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2008.03.21 (Fri)

多様性の多様性

教育・多様性・平等保護 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
http://izw134.blog74.fc2.com/blog-entry-143.html
虚空に消え行くつぶやきのつもりだった昨日のエントリだが、ガチのリアクションを頂いたのでもう少し考えてみる。
Don't Fear the Reaper : 教育における人種的多様性
「Bakke判決までさかのぼってみると、そこでの教育上の利点というのは「世の中いろんな人種の人がいるよね」ということを知ることではなかった。それだけだと「だからお互い仲良くしようね」という、確かにボーイスカウトで共有されそうなメッセージにしかならない。
Bakke判決では、仲良くするよりも、むしろ「いろんな人種の人がいると意見が衝突するので、結果として、意見の交換が促進される」ことが狙いとされていたのではないか(だからこそ第1修正が出てくる)。言い換えれば、意見を衝突させることが狙いなので、それが達成されるならば人種にこだわる必要がない。…
こう考えると、人種を一要素として評価するのはありだけど、絶対的基準とする場合は憲法違反となることがすっきり理解できる。」
http://eastriver.exblog.jp/7570370/
確かに、昨日のエントリではBakke判決(*1)もそこでのacademic freedomに関する議論も念頭に置いていなかった。
昨日のエントリでは「多様な人々とcommingleする必要性に関する政策的判断と、実際に利用可能な政策的手段との関係」の内、後者に焦点を当てる形でアイロニカルな状況を指摘したものだが、この考え方は前者を相対化した上でそれと政策手段とのfitを問うている。

integrationの価値

シアトル事件で学校区側が政府の利益として「多様性」を強調せざるを得なかったのはunluckyだった。
これは言うまでもなく、ミシガン大学事件の重力下で訴訟がなされたから。
そして同事件でミシガン大学側が「多様性」を強調せざるを得なかったのは、Bakke判決の重力下で訴訟がなされたから。

この点は(金沢で行われた学会でも発言した論点である)Bakke判決の判例法としてのstatus如何、という論点に関わる。statusがlimbo状態にあったBakke判決に対し、ミシガン大学事件ではアファーマティヴ・アクションにおける多様性(diversity)を政府のcompelling interestとしてrecognizeする法廷意見が形成されたわけだが、それではミシガン大学事件はBakke判決に「拘束bind」されていたのか。あるいは形式的には拘束されておらず、単に説得的典拠としてBakke判決を参照した上で、パラレルな内容を判例法としてcrystalizeしたのか。
実践的にはこの論点は、Bakke判決Powell意見がcompelling interestとして否定した3種類の利益の取り扱いに関わる。Powell意見が拘束力を持つのだとすれば、否定された状態が判例法である。しかし拘束力を持っていないのだとすれば、Bakke事件で主張されたがPowellが斥けた3種の政府利益(あるいはその他の政府目的)の取り扱いについては、理論上、オープンだということになる。(*2)

昨日のゼミでも議論になった点だが、そもそも同時代人にとって、人種共学校の実現は必ずしも目的価値ではなかった。
目的は、黒人の児童・生徒の教育環境の向上であった。共学となれば、そして白人児童が劣悪な(旧)黒人校に通わざるを得なくなれば、白人も黒人児童を含めた教育環境の底上げに賛成せざるを得ないであろう。
昨日触れた"What Brown v. Board of Education Should Have Said"は、Brown判決を判断し直せばどうなるかというテーマで、9人の憲法学者がBrown判決の事案の下、仮想判決を書くという趣向の本だが、一人だけ、批判人種理論に立ち、黒人であるDerrick Bellのみが反対意見に回っている。しかし形式的には反対意見とは言え、Bellの意見こそが最もラディカルである。彼はPlessy判決(*3)の「分離すれども平等」原理を徹底すべきだと主張して、黒人校へのリソースの投入を主張している。ここでも眼目は黒人児童の教育環境の向上である。

シアトル事件では、多様性が政府利益であることは前提として判断された。だが、このこと自体に留保を付すThomas意見の存在も留意される。

高等教育の性質

Bakke判決が高等教育の“高等教育性”を強調しているのは確かであるが、
「…高等教育は知識をもとに問題に切り込んでいく時期と言える。
人文社会科学系の学問、特に我々法学系での学説の対立を見れば明らかだが、高等教育で扱う問題というのは、答えが1つに定まらないことが多いわけで、それだけに慎重に議論した上で「ある条件のもとで最適と思われる答え」に自分で到達する能力が求められる。」
Bakke判決の次の判示とは緊張関係がある。
"It may be argued that there is greater force to these views at the undergraduate level than in a medical school where the training is centered primarily on professional competency. But even at the graduate level, our tradition and experience lend support to the view that the contribution of diversity is substantial. In Sweatt v. Painter, 339 U.S., at 634, the Court made a similar point with specific reference to legal education ...
Bakke, 438 U.S. at 313-314, 98 S. Ct at 2760 (emphasis added).
ロースクールがprofessional schoolなのかgraduate schoolなのかというのはAALS総会でも話題になっていたが、アメリカの大学が「学問」を教授しているところなのかは、実はよく分からない。前記Bakke判決からの引用で強調した箇所は、むしろ職業訓練としての性質を強調するものである。もっとも、「それでもなお~」と続く、すなわち「職業訓練」であってもprofessionとしてのproblem solvingの能力の涵養こそが重要であると続くわけであるが。

(さしあたってはアメリカのコンテクストで)“高等教育”が「職業訓練」である可能性を視野に入れると、professionとして独立性・裁量性を有する高度専門職業人、以外の養成も念頭に置くべきとも考えられる。つまり、「意見を衝突させる」までもなく「型を覚える」ことが“高等教育”で追及される可能性である。
例えば、日本で専門学校に相当する教育機関もアメリカでは"college"である。そこではしばしば、特定の職業に役に立つ特定のスキルの習得が目指されている。

(逆に、前記Bakke判決引用部分で「学部レベルでのほうがより説得力を持つ」とされている点も留意されなければならない。「原則が教養学部」であるアメリカの学部教育の特殊なコンテクストと、そこでの「意見を衝突させることが狙い」。)

初等・中等教育の性質

「初等・中等教育は知識を整理して覚えていく時期、高等教育は知識をもとに問題に切り込んでいく時期と言える。
…高等教育で扱う問題というのは、答えが1つに定まらないことが多いわけで、それだけに慎重に議論した上で「ある条件のもとで最適と思われる答え」に自分で到達する能力が求められる。
型を覚える時期(初等・中等教育)にはかく乱要素は少ない方がよく…」
他方、アメリカのコンテクストにおいて、初等・中等教育の目的を「知識を・型を整理して覚える」ものとして規定してよいかも、よく分からない。
確かにNo Child Left Behind Actに代表されるように、近年のアメリカにおいて、確実な知識の習得が強調されているのは確かだ。(*4)
しかし、初等・中等教育でも、(知識の詰め込みよりは)表現力や問題解決能力の涵養が強調されているというのが、これまでの(日本において)有力なアメリカ教育の見方ではなかったか(*5)。幼稚園から「自分の好きなものとその理由」を説明する訓練を受けるというのは都市伝説か。

このように考えてみると、初等・中等教育と高等教育とを泰然と分けることができるかはよく分からない。

また、Bakke判決が高等教育におけるacademic freedomを強調しているとしても、端的に初等・中等教育については語っていないのであって、反対解釈して初等・中等教育(における「多様性」観念)に対する限定を読み込む必要はない。

deferenceの対象

高等教育におけるacademic freedomを承認するとしても、これが平等保護審査の手段審査において、教育機関の裁量を許すであろうかはよく分からない。厳格審査基準が適用されるとされる(*6)以上、ネガティヴな方向で考えたほうが素直か。

Gratz判決のミシガン大学学部入試システムは、ちょっとアレなものだった。
150点満点中、人種要素により20点のボーナスというのはかなり大きい。他の加算要素によるボーナス点の大きさと比較しても、「ギリギリ入るか」という志願者が「まぁ入る」というラインまで引き上げられるという実際上の効果に照らしても。
これが5点のボーナスであれば事案の見え方もかなり変わってきただろうし、(バランサーであったO'ConnorやプラグマティストであるBreyerが別の投票をして)結論も変わっていたかも知れない。
しかし、現在ではGratz判決は判例集に載っている。そしてその結果、入学者選抜において人種要素を点数化すること自体、回避されている模様。

「型を覚える時期(初等・中等教育)にはかく乱要素は少ない方がよ」いと判断したからと言って、「では同じタイプの人間が集まったほうが教育効果が上がりますね」と人種別学ポリシーを採用することは、間違いなくできない。
「裁判所が違憲の判断を下す可能性が上がる」ということは、教育に責任を持つ機関による可能な判断の範囲が狭くなることを意味する。
一連の判例法を、教育の初期段階になるほど、教育に責任を持つ機関の生徒の配置にかかる判断が制約されると位置付けると、多くの生徒を相手にしなければならないほどフリーハンドの余地が狭くなることになる。それでよいか。

まと…まらない

そのようなわけで、Bakke判決まで視野に入れた上で「Grutter、Gratz、 Seattle School District も比較的すっきり理解」できるというeastriver46先生の主張については、評価し切れない要素が多過ぎて、よく分からない、というのが正直な答えになる。
点在する判例の重力圏によって制約されていることから--判例法ワールドであることからの必然的な帰結かも知れないが--可能な軌道の範囲は案外少ない、とまでは確実に言える。

【More・・・】

*1 Regents of Univ. of Cal. v. Bakke, 438 U.S. 265, 98 S. Ct. 2733 (1978). 以下、特に断らない限りPowell意見を指す。
*2 実際上、連邦最高裁が認めることは考え難い、という観測はとりあえず脇に置いて。
*3 Plessy v. Ferguson, 163 U.S. 537, 16 S. Ct. 1138 (1896).
*4 もっとも実際の成果は必ずしも芳しくない、がっかりみたいだが。
States’ Data Obscure How Few Finish High School - New York Times
By SAM DILLON
Published: March 20, 2008
http://www.nytimes.com/2008/03/20/education/20graduation.html?ex=1206676800&en=49d6848fc9665224&ei=5070&emc=eta1
U.S. Teens Trail Peers Around World on Math-Science Test - washingtonpost.com
By Maria Glod
Washington Post Staff Writer
Wednesday, December 5, 2007
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/12/04/AR2007120400730.html?referrer=emailarticle
*5 教育学者の書いたものをきちんと調べればいろいろ出てきそうだが。
*6 Adarand Constructors, Inc. v. Pena, 515 U.S. 200, 211, 115 S. Ct. 2097 (1995).
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