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2008.12.23 (Tue)

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2008.12.23 (Tue)

【陪審】死刑への“拒否権”【裁判員】

裁判員制度に対する反対論の論拠として、「意(良心)に反して死刑判決をすることを強いられる」という点が挙げられることがあるのだが、これがどうもよく理解できない。
ある裁判員が当該犯罪が死刑に値しないと思えば、端的に死刑判決に反対すればよいだけの話ではなかろうか。

このような主張をする前提として、刑事訴訟に対するイメージが、私の持っているものとちょっと違うのではないか--そして私の持っているイメージは近代司法の原則に従っていると了解しているのだが--と思うことがある。
刑事訴訟における裁判所=司法部というのは、要はハードルである。訴追者たる国家=執行部(≒検察)がこのハードルを越えることができなければ国家は刑罰権を発動できない、という話であって、それ以上でもそれ以下でもない。(無罪推定則に端的に現れているように)刑罰権の発動に当たっては発動しない方向でバイアスが掛かっている。「無罪」は「無実」を意味しない。従ってハードルがずり落ちてしまうのは問題だが、ハードルが上がる分には問題がない。だからこそ合衆国憲法では陪審審理を受けることが被告人の権利なのである。

で、冒頭のような反対論を言う人は、どうも刑事訴訟に於ける裁判所の機能を“ハードル”とはイメージしていないように思える。むしろ、“あるべき刑罰”を探求する主体、自ら的を狙っている者、のようなイメージなのではないか。だが私見によると的を狙っているのは検察なのであって、合議体はむしろ“的”のほうだ、ということになる。
故に、「コミュニティの価値観を持ち込む」非専門家の判断者(*1)が、「これは死刑に値しない」と思えば、死刑判断に投票しないという形でハードルが上がるだけであって、そこに何ら問題はない、はずである。

結果として死刑判決が減っても、それはそれで結構だろう。私は死刑廃止論に与しないという意味では存置論者に分類されるだろうが、伝家の宝刀は軽々しく抜かないことに価値があるのである。

逆に検察側が本気で死刑判決を狙うとすれば、確実に死刑判決に反対しそうな候補者を判断者から排除する戦術が執られるはずである。アメリカでも陪審員選任に際しての死刑反対論者の取扱や死刑の代替刑(*2)の説示については判例法が発達している(*3)。裁判員になりたくない人は死刑反対論を強硬に主張してみるのもいいかも知れない(*4)

しかし反対票を投じてもなお、多数決で破れて死刑判決となってしまったが(*5)、それを下した裁判体に自らも加わったことで当該判断を自らにattributeされるのはイヤだ、という向きもあろう。
そういう人向けには判決後に記者会見でも開いて「私は死刑判断に反対しました」と主張する場を与えるのが結構だろう。あいにく現行法上の守秘義務はそういう可能性を封じているが。そうやって「私は反対しました」という人ばかりになって「じゃあいったい誰が賛成したのだ?」と“藪の中”になるのもまた…司法にとっては最悪であるが、言論を封じるほうがもっと悪い。(*6)


ここまで話の枕のはずだったのだが…長いな(笑) ここから本題。

十二人の怒れる男」にあるように、米国において小陪審における伝統的な決定方式は12人の陪審員の全員一致である。
が、20世紀後半になってこの要請は緩和されている、ということも、例えば百選65事件(*7)で述べられている通りである。

が、死刑判断においては伝統的な12人全員一致の要請が維持されている。
従って、個々の陪審員は死刑判断に対して実質的に拒否権を有していることになる。
In Georgia, Push to End Unanimity for Execution - NYTimes.com
By ROBBIE BROWN
Published: December 16, 2008
http://www.nytimes.com/2008/12/17/us/17death.html?ei=5070&emc=eta1
ジョージア州のhigh-profileな事件で、とある陪審員が本当にこうした“拒否権”を行使して、死刑判決にならなかったという話題。
州立法部はこれを機に全員一致要件の緩和を狙っているようである。
が、本当にそうした立法が成立すれば、第6修正か第8修正かあるいは端的に第14修正かはともかくとして、陪審の構成に掛かる最高裁の判断を誘発することになろう。
要注目。

【関連】

【書評】藤田政博『司法への市民参加の可能性』 - アメリカ法観察ノート
【陪審】市民による量刑【裁判員】 - アメリカ法観察ノート
popular constitutionと「教育」 - アメリカ法観察ノート

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