日帰りNYC2008-08-24 Sun 21:15
昨日はNYCへ日帰りした。
主要な目的は、少し身軽になろうとブックオフ・ニューヨーク店で古本を売ること。 17ドル90セントなり。大した額にはならなかったが、片手で持てる分量ならそんなもんだな。 計算中、店内を見ていた。2階に上がってまず目に入るのが大型本のコーナー、のギャルゲ−の攻略本ってどうよ。まぁそれがギャルゲ−の本だと一目で分かるこっちもこっちなのだが(爆) 金髪白人のお姉ちゃん(10代後半〜20過ぎ位)が日本語で喋りながらコミックスを大人買いしていく風景に違和感がw シングルマザーのグループへの参加を呼びかける日本語のビラが貼られていて、「うーむ、ニューヨーク」と思う。 午後はMetを少し。 NYCの地理が頭に入っていなかったので、「セントラル・パーク沿いの、61〜62丁目だっけ」というアバウトな記憶を前提に地下鉄を59丁目駅で降りると、大嘘で、81〜82丁目だった。無駄に歩く。 この間はクールベ展をやっていた一角は、ターナー展だった。水彩画を多く集めて展示していたのが印象的。 tktsでチケットを買って、ミュージカル「RENT」を見る。そういえばNYCに行ってもミュージカルはあまり観ていなかった(*1)。 何でも「RENT」はもうすぐ終わるらしい。tktsのチケットはあまり安くなかった。 結構後ろというか上の方の席だったが、観客席の勾配が急な劇場で、タテの動線を強調した舞台装置の構成だったので、上の方の席で正解だったかも知れない。 主役と、脇役の黒人のおばちゃんのヴォーカルが特に迫力があった。このレベルがゴロゴロしているのが流石ブロードウェイなんだよねぇ。 ハイ・シーズンなのでホテルの値段が馬鹿高くまた電車賃を出すほうが安いくらいだったので、終電(多分)でフィラデルフィアに帰る。 が、流石の強行軍でぐったし。鞄を担いで無駄に歩いたこともあって、今日は全身が筋肉痛(汗) おまけに頭まで痛くなってきたぞ。この頭の重さは風邪の引き始めにも似ているが… |
2.5次元の呼び声2008-08-22 Fri 20:10
昨夜の夢には千早が登場した。
声つきで呼びかけられた。 …いろんな意味で終わってるかも知れない(爆) |
【陪審】市民による量刑【裁判員】2008-08-20 Wed 16:49
予め断っておけば、自分は裁判員制度には賛成でも反対でもない。
反対論には与しないが、是非推進すべきという魅力も見えない。 ただ、アメリカの陪審制度は多少なりともウォッチしているので、その限りでは議論に貢献できる部分もある、かも知れない。 が、自分自身の態度が前述の通りなので、頑張って論を張ろうという気もなかなか起きないし、このブログでもこれまであまり触れてこなかった。今後もそうだろう。 ここでは一点のみ、記しておく。 裁判員制度が刑事司法を崩壊させる:NBonline(日経ビジネス オンライン)アメリカの陪審制度が一般に罪責の認定のみを行い、量刑は裁判官の職掌、というのは基本的にはその通りである。 しかし、重大な但し書きを付す必要があると理解していて: 少数ではあるが、陪審が量刑を行う州もある。但し、少数だからこれはスルーしてもよいかも知れない。 より重大な留保として、2000年のApprendi判決を嚆矢とする連邦最高裁の一連の判例法(*1)は、量刑判断にかかわる事情につき、陪審の判断対象とする範囲を拡大していることである。すなわち、量刑を重くするための事情が陪審によって認定されていない場合、当該刑の宣告は陪審審理の機会を奪ったものとして違憲な手続となる。 特に、2003年のRing判決は、事実上、死刑を科すかどうかは陪審が決定しなければならない、という効果を持つ。(*2) 従って、非専門家が量刑に関わること、特に死刑判断を為すことを、「外国だってそんなことをしていない」と裁判員制度批判の論拠として使うことは適切ではない、と考えている。(*3) |
グルジア:ロシア = キューバ:アメリカ?2008-08-20 Wed 00:45
廣瀬さん、売れっ子だな。タイミングがタイミングだもんな。 日本でこの地域をきちんと分かっている人自体、数えるほどだろうしな。 本自体は未見なのだけれども コーカサス国際関係の十字路 (集英社新書 452A) (集英社新書 452A) - MagiBlog! ver.5.0この指摘は興味深かった。 というのも、「裏庭感」という形で事態を把握すると、状況はロシアの専売特許ではない。 (自分的にはまずアメリカを連想するわけだが、)アメリカのモンロー主義は、単なる外交的孤立主義ではない。 間違いなくワシントンにとって中南米・カリブ海は「裏庭」なのであって、実際、孤立主義外交であったとされる19世紀以来、軍事力の行使を含め継続的に介入している。 そうだとすればロシアにとってのグルジアというのも、「裏庭に気にくわない政権が存在する」という意味では、アメリカにとってのチリ・アジェンデ政権やカストロ・キューバ、最近ではベネズエラ・チャベス政権に比定されることになる。 もっとも「裏庭感」の例をさらに他に探すことも可能なはずで、例えば日本は早い段階で中国の勢力下から脱したが、ベトナムや韓国はもっと遅かったわけだし、現在で言えばチベットやウイグルがそれに当たるのだろう。 もっとも、「裏庭感」の根拠はそれぞれ異なるかも知れないが。例えばアメリカのモンロー主義的「西半球の自律性」観念は、多分に理念的なものだった(*1)。 404 Blog Not Found:旧ソ連の今を知る - 書評 - 廣瀬陽子の二冊 自分は外交もIRもさっぱりなので、地政学の専門家の奥山真司氏のブログは勉強になるのだが、 地政学を英国で学ぶ : グルジア紛争とロシアの立場この指摘は、引かれている地図と併せてロシアの受け止め方を簡潔に指摘している。 やはりこれをアメリカ史に連想させると、キューバ危機に似た感覚になるのであろうか。こちらのエントリのコメント欄では「まだ」なっていない、と評価されているが。
【関連?】Versions of Democracy - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する |
今度こそ一段落2008-08-19 Tue 23:31
校正を出して、また別の原稿を出す。
連載の次回はスキップすることにしているので、これでしばらく締切はない(はず)。 まぁ出したばかりの原稿の校正が戻ってくるだろうが。 そういえば、夏頃に正式な依頼がある予定、という話だったアレがあったな。どうなっているだろう。作業予定キューが増えないのはありがたいことだが。 アパートの部屋のカーペットの敷き換え作業を木曜・金曜にやるということで、部屋の片付けをしなければならない。ちょうどいい機会か。明日は一日その作業だな。これで原稿が終わってなかったら泣きを見るところだった。 福島の産婦人科医の事件、無罪判決ということで。 この期に及んだ以上、堂々と無罪判決を勝ち取ってもらいたい、と思っていたので、まずは結構なことではないかと。 控訴の可能性もあるが、これだけ世論の反発を受けた事件で、それはないのではないかと。 差し当たりの感想はそこまで。詳しい分析はたぶんやらない。 【関連】システムと「個人」の「過失」 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考するretribution / revenge - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する |
一般条項の溜息2008-08-15 Fri 00:11
この種の問題は、大御所の先生の書いた法学入門の教科書にさくっと書いてある気もしないではないが(汗)
もっとも、機関間の権限分配という視点(後述)はアメリカのリーガル・プロセス学派由来だから、一部を除きあまり日本では正面から取り入れられてはいないかも知れない。 リサーチが進んだわけではないので、解答へ前進しているわけではなく、主題の周りをぐるぐる回っているだけなのだが、若干の敷衍を。 一般条項の憂鬱 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する前提的立場として、自分はcommon lawyerなので、裁判官による法創造に(規範評価として)楽観的である、との傾向は否定し得ないかも知れない。少なくともアメリカを参照して思考している時点でそのバイアスからは逃れ得ないし、なんだかんだ言って100%ではないにせよ、アメリカンなやり方は気に入っている(*1)。 一般条項の同定基準一般条項の地位低下? - if you cannot be friendly.基準といえるほどのものではやはりないのだが、考え方の方向性として; 話の出発点は、利益団体の政治活動がある状況下で、いずれの/如何なる機関に政策判断・規範形成のイニシアティヴを委ねるか、ということにある。従って、ここで問題にしている「一般条項」にあたるといえるかは、かかる政策判断・規範形成において(政府の他の部門ではなく)司法部がどの程度のleewayを有しているか、が評価のポイントとなる。 法規それ自体を眺めて、そこにおける不確定概念の位置付けで判断しようとすると、前記の機能的な把握には入ってこない場合もあろうと思われる。(*2) 例えば、「要件の一部が不確定概念を含む条項」の評価に当たっては、当該不確定概念に裁判所が具体的に中身を盛り込むことによって、どの程度、結論に差異が生じるか、がポイントとなる。(*3) あるいは、法律(狭義)においては確定してはいない概念が使われているが、(政省令に委任されているわけではないにもかかわらず)通達等によって関連当事者の間では特定の意味がガチガチになっており、事実上、司法部がそれとは異なる判断を為し得ないとすれば、ここで問題にしたい「一般条項」ではない。(*4) 逆にこれは、裁判所の「裁量」として議論されてきた問題群とも、重なり合いつつも微妙に位相が異なる。 即ち、「裁判所の裁量」といってしまった場合、個別の事件毎のカズイスティックな(アド・ホックな、といってもよい)判断を連想してしまうが、そうではない。 確かに新規の事件類型に初めて遭遇した裁判所は「一般条項」の与える権限に依拠してその「裁量」を行使し一定の結論を下すであろうが、このようにして形成された規範は同種の事件類型にも適用されるであろうことが予定ないしは期待されている。(*5)(*6)(*7) 特別法/一般法先のエントリでは「近時の立法では一般条項はあまり盛り込まれない」理由の仮説として、日本型官僚機構を挙げたのだが、ややフェアではなかったかな、という気がしてきた。というのも、「近時」どのような立法が為されているのか、という視点が欠落していたからだ。 「どのような立法」といってもまだ抽象的な物言いなのだが、つまり民法90条をパラダイムとして想定した上で「そのようなものがないじゃないか」と言うのはフェアではない。 というのも、民法は一般法も一般法、一般法の親玉みたいな法規である。 他方、特別法の適用においては−−「一般法」「特別法」概念の定義上−−法規で特に排除されない限り、一般法の規定が適用される。つまり、特別法のほうに規定を設けなくとも、(少なくとも私法分野であれば)民法の一般条項−−例えば、公序良俗、信義則、権利濫用−−が適用されるのであって、従って特別法の立法の際にそのような条項を設ける必要はない。(*8) 実際、今回の話題の出発点である知財分野でも権利濫用は普通に議論の射程に入る。あるいは特別法上の請求とは別立ての、民法709条に基づく請求とか(*9)。 しかしだからといって「近時の立法では一般条項はあまり盛り込まれないのではないか」という問いが無効となるものでもなくて、今回問題のフェアユースもそうであるし、 isologue - by 磯崎哲也事務所: 「ネット法」の発表で考えた、日本人と「フェア」概念というような問題意識もある。特別法固有の領域で、アモルファスな概念を使って条文を起こし、より具体的な規範の生成は判例法に委ねる、という可能性は、意識的に検討に値する。(*10) 剣か盾かもう一つ、裁判所による一般条項の活用に際して、当該条項が請求の基礎として機能するか、抗弁として提出されるかによって、大きく違ってくるであろう。前者であれば、原告がある意味裁判所に強制的に判断を迫っているわけだが(*11)、抗弁として一般条項を持ち出すのは最後の手段ともいえる(*12)。 【関連】一般条項の憂鬱 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する及びそこで参照のエントリ。 |
夏バテ?2008-08-14 Thu 22:41
別に意識してそうしているわけでもないのだが、更新ペースが落ちている。
夏バテ、か?8月に入ってからはむしろ涼しいを通り越して寒いくらいなのだが。今も雨降ってるし。 まぁ、先月末締めの原稿を無理言って8月に入っても数日作業をしていて、それを出したら校正と別の原稿の締切の狭間でぐったし、という程度なのだが。 Googleストリート・ビューとか、書きたいネタは幾つかあるのだが。以前からぼんやりと引っ掛かっていた事項が突然前景化されると、勉強不足に気付いたり昔読んだものを読み返したりしないといけないと思ってかえって腰が重くなる。 某はてな村のいざこざを見ていて、どんなに立派なことを言っていても、意図が伝わらなかったときに、読者を罵倒するばかりで、意図がより確実に伝わるように自らのテクストをimproveする可能性を顧慮しない論者というのは、good faithに討議に参加しようとしていないと了解せざるを得ないし、論者として信用を失わざるを得ない。とりわけ、本当にマージナルな読者のみが異論を示す場合は別にせよ、「あなたはいいことを言っていると思っていたけれども、」と複数の人が表明している状況でも、それに耳を貸さないとするならば。 |
街頭の景気後退2008-08-13 Wed 02:21
最近、涼しいを通り越して寒いくらいなのだが(笑)
住んでいる地区は、学生を別にすると、フィラデルフィアの中でもどちらかというと所得水準の低い層が集まっているのだが; 数週間前、行き付けのスーパーのデリ・コーナーがピザのコーナーを縮小した。 その分のスペースを、端材のゴッタで作り置きできて単価も安いスープ、チキン・ウィング、ラザニアが占めるようになった。 果糖の甘さが好きなのでよくフルーツ・サラダを買って帰るのだが、大パックで以前は5〜6ドルの水準だったのが、4〜5ドル台の価格設定になっている。重量を測定して記録しているわけではないので正確には言えないが、もちろん中身もその分減らしてあると思われる。 シーザー・サラダは、以前はエビ、サーモン、ベジタリアン(タンパクなし)だったのが、ゆで卵が入ったバージョンが加わった。エビ版、サーモン版より二回りほど安い。 たぶん、顧客が価格に敏感になっているのだろう。 街角の景気後退。 |
北京奥運2008-08-08 Fri 23:10
北京オリンピックが始まった…らしい。
個人的には全く関係なく。 しかし全世界的に華僑社会では大いに関係あるよう。 チャイナタウンで開会記念のイベントをやる、ということで覗きに行ってみた。 For Many Expatriates, Olympics Signal China’s Arrival - NYTimes.com 【関連】"China in Turmoil" - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する |
分母と分子2008-08-08 Fri 02:19
法科大学院の統廃合表明 法相「低実績校は整理」あのさぁ、LS学生が一学年当たり5825人いるのに対し(*1)、新司法試験合格者数が3000人固定(*2)だったら、「教育能力」の有無にかかわりなく絶対に「7、8割」なんて達成するわけないじゃん。 それに触れずにこういう書き方をするのは、相当分かっていないか、さもなければ悪意があるように思えてならないのだが。控えめに言ってフェアな書き方ではない。 もっとも(各大学個別のではなくトータルの)合格率のほうで大学側でコントロール可能な要素もないわけではない。「修了させない」という選択肢がある(*3)。 でもこれは日本の教育システムが伝統的にやってきたやり方じゃないよね。ずっと入口の定員でコントロールしてきた(*4)。 医学部定員増はスルーですかそうですか。医師については「質の低下」を心配する必要はないんですか。 asahi.com(朝日新聞社):09年度の医学部定員増へ、過去最大の8280人目標 - 社会 医師不足:医学部定員増条件、地域貢献計画を 文科省、大学側に - 毎日jp(毎日新聞) 来年度医学部定員 8280人程度に増員へ : ニュース : 医療と介護 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)1980年代前半と同水準の定員になる、とのことだが、ちなみにこの時期と現在の間には、団塊ジュニアが受験期を迎えた90年代前半が挟まれている。この間の時期、定員=分子が抑えられて、受験生=分母が拡大していたのだから、少なくともこれをベンチマークにすれば「質の低下」は避けられない(*5)。 LSに話を戻せば、現状はちょっと多いよな、という感触については自分にもある。もうちょっと少なくていい。定員にして4000程度。これなら新司法試験合格者が3000人ということでも(*6)75%の合格率になる(*7)。 教員の側から見ても、そのくらいの規模で集約して教育する態勢を整えていくのがいいのではないか(*8)。 そして、法務省や文科省が介入するまでもなく、潮目が訪れるのは案外早いのではないか、というのが自分の見立てである。 特に「背伸び」して作った私大は、経営の目玉になると思って作ったのだろうが、合格実績が伸びず学生・受験生が集まらないとなると逆に一気に経営の負担になる。新たな投資をすることで状況を打開するというのも難しい(*9)。経営という観点からは既に厳しいところもあるのではないかと思われるし、そういう大学は“出口戦略”を睨む必要があろう。 そうだとすると、早ければ来月発表の今年度の結果を見て、一昨年・昨年も思わしくなかった大学は来年度以降の募集(今秋入試)の停止を発表する所も出てくるのではないか。今年は出てこない可能性も高いが、ここ2〜3年だろう。(*10) そして、現在はどこも「最初」にはなるまいと根比べをしているが、「最初の一校」が出てくれば一気にLSをたたむ大学が現れる、と読んでいる。(*11)(*12) Matimulog: LS統廃合の足音 |
左岸2008-08-03 Sun 23:59
午後は、デラウェア川を渡るフェリーに乗ってニュージャージー側へ。
で、このAdventure Aquarium、対岸から眺めるとちょっとうらぶれたようにも見えていたのだが、実際に行ってみるとどうしてどうして、規模も大きいし、施設もイベントも充実している。 夏休みの週末だし、家族連れを中心に混み合うのももっとも。
サメ特集をやっていた。 生サメを触れるコーナーもある。触った。鮫肌だった(笑)
|
||||||||||||||||||||||||||||||||
右岸2008-08-03 Sun 22:38
先日、Penn's Landingに行ったときに寄れなかった(*1)Independence Seaport Museumに行く。
ホームページによると日曜の午前は無料ということだったので、日曜にもかかわらず午前中から動き出す。が、「無料」というのは不正確で「任意の額、寄付」なのであった!(*2)札が20ドル札しかなかったので慌てる。洗濯用に崩したクォータを幾つか放り込む。 Museum自体は船の模型や潜水具とかを展示して、海の技術と生活を紹介するという趣向。ボート工房もあったが実作業はやっていなかった。 「海」がテーマの博物館なら普通かなと思ったが、特別展で黒人の水夫や漁師のoral historyをやっていたのがアメリカらしいと言えばアメリカらしい。
しかし、 博物館本体よりも面白かったのが、併設(?)(*3)されている、19世紀末〜20世紀初頭、"world power"(*4)としての砲艦外交を担った防護巡洋艦Olympiaと、第二次大戦期に日本軍とも対峙したバラオ級潜水艦Becuna。いずれも退役後、整備され、見学できるよう公開されている。 手前のBecunaから入ってOlymipiaを廻って出てくるself-guided tourになっている。 【軍事と聞いただけで思考停止する方はここでお引き取りを(*5)】
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一般条項の憂鬱2008-08-03 Sun 02:33
例によって調べ(られ)ないまま書く。
中山先生がフェアユースを導入する考えを固めた、らしいとのことだが(*1)。 立法技術的に云々 - 雑種路線でいこうまぁ、発生論的に言えば、そりゃ無理だ、というのが英米法ウォッチャーの感覚。 アメリカのフェアユースは元々判例法で、制定法に入ったのも判例法の条文化という位置付けになる。 日本の司法部に(*2)、そのイニシアティヴで条文にない判例法を創設・展開することを期待するのは難しい、とは言える。 しかし、機能論的に言えば、大陸法国でもできる。というか、昔からやっている。 権利者のロビー攻撃を受けない著作権政策、津田大介氏らが議論ここで指摘されているのは、政策決定のフォーラムを司法部に移すべき、ということで、法技術的には、条文レベルでは抽象的な規定のみを置いておき、具体的な場面でどうなるかは事件になってから訴訟の中で裁判所で決めるというアプローチ。 iSummit2008(表バージョン)の話 - 天秤の館にて ~Thinking at the balance’s manor~で、条文に書いてあるのは抽象的な規定だけ、その中身がどのようなものであるかは事件を待って初めて分かる、という規定はもちろん、一般条項と呼ばれて、昔から六法の中に書いてある。条文の中にはそういう規定があることは、法学部の一年生で習う。フェアユースを立法化するというのは一般条項を著作権法に書き込むことに他ならない。 従って、法理論・法技術の大枠のところから言えば、大陸法国でもフェアユース的な規範を持つことはできる。 だが;(ここから本題) 果たして、うまくworkするであろうか。 何故そのような疑問を呈するかというと、前述の通り一般条項なるもの自体は法学部の一年生でも知っているシロモノであるわけだが、現代日本法においては、一般条項の地位が低下しているのではないか、という感触があるからだ。 一般条項を書く一般条項といってまず思い浮かべるのは民法90条なわけで、かなりクラシカルな規定なわけである。最近の立法で一般条項らしい一般条項を思い出せない。 や、もちろん「最近の立法」を全部チェックしているわけでもないし(*4)(*5)、そもそもいずれの規定が「一般条項」に当たるかも相対的なものなのではあるが。 しかし、本当にそうか、近時の立法では一般条項はあまり盛り込まれないといえるか、という問いは検証するに値すると思う。 そしてもしその通りであれば、それは何故か、という問いが続く。 一般条項を置くということは権限を司法部に授権するということで、権力が起草者から適用者に委譲される、ということを意味する。 池田先生にいわせれば、「官僚が権力の源泉としようとしているからだ」ということになろうが、しかし規制立法が複雑怪奇な条文テクストに仕上がるのは別に日本のお家芸ではなく、アメリカでも同様である。従って、「大陸法だから」「英米法だから」という説明はあまり成功しているとは思わない。 もっとも、アメリカの膨大な弁護士人口は難解な条文テクストを読み解くに足る知識労働者を供給している。ついでに官僚機構自体の編成が違っていて、リボルビング・ドアとも揶揄される官僚の人員の機構外との出入りは、それぞれの政策領域において、外部の専門家との協働/一体性を生み出しているとも評価できる。官庁による独占的な構造はない。官僚制のあり方が違う。(*6)(*10) さらにアメリカの状況を敷衍すれば、条文を書いているlawyerもかつては法廷に立ち、あるいはやがては法廷に立つことを想定しているのだとすれば、ある政策領域のある局面で司法部に決定の詳細を委ねるアプローチを採用するのに躊躇しない、というのも理解できる。 一般条項を使うレベルの異なるまた別の問いは、一般条項を与えられた裁判官は、果たしてそれを活用できるだろうか、というものである。(*7)最近は、一般条項の使い方が硬直的なのではなかろうか、先例で既に認められているものを越えて新たな適用類型を創設していくことに裁判所が制限的なのではなかろうか、という直観がある。 それを感じたのが、昔、消費者契約法ができた頃に調べ物をしていた時で、どの文献を見ても「民法上の救済が不十分だから」というのが枕詞になっている。錯誤では、詐欺では、強迫では対応できないから、って、何故対応できないのー?概念を再構成して新たな適用をして判例法を発展させていってもいいじゃん、とcommon lawyerは思うわけである。 もちろん、先と同様、これは本当にそうか、というのは検証してみないといけない。(自分は日本法ウォッチャーではないから、偶々視界に入ったものしか見ていない。) もし本当にそうだとすれば、やはり、それは何故か、という問いが成り立つ。裁判官が(かつてに比べると?)先例がある場合に拘り、条文と事案を虚心坦懐に眺めて大胆な判断をすることが(少)なくなっているとすれば、何故か。 一つは法曹(養成)制度に要因があるのかな、とは思っている。司法試験(LS含む)で勉強する実定法は当然判例を含むわけで、そしてそれを問われる養成課程で優秀な人物が裁判官になるわけである。そういう感覚からすれば、(例えば)民法90条の規範的内容というのは民法90条の判例が指し示すもの、なわけである。で、その範囲を踏み越えようとはしない。 もっとも、これは権力を行使する官職(Amt)の保持者として、健全な感覚でもある、とも思う。裁判官がその職務の正当性/正統性を「法の適用」に求めるのであるとすれば、その範囲を踏み越えようとしないことは、自らの権力についてsensitiveな態度を示すものでもある。(*8) しかし他方、日本は法理論の形式的には先例拘束性がないといいつつ、事実上の先例拘束性は強いともいわれるわけである。 英米法系の判例法主義はしばしば(英語の文献でも)「=先例拘束性」として把握されるが、私見によればこれは片手落ちである。判例を創出し、判例法を展開させるcommon law powerと、先例拘束性が合わさって、初めて判例法主義が機能する。 条文だけを考える場合と、判例も考慮に入れる場合とでは、後者のほうが当然に規範の分量が多く、領域当たりの密度も濃い。要するに、より、ガチガチに固まっている。そういう状況で、先例拘束性だけを使って思考すれば、「もう決まっちゃてるねー。仕方ないねー」としか言いようがなくなってしまうのも道理である。 ここで必要なのは、先例を操作し、区別し、必要に応じて条文それ自体とその「精神」に立ち返ることであり、それなくして一般条項が機能することはなかろう、と思うわけである。(*9)
【2008/08/07 20:37 追記】
うわ、「一般条項」と「一般規定」がごちゃ混ぜになってる。みったぐない(>_<) ので修正しました。 が、恥を保存するのも大事なので、コメントアウトだけでソースには残っています。 他にtypoを若干。 【関連】ライセンスとガイドラインとニコニ・コモンズ - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する米国型違憲審査制についての覚え書き - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する 日本の統治のスタイル - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する ユーザとクリエータの間 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する コモンロー的なるもの? - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する みくみくになるのかな - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する Not Even Justice, I Want to Get Truth - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する |
一段落?2008-08-01 Fri 22:13
いろいろと貯まってしまっている。
原稿の最中に校正を送ってこないでくれー |
|
2008-08-01 Fri 03:47
ふらふら〜
とりあえず寝る。 いつものことながら自分の遅筆がイヤになるね。 |
|
| HOME |
|























































