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2009.01.04 (Sun)

「権利は義務を伴う」

以前書きかけてそのままになっていたエントリ。
リライトして別エントリの一部/枕にしようとしたのだが、長くなったので整備して独立したエントリとして上げておく。

権利と義務は本当にワンセット? - 発声練習
「権利と義務はワンセットだとするならば、我々が生来有しているとされる生存権に対応する義務は何だろう?」
http://d.hatena.ne.jp/next49/20080205/p1
「権利は義務を伴う」という法格言(?)(*1)だが、法律を専門的に勉強したことのない人は
アクターXはAという権利を持っている。故にXはBという義務も負うべきである。
というイメージで理解していることが多いと思う。
よく(右方面の)改憲論者が「現行憲法には国民の権利しか書いていなくてけしからん。国民の義務も明記すべきだ」などというのもこの類の理解を前提にしていると思われる。(*2)

この観念を、規範的要請として持つこと自体は別に否定しない。
(法)人類学的知見に従えば、互恵性reciprocityは多くの社会で見出される規範観念である。
そうした観念をincorporateしていない社会規範(法を含む)は、一般に受け容れられ難いだろうし、故に安定し難いだろう。(*3)

しかしこれは、法にどのような価値を盛り込むか、という話であって、法(学)内在的に出てくる話では、ない。
「権利は義務を伴う」とは、法(学)内在的には、
アクターXが権利Aを有するとは、アクターYが義務Bを負うことをいう。Yが義務Bを履行することにより、Xの権利Aは実現される。
ということを意味する。別にXが権利Aに見合った義務を負担している必要はない。
つまり、権利Aと義務Bとは別物ではなく、ある一つの事態をどちらの側から眺めるかということによる見え方の差に過ぎない。一つ具体例を出せば、民法709条は
(不法行為による損害賠償)
第709条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う
と、条文の字面は加害者の義務を書いているわけだが、この条文は通常、不法行為被害者の損害賠償請求を規定するものと理解される。

ここでのポイントは、義務者Yの存在である。つまりXの持つ権利Aだけを言挙げしても虚しいのであって、権利Aを実現するための義務者は誰か、ということを念頭に置かなければ意味がない(*4)
そしてこのことは、権利=法が実現される場・空間である訴訟/法廷の構造に由来する。すなわち、自らの権利を主張する者=原告は、誰に対して主張するのか、相手方=被告を特定しなければ、そもそも訴訟/法廷自体が成立しない。(*5)

【More・・・】

*1 これは巷間に広まっている表現だが、本当に法諺として確立しているのだろうか。「権利は義務を伴う」だけでググるといろいろ出てくるが、「権利は義務を伴う 法格言」や「権利は義務を伴う 法諺」でググっても引っかかって来ない。
*2 さらに細かく分かると、権利Aと義務Bとの関連性が密接な順に
  1. アクターXは権利Aの行使に当たって義務Bに乗っ取った適正な行使を為すべきである。
  2. アクターXが権利Aを獲得する際には“対価的”“取引的”牽連関係を有する義務Bを伴うべきである。
  3. 権利Aを有するアクターXは、それに大体見合った義務Bを負担すべきである。
といった分類が可能であろう。
1.の義務B1は、権利A1と別にあるというより、権利A1の内容をelaborateしたようなイメージかな。
2.は権利A2と義務B2との間に(質的な?)直接的な牽連関係を要求するのに対し、3.は各アクターの持つ権利と義務がおおむね(量的に?)トントンになっていることを要求する。だから3.の場合、あるアクターの有する個々の権利・義務を特定して考える必要は必ずしもなくて、bulkに見ても構わないし、故にB3は「義務」というより「責務」という言葉がぴったりすることもある。本文の改憲論者は3.を語っているといえるかな。
*3 しかしもちろん、互恵性の原理に基づかない社会規範も存在し、(ある程度は)受け容れられているといえる。例えば、慈悲とか、寛大さ、とか。
*4 そしてこの意味で「権利は義務を伴う」を了解した場合、先の例にある「生存権」に伴う義務者は「国家(日本国)」である。--その内実はともかくとして。
*5 むしろ--これは実体法と手続/訴訟法の関係の理解に依存して態度が異なってき得ようが--、訴訟/法廷こそが先行し、それに従って原告Xの被告Yに対する主張を認められた状態を以て、Xは権利Aを有し被告は義務Yを負うと表現される、という理解も可能であろう。
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2017/01/05(木) 07:02:42 |

[発声練習] 権利と義務は本当にワンセット?

自分もよく使ってしまう「権利と義務はワンセット」が必ずしも正しくないことを考えさせらえるエントリーだった。 そしてもっと言うなら、著作権は「著作者のわがまま」を権利化したものだ。 いや、権利なんてものはたいてい権利者のわがままを法的に実現したものに過ぎない
2010/06/18(金) 15:48:11 | 発声練習

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