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2008.07.01 (Tue)

儀礼的関心?

(都市)社会学に「儀礼的無関心」という概念がある。
儀礼的無関心とは - はてなダイアリー
知らない人に、あえて、もしくは、いつの間にか、儀礼的に無関心を呈示をする/している現象のことを指す。見知らぬ他人同士のあいだで、不要な関わりが生じるのを避けるための暗黙のルール。
そこで行われることは、相手をちらっと見ることは見るが、その時の表情は相手の存在を認識したことを(そして認識したことをはっきりと認めたことを)表す程度にとどめるのが普通である。そして、次の瞬間にすぐに視線をそらし、相手に対して特別の好奇心や特別の意図がないことを示す。
(E.ゴフマン『集まりの構造』丸木恵祐・本名信行訳/誠信書房/1963=1980:p.14/asin:4414518040)
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B5%B7%CE%E9%C5%AA%CC%B5%B4%D8%BF%B4
この考え方自体は--自らの行動に鑑みても--腑に落ちるのだが;
そして以下の現象自体は比較文化や海外マナーブックでよく指摘されている事項だが;
アメリカの社会の中に身を置いていると「本当か?」と思うこともある。
というのも当地では、見知らぬ他人と(も)目が合うと、前記ゴフマンの引用にあるように視線を逸らす前に、ニコリとスマイルする。それから、視線を逸らす。
日常的に。例えば、廊下ですれ違う際に。エレベーターに乗り込む際に。

そこにあるのを、単なる「無関心」としては把握しきれないように思う。
むしろ、スマイルすることで形式的な友好関係をアピールするという、「儀礼的関心」とでもいうべき現象があるのではないか。

…そこから先は社会学者さんよろしく。
「承認」はどのようにして得られるのか? - Thirのはてな日記
「我々は欧米人が行っているような、激しい承認の「型」を持っていない。…相手を褒めることや、逆に褒められることに慣れていない。つまり承認応答の型を持っていないのである。自分の存在がそこで承認されていること、コミュニティ内で承認を受けていることが、存在していても自覚できないのである。自分が他者の存在を承認していたり尊敬の念を持っていたりしても、その観念を表現として相手に表すことができないのが問題なのではないか」
http://d.hatena.ne.jp/thir/20080629/p1
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テーマ : アメリカ合衆国 - ジャンル : 政治・経済

01:57  |  身辺雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.07.01 (Tue)

社交としての宗教

学部生の頃、ウェーバーを読んでいて(*1)、「教会」に関する記述がぴんと来なかった。何故、社会学における考察の対象として教会がそのように重要なのだろう? 宗教=内心に関わるのだから、外に現れた行動を対象とする学においては二次的な要因に留まるのではないか。

アメリカに来て、こちらの空気を吸って、認識を改めた。
宗教/教会というのは、教義=世界観の提供という側面も重要だろうが、実際の生活においては、まずは社交の場として機能している。(*2)
他の局面に加えて、教会((で)の活動)という形で、生活に側面が一つ加わっている。
ヨーロッパの状況はよく知らないが、同様か、本家らしくより強く浸透しているのだろう。


「承認」と「宗教」の関係を問うのならば、後者による世界観の提供という側面に行く前に、そのような「社交」の回路としての側面を無視すべきではなかろう。

もっとも、「社交」に注目するのであれば別に「宗教」にリンクさせる必要はない。生活に「宗教」という側面があれば「社交」の回路が一つプラスで確保される、ということである。

むしろ日本社会へのインプリメンテーションという意味では、宗教に限らず、「社交」の回路を見直す、というのが現実的な戦略として有効であろう。
戦後日本社会は生活における「社交」を徹底的に破壊してきた。大概の人付き合いを企業の内に回収していき(*3)、残ったのは子供の学校を通じた関係位であろうか。

そこで、新たな「社交」の回路を、多様・多元的に、展開するのが望ましい。(*4)
で、その萌芽は既にあり、例えばネット上のつながりのオフ会などというのはそのようなものとして把握できるだろう。(*5)ということで、自分は現状を楽観はしていないがあまり悲観もしていない。
承認欲求って昔から政治権力や宗教の源泉だよ - 雑種路線でいこう
「戦後に伸びた新興宗教って、地方から東京に出てきた層に帰属とか承認を提供したこ…。本来は承認の供給不足が問題だったら、それは宗教がシャンとしなきゃいけないんじゃね?」
「自己承認欲求とどう向き合うかについてのLife Hackって伝統的に地域社会や宗教が担ってきた役割であり、高度成長期以降の日本はどういう訳かそれを会社が肩代わりしてきたんだろうけど、会社がその役割から降りて、承認欲求に対するケアから零れ落ちる層が増えたことが問題なんだろうね。」
http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20080629/wel
承認欲求・マズロー周りの、最近の記事クリップ&私見 - シロクマの屑籠(汎適所属)
「宗教と承認欲求/所属欲求の問題は、確かに宗教が担ってきた部分は大きいとは思う。ただ個人的には、新しい宗教を新たに信仰していくのと、「生まれた時から、家族も近所もみなが信仰している宗教に、物心ついた頃から違和感無く包まれている」では、かなりニュアンスが違うと思う。「宗教が承認欲求や所属欲求を提供する」と一言で言っても、自分が小さい頃から信仰して当然としている宗教と、新たにみつけた・入信した宗教では、得られる承認欲求/所属欲求の質的相違は無視できないものだと思う。」
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20080630/p1
『フランスの社交と法』
  • 『フランスの社交と法--〈つきあい〉と〈いきがい〉』
  • 大村敦志(著)
  • 有斐閣、2002年
  • ISBN=9784641047938

【関連】

事物の見え方 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
ヴォランティアの成立し得る空間 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
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死刑:被害者感情論 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
で、誰をひっぱたくのか - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する

テーマ : アメリカ合衆国 - ジャンル : 政治・経済

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