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2008.05.27 (Tue)

Versions of Democracy

ブログ【海難期】でホーフスタッターの『アメリカの反知性主義』に触れられていたことから、若干のブロガー氏がコメントを寄せている。
2008-05-26 - 【海難記】 Wrecked on the Sea
[critics][publishing]ニッポンの反知性主義
http://d.hatena.ne.jp/solar/20080526
ここら辺りも勉強しなければならぬと思いつつよく分かっていない。斎藤眞先生の本もチェックできないが、「自分はこのように分かっていない」という整理のための論点メモとして書いておく。

Versions of Democracy

「反知性主義について」(改題) - 虚舟庵雑録
「アメリカの「反知性主義」というのは、第一義的にはヨーロッパ風の考え方に対する反発なのである。… T・ジェファソンのような第一級の知識人…ですら、ヨーロッパとアメリカを対比し、前者を専制に支配された、後者がそれから解放された自由の支配する国であると考えていた。ジェファソンの農本主義的なデモクラシーというのは、そうした「特権の否定」の裏面としての積極面なのであり、…」
「…フロンティアの時代の人口増加率は眼を見張るものがあったとはいえ、それでも人口密度は大変薄かったのである。
こうした伝統がやがてフロンティアの消滅と都市化とによって、変質していくのであるが、…」
http://d.hatena.ne.jp/bunchu/20080526/1211761813
ここでbunchu氏は、(アメリカ側から見た)アメリカとヨーロッパとの対抗関係、その上で(前者側に)析出されるデモクラシーについて言及している。

さらにこれを受けてkouteika氏が
日本の「反知性主義」 - if you cannot be friendly.
「この「反知性主義」の問題は、「都市」と「領域」、そしてそれぞれが産み出す思考様式の関係という視角から眺めてみなければならないように思われる」
http://d.hatena.ne.jp/kouteika/20080526/1211794682
「都市」と「領域」の対抗を指摘している。

その上でいささか乱暴に図式的に考えてみる。
「都市」と「領域」の対抗を、「デモクラシー」と重ね合わせれば、デモクラシーの幾つかのヴァージョンが析出されるだろう。
「領域」と「デモクラシー」の重なりから(*1)は、ジャクソニアン・デモクラシーを見出すことができるだろう。
他方、「都市」におけるデモクラシーは、それが古代アテナイをパラダイム事例として想定するものだとすれば、共和主義の伝統、その現代版としての討議的民主主義にさらに連想がつながる。
もっとも、討議的民主主義は多数派主義や利益集団民主主義との対抗から出てきたことを想起し、そして後者が現代の(≒おおよそ19世紀から20世紀への世紀転換期以降における)都市的生活を背景とするものであることを考えると、「都市」の問題系を考える際に、古典古代のそれを想定するか、現代のそれを想定するかで、それ自体の理解としても、その政治(学)的意義の理解としても、異なった教訓を引き出し得るだろう。

ところでアメリカとヨーロッパとの対抗にデモクラシーを重ね合わせた上で、「デモクラシー」にジャクソニアン・デモクラシーを代入すると、bunchu氏の描写とはまた別の歴史描写が可能となるように思われる。 これはジェファソンら建国の父祖のの政治構想をどのように解するか、どの側面を強調して理解するかに(も)関わる。
bunchu氏は、「ヨーロッパ」と建国の父祖らとの間の断絶を強調し、後者と「デモクラシー」との連続を強調する。
しかし他方、「デモクラシー」をジャクソニアン・デモクラシーと解した上でその独自性を強調すると、その登場は一つの画期として断続性が強調されることになり、他方で相対的に建国の父祖は「ヨーロッパ」により近いものとして把握されることとなろう。(*2)(*3)

Jacksonian Democracy and Judiciary
直接の関連性は薄いがジャクソニアン・デモクラシーつながりで最近偶々読んだ記事をクリップ。
American Exception - Rendering Justice, With One Eye on Re-election - Series - NYTimes.com
By ADAM LIPTAK
Published: May 25, 2008
http://www.nytimes.com/2008/05/25/us/25exception.html?ex=1212379200&en=3d121eb04acf50c8&ei=5070&emc=eta1
選挙による裁判官任命制度を批判的に(具体的にはフランスの訓練制度と対比する形で)報告するもの。

Versions of Constitutionalism

ところでまた全く違う方向への連想だが、アメリカとヨーロッパとの対抗にデモクラシーを重ね合わせると、Yaleの憲法学者Jed Rubenfeldの指摘を思い出す。
Rubenfeldによると、アメリカにとって第二次世界大戦は民主主義の勝利であったのに対し、ヨーロッパにとって第二次世界大戦は民主主義の敗北であった。
Jed Rubenfeld, Unilateralism and Constitutionalism, 79 N.Y.U.L. Rev. 1971 (2004).
このことは立憲主義の理解にも差違をもたらすだろう(*4)

【関連】

popular constitutionと「教育」 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
アメリカにおける軍事組織の(原)イメージ - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
党派的選挙による裁判官選任 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する

【More・・・】

*1 もっとも、古典古代を想定すると、「領域」における「政治」を語るというのは語義矛盾にも思われるが。しかしここでは道具立ての厳密さは置いておいて、ブレイン・ストーミングを進めるほうを優先することとする。
*2 ところで建国期においては「デモクラシー」は厄介な、危険性を秘めた概念ではなかったか。むしろ「共和」の概念のほうが重要なのではなかったか。要確認。
*3 ところで、独立の際の言説として「イギリス人としての権利」が強調されたことをどう位置付けるか。パズルのピースとして余ってしまった。
*4 しかしながら、フランスにせよドイツにせよ、大陸型の憲法裁判所は、アメリカのそれに比して、より明確に政治的性格を規定されているように思われるのはどう解すべきか。むしろ、形式的政治性と実質的政治性との捻れに着目すべきか。
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テーマ : アメリカ合衆国 - ジャンル : 政治・経済

00:31  |  アメリカ法  |  TB(2)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

>izw134様

私の日記のほうにコメントを頂きましてありがとうございます。そちらは、私のほうでお返事(というほどの内容はないのですが)をしておきました。

さて、上の記事の註4についてですけれども、アメリカ法と大陸法における「客観訴訟/主観訴訟」(というのも大陸法的用語法なのですが)の分け方というのが、関係しているということはないでしょうか。雑駁な印象ですけれども、アメリカ法では、私達ならば「客観訴訟」と看做すであろう争いについても、主観化してしまう傾向があるように感じます。このようにすれば、「政治的性格」をもつ紛争であっても、通常の私権を巡る紛争と同じく、単なる「主観訴訟」として争うことができるので、ことさら違憲審査権を「政治的性格」を帯びたものとして構成する(「抽象的規範統制」等々)必要がないのかなあというように思っていました。もっとも、それでも、どうしても主観化できない分野も残るはずですから、その辺りで違いは生じてくるのでしょうけれども。

素人の雑駁な印象論ですので、ご専門の方からすれば、間違っているのかもしれません。実際のところは、どうなのでしょうか?
kouteika |  2008年05月29日(木) 18:05 |  URL |  【コメント編集】

> kouteikaさま

手の放せない仕事のため反応が遅れて申し訳ありません。
別エントリで検討しましたのでそちらをご参照下さい。

米国型違憲審査制についての覚え書き - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する <http://izw134.blog74.fc2.com/blog-entry-202.html>
IZW134 |  2008年06月01日(日) 15:09 |  URL |  【コメント編集】

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