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2008.09.02 (Tue)

「政治的責任」とは何か

カメラ代わりにN903iを持ち歩いている。このブログの写真もこれで撮っている。
しかし当然電波は入らないから、iチャネルの一行ニュースサービスは未だに「安倍首相辞任」と表示している。


学部時代、憲法等の授業で「法的責任と政治的責任とは異なる。政治的責任を追求するのはともかく、法的責任を追求するのは適当ではない」云々の議論を聴いて、どこまでも喉に小骨が刺さった感が拭えなかった。
もちろん、理屈は分かる。失政の責任を取らされて(物理的な意味で)吊されるとすれば、それこそ大変なことになる(*1)

しかし、それでは「政治的責任」とは何なのか。公職を辞任すれば「政治的責任」を果たしたことになるのか。しかしそれで本当に何か痛痒を感じているのだろうか。単に職務を放棄しただけで、何らのダメージも受けていないのではないか。その政策の影響を受ける人民がどんなダメージを受けていても。

ゲーム論の知見に従えば、あるアクターの行動が信頼可能となるのは、協力行動を選択することが当人の利得となること(逆に言えば協力行動を選択しないことが当人の利得に反すること)、と、その情報が共有されていることである。
「政治不信」が言われて久しいが、「政治的責任」とやらが内実の空虚なものである限り、政治を信頼できようはずもない。(*2)(*3)
東浩紀の渦状言論: ぽかーん……
「…この状況を前にいったい何を考えて何を言えばいいのか。また、言ったから何が変わるのか。こういう事態が繰り返されるから、みんな政治なんてどうでもいいと思うようになるんじゃないですかね。」
http://www.hirokiazuma.com/archives/000445.html

【関連】

大統領選挙:若者の政治参加 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
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テーマ : 福田首相辞任 - ジャンル : 政治・経済

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