判例紹介はともかく、流れ全体をまとまった形で整理した上で現場への影響まで記述したものは日本語ではないかも知れない。(確認し切れていない。)従って、日本の論者がアメリカを参照する場合でもこの動きが考慮に入っていないのは仕方がない面もあるのだが、いずれにせよ陪審の判断対象の範囲に関しては2000年以前に書かれたものに依拠するには注意を要する。
*3 無論、外国がどうなっているかとは独立に、別個の考慮から批判することはあり得るだろう。特に、法定刑が広い範囲で判断者の裁量(!)に委ねられている日本の刑事法規の作りに対して、アメリカにおける量刑ガイドライン制度、死刑制度における二段階審理・指針つき裁量制といったコンテクストの違いも押さえねばならない。
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