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2008.06.26 (Thu)

D.C.の銃規制は違憲

D.C.といっても桜が咲き続けている島のことではなく、District of Columbia。
コロンビア特別区(首都ワシントン)の銃所持規制法につき、連邦最高裁は違憲判断。
District of Columbia v. Heller, 2008 U.S. LEXIS 5268 (No. 07–290, June 26, 2008)
available at
http://www.supremecourtus.gov/opinions/07pdf/07-290.pdf
5:4、法廷意見はScalia。
判旨:
  1. 第2修正は個人が銃を保持する権利を保障している。
  2. この権利は無制約ではなく、伝統的に行われてきた規制を撤廃するものではない。
  3. 本件D.C.の規制は違憲な規制に当たる。
中身はこれから読みます。
長くなったので要約の一部を削りました。単純な削除ではなくコメントアウトしただけですので、ソースには残っています。
一晩でアップしたかったけれどもダメだったなぁ(汗)
【2008/06/27 23:44追記】
"A well regulated Militia, being necessary to the security of a free State, the right of the people to keep and bear Arms, shall not be infringed."
U.S. Const. amend. II
available at http://www.law.cornell.edu/constitution/constitution.billofrights.html#amendmentii

【事案】

D.C.法は拳銃の所持を原則として禁止している。
未登録の銃器の携帯は禁止され、拳銃の登録は認められていない。
また、一般に拳銃の携帯は禁止されるが、警察は期限1年の携帯許可を発することができる。
合法に所持している銃については、分解するか、弾丸を抜き取るか、トリガーロック等を施して保管しなければならない。

Hellerは警察官であり勤務中の拳銃の携帯を認められていた。自宅での銃の保持を求めて許可を申請したが拒否された。
そこでHellerは、第2修正に基づいてこれらの執行を差し止めを求めて出訴した。

【法廷意見】

Scalia執筆。Roberts、Kennedy、Thomas、Alito同調。

第2修正の前段(*1)は後段(*2)の目的を示すが、限定はしていない。

独立期の理解に照らした後段の文言解釈によれば、
  • "the Right of the People":個人の権利であることを示す。
  • "Arms":武器一般を指し、軍事上の兵器に限定されない。
  • "bear Arms":武器の携帯一般ではなく、暴力的対決のために武器を携帯することを指す。しかし民兵としての組織的活動に限定されるものではない。
中世以来のイギリス、及び植民地時代のアメリカの経験に照らすと、武器を保有することは個人の権利として独立以前から認識されてきたし、後段はそのような権利を保障している。(II.A.1)

前段の
  • "Militia":全ての壮健で武器を帯びることのできる男性を指す。
  • "State":「州」の意味に限定されない。

前段は目的を示すが、唯一の目的として後段を限定するものではない。独立期においてはむしろ、自衛や狩猟の目的が重要であった。
第2修正を民兵としての活動に関するものとしてのみ読むことは、連邦議会が民兵を規律する権能を保持している以上、背理である。(II.A.2, 3)

同時期に採択された州憲法、その後の注釈、判例法もこの解釈を支持する。
奴隷解放運動に関連して自衛のための武装の権利が説かれ、南北戦争後も黒人に対する武器の保持の禁止が問題として意識されていた。(II.B, D)

連邦最高裁の関連判決も個人の権利としての理解に反するものではない。反対意見の依拠するMiller判決(*3)も専ら規制される武器の種類に依拠した判断であり、民兵に関連した活動か否かは関係ない。(II.E)

個人の権利としての武器を保持する権利は無制約ではない。 本判決は第2修正の保障の範囲を検討するものではないが、武器を隠し持つことの規制、犯罪者や精神障害者による、あるいは(学校や政府庁舎等)sensitiveな場所における火器の所持の禁止、火器の取引における条件等の規制といった、伝統的な規制に疑問を投げかけるものではない。

第2修正の保護が及ぶのは、「その時代における一般的な(common use at the time)(*4)武器に限られ、「危険で異常な武器(dangerous and unusual weapons)」には及ばない。
現代戦において主要な兵器の禁止が認められるとすれば、前段と後段の乖離が生じることになるかも知れないが、このことが権利についての解釈を変じることはない。(III)

自衛の権利が第2修正の中核にはあり、アメリカにおいて広く好まれている拳銃という武器を自宅に所持し、自宅と家族の防衛のために使用することを禁じることは、審査基準の如何にかかわらず合憲とはなり得ない。
本件D.C.法ほど厳格な規制は歴史的にも他にない。D.C.側は他の武器は認められているとするが、拳銃は自衛の武器としてアメリカ人の最も好むものであり、これを完全に禁じることはできない。

本件D.C.法が保管中の銃を使用不可能にするよう求めている点についても、自衛に使用できないとするものだから違憲である。
控訴審は許可制度については無効としなかった。Hellerに対して許可が与えられれば救済としては十分であるから、許可制度については検討しない。(IV)

【Stevens反対意見】

Souter、Ginsberg、Breyer同調。

独立期の人々の関心は民兵制度にあった。
自衛や狩猟といった他の目的が第2修正にはないことは、同時期の州憲法には含まれていることと対照を為す。第2修正前段は後段の意味を画する。"[O]f the people"の文言は民兵以外のコンテクストに権利を拡大するものではない。(I, II)

イギリスの権利章典はアメリカ建国者のそれとは異なる関心の下で採択されたものだし、民兵に関連付ける限定句はない。
第2修正採択後の注釈は、関係ないか、むしろ民兵論を支持する。
南北戦争後の立法は限定された重要性しか持たないし、また(黒人)民兵の武装解除の問題を取り扱っていた。(III)

独立期の制定法によれば、武器の保持はむしろ義務であった。
19世紀の先例(*5)によれば、第2修正は武器を保持する権利など与えておらず、禁止の名宛人も連邦議会である。
20世紀に入ってからの銃規制立法も特段の反対も受けずに成立している。銃規制に対して第2修正に基づいた無効主張ができないことは、確立しており異論なきものであった。
Miller判決は民兵と非民兵の区別に基づいて下されたものだし、そこでは本件で法廷意見が検討した資料が既に検討済みである。(IV)

法廷意見はテクストと歴史に基づかず、確立した了解を覆して新たな権利を宣明し、立法者が利用可能な政策の選択肢を奪っている。(V)

【Breyer反対意見】

Stevens、Souter、Ginsberg同調。(*6)

自宅での自衛目的も含め、銃規制は植民地時代からなされてきた。(II)

原告の主張する厳格審査を法廷意見は採用していない。また銃規制に関連した政府の利益は市民の生命と安全等のやむにやまれぬ利益であるから、理論上の厳格審査基準の採用であっても、実践的には規制がもたらす負担についての利益のバランスを審査することになる。かかる利益のバランシング審査を採用すべきであるし、そうした先例もある。この場合、一般に立法部の判断を尊重すべきであるが、最終的な判断は裁判所が下す。(III)

免許要件については判断しない。
保管条件規制については自衛の例外を認め得るので、よって憲法判断を回避すべきである。法廷意見は植民地期の規制については黙示の自衛の例外を読み込みながら、本件D.C.法についてはそうしていない。(IV)

登録要件については、まず本件規制採択当時及び現在の状況に照らすと、D.C.政府が対応しようとしている銃による重大な被害という問題の存在が認められるし、かかる規制は効果的ではないとの原告らの指摘についてはそうした政策決定は立法部の持つ立法裁量に委ねられる。(IV.A)
第2修正の目的の内、規律ある民兵の確保、狩猟等のレクリエーションについては、本件規制によって特に影響を受けない。(IV.A.1, 2)
自衛目的については影響を及ぼすといえるが、政府目的達成のための他の手段はなく、また不均衡な負担とまではいえない。目的に合致した規制であるし、そもそも自衛目的というのは二次的な目的である。独立期のフロンティアと現代の都市とでは生活のあり方が異なる。独立期当時も都市では規制があったし、当時は拳銃はポピュラーな武器ではなかった。明確な基準の不在は訴訟を招く。(IV.A.3~D)

法廷意見の議論は根拠が薄弱だし、現代への適用としても不適切である。(V)

【若干のコメント】

・裁判官の顔触れからして、武器保持を個人の権利として認めた上で、規制の余地を広めに残す、という辺りが落とし所だろうと思われたが、ほぼそれに沿った判断だといえる。

それでは解釈論としてはどうかと問えば、文言解釈という点ではStevens反対意見のほうが説得的なように読むが、前後の歴史の流れへの定位という点では法廷意見のほうが迫力がある。
第2修正前段自体が何だかよく分からない条項で、同様のものは他にあまり見当たらない。法廷意見はこれを実質的に空文化してしまったわけだが、それを言えばStevens反対意見のほうも(現代のコンテクストに照らすと)第2修正全体を空文化する解釈なわけで、そういう意味ではいずれも五十歩百歩ではある。(*7)

・解釈の態度に捻れがある。
普段、憲法の原意を強調する側が19世紀における理解を強調する。
他方、"living constitution"の考え方を持つ裁判官が専ら独立期に焦点を合わせ、その後の展開を重視しない。"living constitution"の考え方を一貫させるのならば、仮に採択当初は個人の権利としては認められていなかったとしても、その後の歴史によってそのように理解されるように至った、とする可能性が開かれるのではないのか。そうしないのは何故なのか。

・他方、法廷意見における歴史への依拠の仕方も、ちょっとどうなのか、という感もある。
そもそも、裁判所がその権威を以てこのような形で歴史を書くこと自体(*8)が、ある種、公定の歴史を書く、という営為に見える。それは如何なものか。他の歴史の見方は如何なる地位に立つのか。もっと慎重であっていいのではないか。(*9)

・より具体的な歴史の見方について。
法廷意見は歴史の検討の分析を権利章典から始めるわけだが、そこではチャールズ2世、ジェームズ2世による政敵の追い落としが主たる関心であった。ここでは、封建的自由人vs絶対王政型王権、中世vs近世という対抗が主題である。
アメリカ独立期においては、少数派が牛耳る連邦政府の常備軍による人民の抑圧を民兵組織が牽制する、という構図が想定された。ここでは、執行権=常備軍(傭兵を含む)vs国民一般の軍事動員・国民軍の創設、近世vs近代という対抗が主題である。
そして、(フロンティアを含む)領域vs現代型都市、顔の見える地域社会vs隣人とは会ったこともないマンション、近代vs現代という対抗。

法廷意見の歴史描写は確かに迫力があるのだが、それぞれのエピソードの間にはズレがあるのではないか、中世-近世-近代-現代という位相の差を、本当に法廷意見のように一貫したものとして描写することができるのか、疑問が残らざるを得ない。

・英国権利章典を議論の出発点とすることは、ある種のアイロニーを帰結する。
英国権利章典の関心は、王権が反抗的な政敵を武装解除することを防ぐことにあった。ここでは危険は王権からやってくる。
他方、本判決は自衛のために武器を保持する権利を認めたわけだが、この場合、自衛の対象たる危機はどこか他からやってくる。犯罪者かも知れないし、野生動物かも知れないし、独立期であれば先住民かも知れないし、外敵かも知れない。

英国権利章典的コンセプトに従えば、執行権に抗する者こそが、武装の権利を認められるべき中核ということになる。そうだとすれば、最も強く権利を保障されるべきは合衆国政府に敵対するテロリスト、ということになるのではないか!?(抵抗権!)
第2修正の権利の保護は"law-abiding, responsible citizens"にのみ及ぶとされているが、このコンセプトからすると背理なのではないか?(*10)

・独立期のフロンティアの状況を想定していた第2修正が、現代の都市的生活に適合し得るのか、という疑問はBreyerも提出している。
この緊張は法廷意見も認識していないものではない。意見の末尾では
"We are aware of the problem of handgun violence in this country, and we take seriously the concerns raised by the many amici who believe that prohibition of handgun ownership is a solution... Undoubtedly some think that the Second Amendment is outmoded in a society where our standing army is the pride of our Nation, where well-trained police forces provide personal security, and where gun violence is a serious problem. That is perhaps debatable, but what is not debatable is that it is not the role of this Court to pronounce the Second Amendment extinct."
としている。

かつて連邦議会がD.C.に適用される法を直接に立法していた頃は、地方部出身の議員の賛成が得られず銃規制法が通らなかった。D.C.が立法の自立性を確立してまず行った作業の一つが本件立法であった。にもかかわらず、という皮肉。都市と領域との相互理解の困難。

しかしこの点、Breyerの批判も弱い。一方で前述のように指摘しながら、他方で「独立期の人々も都市において銃規制をしていた」と論じる。自ら主張を弱めてしまっている。

・法廷意見は、第2修正の保護範囲は無限定ではなく、「合法な目的のために遵法精神ある市民によって典型的に保有された(typically possessed by law-abiding citizens for lawful purposes)」武器にのみ及び、「自宅での自衛のためにアメリカ人の選択する最もポピュラーな武器(the most popular weapon chosen by Americans for self-defense in the home)」を禁止してはならないとする。
これに対してBreyerは「そんなこと言われても分かんないよ!」と批判する。この批判は理解できるが、あまり的を射ていない。
というのも、批判に際しては前提として、これらの判示を機能的な概念として把握しているわけだが、法廷意見においてはそのようなものとしては扱われていない。法廷意見におけるこれらの判示は、機能的なものとしてではなく、実体を伴ったものとして扱われている。このように言われて中身(外延)をぽんとイメージできる者は、法廷意見が腑に落ちる。要するにアメリカ人の銃に対する信仰が告白されているのであり、必ずしも言語化されない、かかる文化的conventionが(密?)輸入されている。
従って、例えばダガーナイフを規制したとしても恐らくは合憲とされるであろう。

・上訴が取り上げられた時点で
見えない自由がほしくて 銃を - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
「仮に今度最高裁が憲法上の権利としての銃保持をrecognizeするとすれば、保守派版のRoe v. Wade判決みたいな位置づけになるのだろう。
そうなると、「権利」をめぐる議論状況が入り組んでくると予想。一方の権利を擁護して他方の権利を擁護しないというのは、不可能なポジションではないかも知れないけれど、かなり特定性の高い社会の構想に依拠した主張になるだろうから、恐らく正当化のハードルは上がる。」
http://izw134.blog74.fc2.com/blog-entry-80.html
と書いたわけだが、この予測は維持する。
Landmark Ruling Enshrines Right to Own Guns - NYTimes.com
By LINDA GREENHOUSE
Published: June 27, 2008
"Despite the decision's enormous symbolic significance, it was far from clear that it actually posed much of a threat to the most common gun regulations."
http://www.nytimes.com/2008/06/27/washington/27scotus.html?ex=1215230400&en=9a73a3ff8c61aed2&ei=5070&emc=eta1
本件法廷意見は明示的に規制の余地を残しており、実際問題としては現行の銃規制が一挙に流動化するということはないだろう。しかし、Roe判決後の中絶問題の展開に照らしてみれば、D.C.自体も含め各地の政府は、可能な規制を求めて諸々の施策を案出していくのだろう。そしてそれらが訴訟で争われていくことになる。

今後の展開においては、本判決が「自衛目的で」拳銃を保有することの権利性を認めたことを、どこまで強く読むかがポイントとなるだろう。拳銃の携帯を市条例が禁じた場合に、「自衛目的だから」と違憲を主張するのはどうだろうか。一応、法廷意見はconcealed weapon acts武器の携帯に対する規制(*13)の合憲性を仄めかしてはいるが。
仮に銃の携帯の規制が許されるとすると、本判決のholdingとしては、(第4修正の問題領域とも重なる)「自宅」の問題系が重要性を持つことになる。そうなるとさらには、プライバシーの問題系へと連なっていくことになる。本判決法廷意見の構成員はその可能性を認識しているだろうか。

・本件は連邦直轄地たるD.C.にかかる事件であるから、第2修正が直接に問題となる。州に対する権利として編入されるかは全く判断されていない。法廷意見の判示や力点の置き方からすると、編入を認めることを仄めかしてはいる。(*12)
こうなると裁判官の顔触れがどうなるか、延いてはこの秋の選挙がどうなるかに強く依存することになる。

・この論点が問題になるのは、連邦政府が、編入が認められるとするとより一般に政府が、かかる規制を為すからである。
政策的・実践的にも理論的にも面白い問いは、私人が行ったらどうなるか、というシチュエーションであろう。
例えばある民間マンションで、「武器を室内に保管する場合には管理人室で登録したものに限り、また、分解等、無力化しておくこと」という規約が定められていた場合、どうなるか。(恐らくその代償として、入口には24時間武装した警備員が常駐するとかされているのだろう。)
あるいは地域社会一般に拡張して、あるneighborhoodがrestrict covenantの手法を使って同様の施策を講じたらどうか。(この場合の代償はintensiveな警備員の巡回、などといったものだろう。さらにその先にはgated communityがある。)
このような場合にShelley判決のルール(*11)は適用されるだろうか。

Landmark Ruling Enshrines Right to Own Guns - NYTimes.com
"Mr. Obama, who like Mr. McCain has been on record as supporting the individual-rights view, said the ruling would "provide much-needed guidance to local jurisdictions across the country."" (emphasis added)
ウラはとっていないが、この記述が本当だとすると、オバマが「突然に中道化」したとは言い難い。
興味深いのは、犯罪の多いシカゴ南部を地盤とし、銃犯罪に巻き込まれることの多い黒人層を支持基盤とする彼が、何故このような≒銃規制を制約する考え方を支持するか、である。
シカゴはD.C.同様の厳格な銃規制を有しており、既に訴訟が提起されたとのこと。
News Analysis - Coming Next, Court Fights on Guns in Cities - News Analysis - NYTimes.com
By ADAM LIPTAK
Published: June 27, 2008
"In fact, a lawsuit against Chicago's very restrictive ordinance was filed almost immediately after the court's decision. Four Chicago residents and two gun rights groups asked the federal district court there to strike down the ordinance."
http://www.nytimes.com/2008/06/27/washington/27guns.html?ex=1215230400&en=04f2ae721bba8f4f&ei=5070&emc=eta1

【関連】

Don't Fear the Reaper : 速報:連邦最高裁判決
銃を持ってもいいん8だよ:国際弁護士ヒロとやさしく法律を学ぼう!:So-net blog
2008-06-27 - 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」
銃の所持 最高裁の判決 - アメリカ在住 日本人妻 - 楽天ブログ(Blog)
代替品を認めれば? - つれづれ日記 - Yahoo!ブログ

連邦最高裁2007-08年度開廷期の中間評価 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
アメリカにおける軍事組織の(原)イメージ - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
Get Your Gun - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
見えない自由がほしくて 銃を - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
Roberts Courtの保守傾向 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する

【More・・・】

*1 "A well regulated Militia, being necessary to the security of a free State ..." 以下同じ。判文では"prefatory clause"と呼ばれている。
*2 "... the right of the people to keep and bear Arms, shall not be infringed." 以下同じ。判文では"operative clause"と呼ばれている。
*3 United States v. Miller, 307 U.S. 174, 59 S. Ct. 816 (1939).
*4 "[A]t the time"の基準時は本件判示からは読み取れないが、これはMiller判決からの引用であり、そしてMiller判決ではこの文言は民兵招集時の意で使われている。
*5 United States v. Cruikshank, 92 U.S. 542 (1876); Presser v. Illinois, 116 U.S. 252 (1886).
*6 両反対意見は実質的には、権利の保護範囲と許される規制の範囲について分担して書かれたと読んでよいだろう。
*7 空文化した条項なら他にもあるわけだし。
*8 分量的にもそれなりにある。
*9 See, e.g., Cent. Va. Cmty. College v. Katz, 546 U.S. 356, 126 S. Ct. 990 (2006) (異なった歴史理解に基づいて法廷意見と反対意見が反対の結論に到達).
*10 あるいは英国絶対王政において違法だったのは国王側だから矛盾しない、ということか。法の支配!
*11 Shelley v. Kraemer, 334 U.S. 1, 68 S. Ct. 836 (1948).
*12 編入の論点はRoe判決においては存在しなかった。第14修正の問題であるので。
*13 訂正。"concealed weapon act"は通常、武器の携帯を認める立法を指すのでした。【2008/07/02 2:07追記】
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テーマ : アメリカ合衆国 - ジャンル : 政治・経済

13:41  |  アメリカ法  |  TB(2)  |  CM(3)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

>1. The Second Amendment protects an individual right to possess a
firearm unconnected with service in a militia, and to use that arm for
traditionally lawful purposes,
この、The Second Amendment をどう解釈すべきか、というか基本的に以下の部分をクリアできずにいました。
>A well regulated Militia, being necessary to the security of a free State
この一定の制限の射程は、コモン・ローとして既に確立しているという考え方なのですね。
合衆国憲法の立案者、あるいは、修正の立案者の念頭には、ワシントンD.C.などにおける不特定の定職も持たないような一群の人々が拳銃を常時保有するなどということがあったはずはないはずです。いずれにしろ、その意味における銃所有の制限自体は既に存在しているのであり、その範囲の立法はは認める。
今回の連邦最高裁の判決の要は、三番目の「一律全面規制という形の銃保持禁止」を「違憲」としている点なのですね。
判決文を走り読みしただけなので外しているかもしれませんが、外電から結論だけ持ってきて日本で論評するのは非常に困難な議論なのだと思いました。
nk24mdwst |  2008年06月27日(金) 11:56 |  URL |  【コメント編集】

●エントリ完結を優先させていたので遅くなりました(mOm)

> コモン・ローとして既に確立している
この判決における「コモン・ロー」的要素をどのように評価するかはやや微妙です。
第2修正採択前の事情の取り込みについて法廷意見・反対意見とも五十歩百歩かと思います。
「コモン・ロー」的なるものとしてむしろ重要なのは、実践的にも憲法理論的にも、採択後の了解をどのように解釈論に取り込むのか(living constitution的に了解するか)という点だと思っています。

> 起草者の想定
このご指摘はその通りだと考えますが、この点の批判としてもBreyerのそれは弱いというか、self-destructiveだ、というのは私の見立てです。

> 「一律全面規制という形の銃保持禁止」を「違憲」
その通りです。そしてその際には「自衛」が重要なポイントになっています。
いずれにせよ、本件はほんの始まりに過ぎない、ということになります。

> 外電
これは…日本のマスコミにここら辺りの情報は期待していませんので(汗)
IZW134 |  2008年06月29日(日) 05:26 |  URL |  【コメント編集】

明快な解説に感服しました。特に、判決の当否以前に、どのような点を問題点ないし疑問点として意識されているか、そして、それらのうちご自身のご意見を述べられるだけではなく、疑問は疑問として残るという書きぶりは、なかなかできないものです。
まあ、現実の娑婆だとブラフも時には必要ですが、自分の限界を知るということは大切ですね。
自信がないとわからないとはいえないものです。是非、私も見習いたいと思いました。

日本の租税訴訟や行政訴訟では憲法論を持ち出すというのは自爆することにその意義を見出すしかないのですけれど。

日本の憲法と連邦憲法の基本的性格が違うといって片付けてよいことではないのでしょう。

『「コモン・ロー」的なるものとしてむしろ重要なのは、実践的にも憲法理論的にも、採択後の了解をどのように解釈論に取り込むのか(living constitution的に了解するか)という点だ』というご指摘には刺激を受けました。

「租税法」領域においては、日本では行政の解釈権の優先性、無謬性が絶対的とも言うべき状況が、この10年程の間に微妙なさざなみが立っているのです。このさざなみに非常に敏感なのは課税庁のほうであるのが皮肉ですけれど。
アメリカの租税訴訟についても、アメリカのロー・スクールのテキスト・レベルのものは一応読んだのですが、そのレベルと課税・納税両方の実務の専門家の話を聞いていると、はるかに技術的、実務的な執行が行われていて、乖離の大きさに驚くのです。
逆に、本人訴訟で連邦による個人所得課税が違憲だという訴訟が租税裁判所で行われていたりしる事も知りました。
また、よろしくお願いいたします。
nk24mdwst |  2008年06月30日(月) 13:24 |  URL |  【コメント編集】

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褂鰰蜻褂 
2010/09/24(金) 09:17:34 | 褂鰰蜻褂 

保守からの銃規制違憲判決批判

昨2007-08開廷期の目玉判決、D.C. v. Hellerについて、判決の前も後も、 見えない自由がほしくて 銃を - アメリカ法観察ノート 「仮に今度最高裁が...
2008/10/30(木) 15:13:13 | アメリカ法観察ノート

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