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2008.07.28 (Mon)

今度の月末!3日しかない

とにかくタイピング 無理は承知で

締め切り直前! アタフタしまくり!

部屋はぐしゃぐしゃ… 食料も尽きた…
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23:53  |  身辺雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.07.27 (Sun)

文系学生のための実験授業

更新頻度が落ちているのはリアルで忙しいから…というか、このエントリも現実逃避(汗)
(15)科学実験 文系学生も : 教育ルネサンス : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
「科学に対する視野を、文系の大学生に広げる取り組みが続く。」
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20080726-OYT8T00227.htm
大学でひろがる 文系のための科学実験 (大学プロデューサーズ・ノート 【早稲田塾】)
http://www.wasedajuku.com/wasemaga/unipro-note/2008/07/post_174.html
楽しそー <高校は理系クラスで入試は文理併願して法学部に落ちていたら理転して今頃ナノテクか何かをやっていただろうオレ

高校の先生に直接聞いたのか、高校の先生に話を聞いた大学関係者に聞いたのか忘れたのだが;
「最近の高校生は忙しい」のだそうで、授業でも実験とかをほとんどやらないらしい。
(→そこで、(受験生確保のためのPRの機会である)オープンキャンパスや出張授業では実験を見せて/やらせて欲しい、という話につながる、らしい。)

自分が高校生の頃は授業でガンガン実験していたのだが。
化学など、入試の関係で高3は2学期までに全範囲を終わるから、3学期は「残り時間は全部実験な」とひたすら有機合成をやっていた。で、センター試験が週末にある火曜日だか水曜日だかには目に硫酸をぶち込んだりしていた(笑)(*1)
そういう経験からすると高校で実験をやらないという話がピンと来ないのだが、土曜の授業がなくなった影響とかかも知れない。

とまれ、そうだとすると実験らしい実験にほとんど触れずに大人になってしまう若者も多いのだろうと思われるし、それは科学的な理解力が(も)問われるこの世の中では大問題だと思われるし、紹介されている取組自体は望ましい方向であろう。
ただ、関係の(必然的に理系の、恐らくは実験系の研究室の)先生の、意欲と尽力が必要だろうな、大変そうだな、とも想像する。
こういうのもその種の取組と関係あるのだろうか。

テーマ : ★大学生活★ - ジャンル : 学校・教育

17:19  |  日本社会  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2008.07.26 (Sat)

カタカナ語尾ー

昔、IT絡みの法律論文の翻訳をしていて、技術関係の専門用語の訳に迷った。
そこで、情報科学科出身でそちらの方面で仕事をしている先輩に問い合わせてみた。
特に、単語末の「ー」があったりなかったりするのはどうなのだろう、ない場合のほうが多い気がするのだけれども、と。

回答:「分野によって違う。というか学会によって違う。もっと言えば学会の偉い人が誰かによって違う」

「…そうなのか(^^;;;」と思った。
マイクロソフト製品ならびにサービスにおける外来語カタカナ用語末尾の長音表記の変更について
「マイクロソフト株式会社…は、外来語カタカナ用語末尾の長音表記について、今後の製品やサービスの開発において国語審議会の報告を基に告示された1991年6月28日の内閣告示第二号をベースにしたルールへ原則準拠する方針を決定しました。…
…今後は、より自然な発音に近い表記を採用します。」
http://www.microsoft.com/japan/presspass/detail.aspx?newsid=3491
個人的には語末に「ー」があるほうが不自然な感触があるのだが。何だかダラリとした語感がまとわりつくような。
英語の語尾においても強勢が置かれることはまずない音節だから、英語の発音からもさらに乖離して和製英語感が増すように思う。

テーマ : 翻訳勉強 - ジャンル : 学問・文化・芸術

01:15  |  オレ辞書  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.07.21 (Mon)

思い出の 事件を裁く 最高裁

そんな川柳があるが、裁判に時間がかかるのは日本の専売特許ではない。


エクソン社のタンカー・バルデス(Valdez)号がアラスカ沖合で座礁し、、大量の原油が流出した事故、原油に塗れた海鳥の映像は世界中に流され、その後も大規模環境破壊の象徴であった。
1989年、もう20年近く前になってしまった。直接に覚えているのも20代後半以降だろう。
アメリカ法では、典型的な大規模環境汚染事故として、数多くの論文で言及される、環境法、不法行為法のパラダイム事例でもある。
そんな事件が今開廷期、連邦最高裁に到達している。
Exxon Shipping Co. v. Baker, 128 S. Ct. 2605 (2008)
available at
http://www.supremecourtus.gov/opinions/07pdf/07-219.pdf.
大規模かつ長期間の紛争であるからlegal actions(*1)も錯綜している。その過程でエクソンは諸々の汚染除去費用、罰金・課徴金・和解金等を負担している。
差し当たって最高裁へ上がってきた争点は、漁民・先住民・土地所有者を原告とするクラス・アクションにおいて、被告エクソン側は懲罰的賠償を命じられることありうべしか、あり得るととして額はどうか。
トライアルで陪審に認定された填補賠償額は2億8700万ドル(*2)。これに対して懲罰的賠償は、船長個人に対して5000ドル、エクソン社に対して50億ドル(*3)

Alitoがエクソンの株式を保有していたことから審理に参加せず、8人の裁判官が4:4に分かれて最高裁の判断がなくして下級審の判断が確定する可能性があった。
結論についてはそのようなことはなく法廷意見が構成されたが、一部の論点について4:4に分かれた。
法廷意見はSouter執筆。

代位責任と懲罰的賠償

本件では、船長がアルコール依存症で、問題の事故の際も危険な海域であったにもかかわらず酔っ払って自室に引き籠もっていたことが特に問題視されたわけだが、それでは果たしてそうしたエージェント(代理人)の行為についてプリンシパル(本人)たるエクソン社は懲罰的賠償の責任を負うか。

この論点が最高裁の意見が構成されなかった部分であり、同数で分かれたので、下級審の結論をそのまま維持して=エクソン社はかかる責任を追うものとして検討を進めている。但し、この部分に判例としての先例性はない。

と書かれている法廷意見(の部分)に全員が同調しているので、果たしてどのような意見構成で4:4に分かれたのかは明らかでない。
「控訴審までの判断を維持」という補助線を引くと、そのような立場は後の論点で反対意見に回ったStevens、Ginsburg、Breyerだから、彼らが「エクソン社責任あり」に投票したと仮定。もう1票だから、それは多分書いた本人だろうと、Souterと推定して4:4。…いつものブロック分けで面白くない。

CWAと懲罰的賠償

次の論点は、水質汚濁を規制する連邦清浄水法(Clean Water Act)が、コモン・ロー上の懲罰的賠償を専占するか(*4)。最高裁の判断はCWAをそのように解釈できないというもので、この部分も全員一致。

懲罰的賠償の額

最後の論点が懲罰的賠償の額に対する規制の部分で、一番注目される所。そして5:3で意見が分かれた点でもある。
但し、裁判所のこの部分の判断は海事法に関する連邦裁判所のコモン・ロー権限に基づくものであって、これまで主に争われていた州不法行為法等に基づく懲罰的賠償に対して連邦憲法の立場から介入していくという事件類型とは異なる(*5)。もっとも、懲罰的賠償一般についての認識を示していると読める判示もあり、また部分的にはデュー・プロセスに基づく判例も参照しており、繊細な取り扱いが要求されるだろう(*6)。IV.A-Eは懲罰的賠償制度を歴史及び比較法を含めて概観しており、今後しばしば引用されることになるものと思われる…つーか、「お前はオレか」って感じのまとめ方(*7)なんですが(笑)

さて、この部分の判示のコアはIV.Fになってようやっと出てくる。
言語的定式化はダメだ、固定的な額の上限は定められないとした上で、填補賠償額を基準とするとする。
では填補賠償の何倍にするか。3倍という州がやや多いが、本件のような"worse than negligent but less than malicious"な事件にはうまく当てはまらない。
2倍…連邦や州の制定法でそのようなものが定められている場合とは大分異なる。
というわけで、陪審による懲罰的賠償の裁定の中央値が填補賠償額の0.65倍弱であるとの実証研究に依拠して、「このぐらいでいいよね」と1倍=填補賠償額と同額、でラインを引いた。

Stevens、Ginsburg、Breyerがそれぞれ反対意見を著している。形式上は相互に同調してはいないが、論旨は共通するものがある:
・確かに裁判所は海事法に関するコモン・ローを持っているかも知れないけど、そんな線引きは議会に任せたほうがいいんじゃね、というのと;
・1倍ルールは硬直的過ぎだろ。裁量の濫用さえチェックすれば十分だろ、という点。


「懲罰的賠償は填補賠償と同額まで」という、非常に明快なルールを宣明してみせた訳だが、とにかく「エイヤッ」と線を引くことが優先されて実質的な理由付けは弱いとも思われるし、
Damages Cut Against Exxon in Valdez Case - NYTimes.com
By ADAM LIPTAK
Published: June 26, 2008
"The decision may have broad implications for limits on punitive damages generally."
http://www.nytimes.com/2008/06/26/washington/26punitive.html?ex=1215316800&en=98d7a1adf73586ca&ei=5070&emc=eta1
果たしてこの判示が懲罰的賠償一般に広がっていくか、逆に言えば本件の射程はどの程度かは、かなり不安定、と読む。

射程を広い方向に読んでいけば、
  • 海事法一般
  • 連邦法上の懲罰的賠償一般
  • 連邦憲法のデュー・プロセス条項を経由して州法についても
とまで包含していく可能性があるが、逆に限定的に読んでいけば、海事事件でかつ
  • 代位責任の場合のみ。
  • 環境汚染事件のみ。衝突等、他の事件類型は含まない。
  • 故意がない等、非難可能性が高くない場合のみ。故意・重過失の場合は含まない。
  • 隠蔽工作等がない場合のみ。
  • 他にsubstantiveな額の刑事罰金・行政課徴金を支払っている場合のみ。
  • 填補賠償額が高額な場合のみ。(*8)
といった絞り込みをかけていく余地もある。
実際、法廷意見の判旨もそのように読める箇所がある。
"... [A]wards at the median or lower would roughly express jurors' sense of reasonable penalties in cases with no earmarks of exceptional blameworthiness within the punishable spectrum (cases like this one, without intentional or malicious conduct, and without behavior driven primarily by desire for gain, for example) and cases (again like this one) without the modest economic harm or odds of detection that have opened the door to higher awards...
... [A] 1:1 ratio ... is a fair upper limit in such maritime cases."
Exxon Shipping Co., at 40 (emphasis added).
他にも、本件の事案においてExxon側の行動が取り立ててblameworthyというほどではない、という事情が繰り返し摘示されてそれに依拠して判旨が組み立てられている。
「1倍」というのは一人歩きし易い数字だが、本件の事情の下においての線引きだとして、案外、事情判決的に読まれていく余地もあるのではなかろうか。

射程が不安定だろうと読むもう一つの根拠は、裁判官の意見の分かれ方。
Gore判決を中心とする懲罰的賠償の憲法的規制に関する一連の判例法とは、裁判官の意見の構成が異なり、入り組んでいる。
デュー・プロセス関連事件
規制積極 規制消極
本件 規制積極 Roberts(?)(*9)
Kennedy
Souter
Scalia
Thomas
規制消極 Stevens(*10)
Breyer
Stevens(*10)
Ginsburg
憲法的規制では消極派のScalia、Thomasが本件では法廷意見に同調し(*11)、積極派のBreyereが反対意見に回っている。
これは本件が海事事件=連邦コモン・ローの事件であることから来る。
このことも、射程は案外短いのではないか、という根拠。少なくとも、海事事件以外への影響は小さい、と読む。

テーマ : アメリカ合衆国 - ジャンル : 政治・経済

01:45  |  アメリカ法  |  TB(1)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

2008.07.19 (Sat)

University Museum

あづい。
午前中はまだ涼しい風が入るのだが、午後の数時間はどこかに避難しないと(言い訳)
扇風機を買ったのだが焼け石に水。

今日の避難場所は大学の博物館。
大学にオマケで附属しているものだし、と思って期待しないで行ったらなかなかどうして、本格的だった(*1)。ゴメンナサイ。以前訪れたときは全部観きれなかったので続きを観た。
大学の調査隊が収集してきた人類学的・考古学的資料がメイン。
やっぱり博物館はワクワクするね。知の蓄積。知られていなかったことが明らかになっていく感覚。

University Museum
屋上(?)庭園が涼しげ。


来週の週末を乗り切れば週末も図書館が開くようになる、はず。
22:12  |  身辺雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.07.18 (Fri)

法学徒の守備範囲

フーコー講義録をここまでもってきて読む - インタラクティヴ読書ノート別館の別館
「学問として、そして近代人の基礎教養としての西洋政治思想史にはれっきとした「本流」というものがあって、そこにはボダン、マキアヴェッリ、ホッブズ、ロックといった名前が大きく刻み込まれていて、中心的なテーマはまずはいわゆる「宗教改革」以降の「絶対主義」とともにやってきた「主権国家」であり、その主旋律に対する最も重要な変奏として「自然状態」による「契約説」というやつが絡む。そしてそれら全体を支配する通奏低音は結局のところ「法」である。…
何が言いたいかというと、西洋政治思想史において、「人種」「民族」あるいは「階級」といった、何と言ったらよいのか、生身の人間たちの形成する社会的な集団の問題は、あくまで「傍流」としてのみ扱われてきたのではないか…」
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20080718/p2
ああ、そうか。だから自分はナショナリズムの問題系とかにさっぱり食指が動かないのだな。
やはりどこまでも法学徒なのだ。

テーマ : 法律全般 - ジャンル : 政治・経済

01:03  |  未分類  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.07.17 (Thu)

夏本番

なんか聞き慣れない音が、と思ったらセミの声だった。
そりゃそうか、日本の子供は夏休みシーズンだ。

当地ではぼちぼちLL.M.の英語補修コースが始まっているらしい。張り紙を見掛けた。
3L、LL.M.の皆さんはBarの追い込みの時期である。
20:23  |  身辺雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.07.14 (Mon)

今日は涼しい

朝起きたら雨だった。
暫くは雨というと夕方~宵にかけての広義の“夕立”が多かったので、しとしと系の雨は久しぶり。
ついでに肌寒い位、気温が下がった。
というわけで今日はアパートで仕事。
これが昨日と逆なら仕事も捗ったのに。
頑張って原稿用紙のマスを埋めようとするが、一方は字余りでもう一方は字足らず。うまくいかない。
つーか2本同時に書くなよ >俺 でも本当は3本あるorz
23:22  |  身辺雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.07.13 (Sun)

芸術活動と政治:植民地インドの場合

暑さからの今週の避難先フィラデルフィア美術館
や、書かなきゃいけない原稿があることは分かっているのですが…だからこそ首が回らなくなる前に行っておきたいというか…金曜日のリベンジというか…(汗)

何だかぞろぞろ人が固まって移動しているからガイド付きツアーかと思ったら、一旦出ろとの警備員の指示。アラームが鳴ったとか。
でも反対側のwingは規制なし。

何の予備知識もなしに観たのだが、20世紀前半のインドの画家Nandalal Boseの特別展が面白かった。
1883年生まれで本格的に活動を開始したのが20世紀初頭。イギリスによる植民地支配下のインドで、絵画を含む伝統的な文化が衰退しているとして復興運動に携わり、その代表的な芸術家となり、後進の育成にも力を入れた。

画題はヒンドゥー教の神話や自然の生き物が多い。西洋式リアリズムへの対抗としてのspiritualityを強調したとのことだが、特に後者の画題についてはむしろ写実的との印象も受けた。これを「リアリズム」との対抗に位置付けるというのは、analytical/anatomicalな態度に対する、東洋思想的holisticなアプローチ、ということか。

手法の開拓に当たっては東アジア、特に日本の美術の影響も受けたとされており、特に晩年は"Sumi-e period"として知られるとのこと。それ以前の作品も素人目に観て、水墨画のみならず浮世絵その他日本画の影響が感じられた。
インドの独立運動には日本からの関与も指摘されるが、それと関係あるのだろうか?

タゴールやガンディーとも親交があったということで、「過度に政治的にならないようにしつつ」ガンディーの思想の普及にも寄与したとのこと。
23:45  |  身辺雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.07.11 (Fri)

金曜の夕は

帰りがけ、大学の前のカフェが何やらイベントの準備をしていた。
Bastille Day 1
"Bastille Day"らしい。だから↑右端は監獄の門だな。
尤もバスチーユ監獄の襲撃は14日だった気がもの凄くするのだが、まぁそこはそれ誤差の範囲ということで、お客の集まる金曜の夕方にやっちまおう、ということだな。
Bastille Day 2
従って飾り付けもトリコロールである。
Bastille Day 3

フィラデルフィア美術館、通常は17時閉館の所、金曜日は夜まで開いているのだが、今日は違った。
アクセスが制限され、警官が警備に当たっている。
フィラデルフィア美術館 07/11 a

騎馬警官(trooper)まで出ていた。
フィラデルフィア美術館 07/11 b 騎馬警官
フィラデルフィア美術館 07/11 c 騎馬警官
館員らしいお姉さんに聞いてみたら、"Governor's private function"があるのだと。
州知事のやることだから"private"といっても「総理大臣の私的な懇談会」みたいなものだと思うが。
22:46  |  身辺雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.07.10 (Thu)

TOYAKOとTOKYOは何か似ている

サミットも終わったようで。
そうでなくてもビミョーな感じのサミットだったようだが;

日本のマスコミの論調は、温暖化ガス排出に関して「日本の努力で、数値目標は盛り込めなかったが何とかアメリカを説得して一応のコミットメントを引き出した」という辺りだと思うが;
M氏と世間話をしていたら、どうやら海外での評価は「フクダはブッシュ(とハーパー・カナダ首相)とつるんで温暖化ガス排出へのコミットメントに反対するヤツ」という感じらしい。

日本政府の立場が海外メディアに伝わっていないのか、日本のジャーナリズムの情報収集and/or分析能力が不足しているのか、情報不足で自分には評価できないが;
いずれにせよ、日本のマスコミ(へ)の対応に問題があるのは確かだろう。
globeandmail.com: G8 takes small step on climate
CAMPBELL CLARK
Globe and Mail Update
July 8, 2008 at 7:59 AM EDT
"Environmentalists ... lumped Canadian Prime Minister Stephen Harper, who according to government officials urged other G8 leaders to be "realistic" about mid-term targets, into a group of leaders obstructing tougher action, along with U.S. President George W. Bush and Japanese Prime Minister Yasuo Fukuda."
http://www.theglobeandmail.com/servlet/story/RTGAM.20080708.wg8_canada0708/BNStory/International/home

テーマ : 政治・経済・時事問題 - ジャンル : 政治・経済

01:23  |  日本社会  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.07.09 (Wed)

死刑の対象犯罪の範囲

ある朝、妻の連れ子(stepdaughter)(8歳)を強姦し、医師に「初めて見た」と言わせしめた多量の出血を伴う傷害を内外性器に負わせた、などという鬼畜野郎に同情の余地は皆無なのだが;
「鬼畜野郎」ではあっても「鬼」ではないので「鬼退治」はできない。
Kennedy v. v. Louisiana, 2008 U.S. LEXIS 5262 (No. 07-343, June 25, 2008)
available at
http://www.supremecourtus.gov/opinions/07pdf/07-343.pdf.
事案の概要は冒頭の通り。
関連情報を若干付け加えると
  • 被害者は当初、被告人の主張と同様に近所の少年が加害者であるとしていたが、後に証言を変え、トライアルでもそのように証言した(トライアル時13歳)。その理由を被告人にそのように言われたからだとした。
  • 被告人の前妻の従妹=名付け娘も、8歳の時に数度、性交を含む性的暴行を受けたと証言した。こちらについては法的な訴追は為されていない。
  • 第三者の証言や物的証拠についても被告人=加害者とするストーリーと一貫し、被告人側のストーリーを支えるものは弱い。訴追手続自体については争われていない。
殺害の故意なき単純強姦に対する刑罰としての死刑はCoker判決(*1)で第8修正違反とされているが、同判決は被害者が成人女性の事案であった(*2)
児童への性的虐待への懸念が強まる中、児童のレイプ等に対して死刑を規定する州が現れた。本件のルイジアナ州はその嚆矢であり、そうした立法(*3)に基づいて死刑判決を受けた被告人が第8修正違反を主張して争った事例である。

関連する先行判例として主要なものはCoker判決の他に
  • Enmund判決(*4): 被害者の死を帰結した強盗を幇助していたが、被告人自身は殺害に加わらずその故意もなかった場合の死刑は違憲
  • Atkins判決(*5): 精神遅滞の被告人に対する死刑は違憲
  • Roper判決(*6): 犯行時18歳未満の未成年だった被告人に対する死刑は違憲

5:4。
法廷意見はKennedy執筆、Stevens、Souter、Ginsburg、Breyer同調。
反対意見はAlito執筆、Roberts、Scalia、Thomas同調。
Kennedyが法廷意見を執筆したことの意義は先に指摘した通り。

法廷意見が、第8修正事件では既に定着した審査基準だといえる
「成熟しつつある社会の進歩を示す、品位の発展的な基準the evolving standards of decency that mark the progress of a maturing society」(*7)
をガイドラインとし、さらにその具体的適用にあたってはRoper、Atkinsに倣って各州の動き→第8修正の目的についての独立の法理論的検討ないし道徳的・倫理的判断、という枠組を採用している(*8)のに対し、反対意見もこの枠組に基本的に乗って議論している(*9)
そこで、論点毎にまとめてしまうのが分かり易いだろう。
法廷意見 反対意見
「国民的コンセンサス」 現在、児童強姦に対する死刑を認めているのはルイジアナを含め6州(*11)である。44州は児童の強姦を死刑が可能な犯罪としていない。この数字はAtkinsやRoper、Enmundでの数字よりも大きい。 Coker判決のholdingが成人の被害者に関するものであるとしても、傍論はあらゆる強姦に対して死刑を認めないものだと理解され得るものだった。故に、(立法時には合憲性が確認されていたAtkinsやRoperとは異なり、)児童強姦死刑立法が低調であるという立法の動向は立法部や選挙民の価値判断を反映したものだとはいえない。
Coker判決は被害者が成人の場合についての判断であり、児童である場合についての死刑を禁じるものではない。そのようなものとして州立法部が誤解していたとの証拠はない
1994年連邦法は、死亡の結果を伴わないものも含め、死刑が可能な犯罪の範囲を拡大したが、被害者の死を伴わない児童強姦はそこに含まれていない。 関連する連邦法のコントロールする領域的範囲・強姦事件の数は限定されており、そのような事件類型に連邦議会が関心を示していないことが社会的価値の評価を示しているとはいえない。
児童の強姦に対する死刑を許容するほうへの変化の方向の一貫性は見られない。変化の大きさはAtkinsやRoperほどではない。
未採択の法案(*12)は資料にカウントしない。
近時になっての立法動向は新たなラインの展開の端緒を示す。これは近時の児童虐待への懸念と軌を一にする。
法案が廃案にされたのは本件の裁量上訴が認められた後であり、合憲性が確認されるまで立法を延期したに過ぎない。
RoperやAtkins、Enmundでは問題の類型の死刑執行が稀であった。
同様に、Furman判決後に(成人を含めた)強姦に対して死刑が執行されたのは1964年以来なく、その他の生命侵害を伴わない犯罪に対する死刑は1963年以来ない。
児童強姦に対して死刑を宣告したのはルイジアナが初めてであり、そのような死刑囚は本件被告人を含めて同州の2名のみである。
この期間は死刑の合憲性にかかる訴訟のため、執行が停止されていた期間を含む。
本法の下、ルイジアナにおいて検察官が死刑を求刑したのは4件であり、陪審はその内2件に対して死刑の評決を返したのだから、50%の高率である。
故に児童の強姦に対する死刑に反対する国民的コンセンサスが形成されているといえる。 連邦議会も陪審の行動も法廷意見のいう国民的コンセンサスを示しているとはいえない。州立法の動向は社会の品位の水準を示していない。
新規立法を為した6州が新たな「国民的コンセンサス」を確立しつつあるとするものではないが、その可能性はあった。法廷意見はその可能性を封じた。
応報目的 本件のような強姦の被害児童が被る被害は深刻で長期間に亘るものだが、このことは死刑が均衡ある刑罰であること帰結しない。判例法は死刑の課され得る犯罪を限定してきている。
本件では(国家的法益ではなく)もっぱら個人的法益のみが問題となっており、そのような場合には生命が奪われなかった事案には死刑は適用されるべきではない。死刑が応報目的に資することはないとはいえないが、殺人と児童強姦とは区別されるべきである。
Coker判決の下、児童の強姦に対する死刑は合憲だったのであり、死刑を拡張したことにはならない。第8修正の法理は一方方向のものではない。
国家的法益の侵害のほうが重大であるとの論証はなされていない。
あらゆる児童強姦より殺人のほうが残虐であるとはいえない。児童に対する強姦魔を通常のアメリカ人は道徳的堕落の典型と見るだろう。少なからぬ被害者が、身体的・心理的被害を被る。(AtkinsやRoperでは、問題となった要素が有責性を減じていると判示されていることと対照的である。)
死刑を許容することが被害者の苦痛の慰撫に有効かは明らかでない。被害者は長期の刑事手続に巻き込まれ、また道徳的選択を強いられる。 第8修正は被告人を保護するものである。被害者の利益は立法部における政策判断の際に考慮に入れられるべき事項であるとしても、立法を違憲判断する基礎を提供するものではない。
最も残酷な児童強姦のみに死刑を限定し、かつ恣意に陥らない基準を見出すのは困難である。殺人に関連して発展してきた基準を適用することは解決策とはならない。40年以上死刑が執行されてこなかった犯罪について今から同様の過程を開始することは不適切である。 手続上の懸念は、どのように慎重に立法されているものであるかにかかわらずあらゆる児童強姦死刑立法を違憲とする基礎とはならない。 現行児童強姦死刑立法は具体的な要因によって対象犯罪を限定している。その他の基準を案出することも容易である。(これらは殺人について合憲とされてきた加重事由よりも明確なものである。)
児童の証言の能力については問題が指摘されており、この問題は被害児童が主要な証人となる児童強姦において大きい。 第8修正は手続上の問題を提起するには不適切である。あらゆる児童強姦事件に児童の証言の問題が存在するわけではない。独立の証拠が十分な事件にのみ限定することも考えられる。
抑止 加害者への否定的な結果の懸念が性犯罪の通報を躊躇わせ得、加害者が家族である場合には特にそうである。死刑の可能性はこれを増幅し得、抑止・効果的法執行の障害となり得る。
加害者に被害者を殺害するインセンティヴを与えることになる。
以上を総合考慮すると、児童強姦に対する死刑は均衡を逸した刑罰である。
裁判所ではなく立法部に判断を委ねるべきとされるかも知れないが、確立した第8修正上の法理は死刑の利用を限定することを求めており、現時点においては被害者の死を伴わない犯罪に対しては科されてはならない。

Linda Greenhouseは法廷意見に死刑廃止の方向性は見出せないとするが、
Justices Bar Death Penalty for the Rape of a Child - NYTimes.com
By LINDA GREENHOUSE
Published: June 26, 2008
"...[T]here was no suggestion from the majority that the court was moving toward the abolition of capital punishment, which Justice John Paul Stevens called for in an opinion two months ago that no other justice joined."
http://www.nytimes.com/2008/06/26/washington/26scotus.html?_r=1&ex=1215316800&en=be186ea9705d3eb8&ei=5070&emc=eta1&oref=slogin
例えば法廷意見の末尾には
"Difficulties in administering the penalty to ensure against its arbitrary and capricious application require adherence to arule reserving its use, at this stage of evolving standards and in cases of crimes against individuals, for crimes that take the life of the victim." (emphasis added)
とあり、強調部分などはそう読む余地もあると思うが、いずれにせよ近い将来に連邦最高裁が連邦憲法上、死刑制度それ自体が違憲と判断する見込みがないことはその通りだろう。
だが、(個人的法益の侵害について、という限定付きとはいえ、)死亡の結果を伴わない限り死刑を利用してはならない、という判示は、ある意味常識にかなうものだが、幅広くsweepingでもある(*13)。むしろ、本判決で死刑の利用を限定したのは、適切な犯罪類型を小さく削り込むことで死刑制度それ自体の維持を狙ったもの、と評価することも不可能ではなかろう。


ところで、法廷意見、反対意見とも、連邦法は児童の強姦に対して死刑を規定していないことを摘示している。
しかし実は2006年の改正により、軍事法廷において、児童の強姦について死刑が可能であることとなっていた。当事者もその他の関係者も手続中、同法を摘示しておらず、指摘されたのは判決後、軍の弁護士のブログ上において、という珍事が起きた。
In Court Ruling on Executions, a Factual Flaw - NYTimes.com
By LINDA GREENHOUSE
Published: July 2, 2008
http://www.nytimes.com/2008/07/02/washington/02scotus.html?ex=1215662400&en=1eb028f2970b2fcd&ei=5070&emc=eta1
当事者は再審理を申し立てることも可能だが、この点は判断において決定的なポイントではないし、結論が覆る可能性は低いであろう。
面白いのは、ここで槍玉に挙がるのが裁判所ではなく、当事者や法廷助言者である、ということである。特に連邦司法省は、briefの提出すらしておらず、本件に関心すら示していない。

日本であれば「裁判所は法を知っている」から適用法条に誤りがあれば大騒ぎだが、ここではむしろ当事者らが裁判所の注意を喚起できなかったことに焦点が集まっている。
憲法裁判の特殊性はあるかも知れないが、法情報の存在形式ないしステイタスや、訴訟における当事者と裁判官の機能分担について、興味深い法文化的現象である。
連邦司法省はミスを認めた。
Justice Dept. Admits Error in Not Briefing Court - NYTimes.com
By LINDA GREENHOUSE
Published: July 3, 2008
http://www.nytimes.com/2008/07/03/us/03scotus.html?ex=1215748800&en=3df542c2888fe2a4&ei=5070&emc=eta1

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12:31  |  アメリカ法  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.07.07 (Mon)

ライセンスとガイドラインとニコニ・コモンズ

ニコニ・コモンズとクリエイティブコモンズ・ライセンスの誤解について瑣末な点ながら指摘する - 半可思惟
「ニコニ・コモンズはライセンスではなく利用ルールないしガイドラインである。ガイドラインであり、そしてサービスの枠組みの中で利用者が管理され追跡可能であるような設計をしているからこそ、上記問題点をクリアできるのだろう。逆に言えば、そこがニコニ・コモンズの限界を画することになる。」
「ニコニ・コモンズはライセンス契約ではなくガイドラインであり、著作者の一方的な宣言によって事後的に変更することが許されているからであろう。それは「柔軟」かもしれないが、利用者にとってみれば当初の利用条件が変更されるというリスクが大きく、法的安定性に欠く。」
http://d.hatena.ne.jp/inflorescencia/20080706/1215340015
あいまいな日本のニコニ・コモンズ - 雑種路線でいこう
「inf.女史が鋭いなぁと思うのは、ニコニ・コモンズがこういった柔軟性を発揮できている理由がライセンスではなくガイドラインであることを見抜き、それが法的安定性に欠く等の課題を抱えていることを指摘しつつ、ニコニコ動画の中であれば問題ないと気付いていることだ。」
「僕はニコニ・コモンズを契約ではなくガイドラインとして設定したことは、極めて秀逸な経営判断と感服する。ひとつは先に述べたように、ガイドラインだからこそ契約の方技術的な制約に縛られず、収益構造に合わせて柔軟な制約をかけられることである。…
…役所や経団連が躍起になってコンテンツ業界に契約主義を持ち込もうとしたにも関わらず、成功していない。
そのことが時にコンテンツの再利用を阻害している一方で、クリエイターの思い入れを受け止めた柔軟な貸借関係を設定し、法執行とは別のガバナンスを働かせてきた。業界の暗黙の了解と比べればガイドラインはずっとオープンだし、クリエイターの思い入れを斟酌した柔軟な権利設定ができる。」 http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20080706/nicoc
重要な指摘。
現時点ではだが私見を付け加える準備も能力もない。他日のためのクリップ&論点の指摘のみ--しかも実務的ではなく理論的な(*1)
・ソフト・ロー論との接合の、知的財産の分野における可能性。
・CCライセンスは英米財産法における制限的約款(restrictive covenant)に範をとったものと思われるが、本当か。直接の出自を確認できないとしても、機能的には類似するのではないか。だとすればそれを参照した検討の可能性。
・何故「契約」ではダメなのか。契約に「後日ライセンス条件を見直すかも」と書き込むのとどう違うのか。

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01:12  |  日本社会  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.07.07 (Mon)

ID

ID = identification
〔名詞〕
身分証明書。

英語だと、ID = identification = (自己)同一性の表示、「お前が何者であるか」を問う、という、とても個人主義的な構成。

日本語は「『身分』証明書」、『身』の『分』の証明。社会全体のコンテクストが所与のものとしてあって、その何処に配置されるのか、という発想。

テーマ : 英語 - ジャンル : 学問・文化・芸術

00:53  |  オレ辞書  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.07.07 (Mon)

Photo ID

アメリカでは日常的にphoto ID(写真付き身分証明書)を求められる場面が多い。
よくあるのが、クレジットカードを使う際や、お酒を買う際。後者は未成年に飲酒させないための年齢確認のため。飛行機に乗る際、というのもある。
先日も選挙の投票の際にphoto IDを要求することが合憲とされたばかり。

しかも、state photo ID=政府の発行する写真付き身分証明書、であることが要求されることも多い。
一番ポピュラーなのは当然、運転免許証であるが、別にこれに限らない。他にはパスポートや銃の所持免許などもあり得る。
ここからが本題で、そういった、他に何かの「免許」や「許可」を取得していない/取得するつもりのない人でも、state photo IDがないと生活に困るわけである。
そこでどうするかというと、単なる証明のためだけの身分証明書を、多くの州(*1)が発行している。しばしば(*2)、運転免許と同じ運輸担当部局が管轄している。

何が言いたいかと言えば、日本政府もそういう「証明のためだけの身分証明書」を発行することも考えられるのでは、と。
まぁ原付の免許なんかは実技なしの学科のみで取れるから主婦の人とか身分証明書代わりに取る人もいると聞いたことが。あ゛、住基ネットのあれとかはそれを狙ったのかいな。
Kousyoublog | なぜ運転免許証=身分証明書の最たるものになったのか?
「自動車免許証を持たない生活をしているとわかるのですが、免許証はパスポート、住民票、健康保険などの公的証明書より遥かに重要視されます。」
http://kousyoublog.jp/?eid=1749

さてそれではアメリカでは何故そう頻繁にphoto IDの提示を求められるのか、という問いはもちろん重要な問いとして立てることができる。
(きちんとリサーチしたことはないものの体感的には)どうも「(state) photo IDを持っている/提示することができる」=「“ちゃんとした人”and/or“一級市民”である」という観念というか感覚というかがあるのではないか、と思っているのだが。傍証として、911テロ後、航空機のセキュリティが上がった際に、その一環として搭乗の際の身分証明書の提示が求められるようになったことを指摘できる。
無論これを裏返すと、「そうではない」(とされて(しまって)いる)人が社会内に普通に存在している、ということでもあり、貧富の格差の問題や不法移民の問題へとつながっていくわけだが。

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00:41  |  アメリカ法  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.07.07 (Mon)

習得し難い言語

昔、特に意味もなく「語学をマスターしよう」を思い立って、しかし貧乏学生だったのでお金をかけることもできないかったから、差し当たりNHKラジオの語学講座を片っ端から聴くことにした。これなら一言語一ヶ月2百数十円のテキスト代のみ。
全講座制覇、は放送時間と録音機材の兼ね合いで無理だったが(*1)、とにかく片っ端から聴いてみた。
しかし取り立てての目的意識もなく聴いても身に付かないわけで、いずれも精々綴りの読み方(*2)を覚えたくらいだった。
大学で第二外国語だったドイツ語も使い物になっていないんだよなー
経験則1: 語学は十代までにorz

しかし複数の言語を横に並べてみると見えてくるものもあって;
経験則2: 綴りと発音との一対一対応がしっかりしている言語ほど覚え易い

綴り→発音の対応がきっちりしていると、その法則性さえマスターすればテキストから音を再生できるようになる。そうすると早い段階からテキストさえあれば学習を進めることができるようになって、自学を促進する。

発音→綴りの対応がきっちりしていると、ブツブツ口で覚えたことが、そのまま書き言葉としても再生できるようになって、両者の協働に好ましい。
このことを感じたのがフランス語で、フランス語は黙字が多いので特に発音→綴りの対応が崩れ易い(読まれない子音字によって綴りが違ってくる)。他方、フランス語は主語の人称で動詞を活用する。にもかかわらず、綴りは違っても読まれない子音字のみしか異なっていない場合も多くて、活用表をブツブツ口に出しても綴りには復元されないので結局覚えなかった。

自分が取り組んだ中で綴りと発音の一対一対応がよくとれていたのがスペイン語。
この基準だと、英語はあまり習得し易い言語とは言い難い。綴り→発音の対応はまだマシだが、発音→綴りの対応はかなり悪い。

さて、この基準に照らすと、日本語は後天的学習者にとっては最悪に近い言語だと思う(汗)
発音をそのまま書き下せるだろう、って? 仮名だけならばその通り(*3)。しかし、漢字が厄介。
同音異義語を漢字の使い分けで区別している例は多い(発音→綴りの対応の崩れ)
他方、一つの漢字の読みが音・訓、さらにそれぞれ複数あるのもザラ(綴り→発音の対応の崩れ)
漢字圏出身の留学生が苦労しているのも見ているし、非漢字圏の西洋人だと日本語の会話は全くペラペラの人でも読み書きが覚束ない場合もままあって、それはそれなりに理解できる。

便利なんですけどね、漢字かな混じりの日本語システム(*4)
ひらがな、カタカナ、漢字を使い分けられるのが日本語の強み - Zopeジャンキー日記
「「日本語は漢字が多すぎ、むずかしすぎるため、日本語の読み書きや習得、普及などに困難を生じている」という問題意識」
http://mojix.org/2008/07/05/hiragana_katakana_kanji

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日本人の範囲・枕 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する

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00:15  |  日本社会  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.07.04 (Fri)

フォースを信じるのだ

今日は独立記念日、"Independence Day"というより"Fourth of July"というほうが早い。
昨夜は日付が変わると同時に近所の若者が"Happy Birthday, America♪""O say, can you see, by the dawn's early light♪"としばらく騒いでいた。

今日は、Independence Mallを偵察に行くことに。
Indepence Mall
Visitor Center
Mallはこんな感じ。 Visitor Centerの前。
写真は撮らなかったが、中絶で取り出された胎児の写真を掲げている中絶反対グループもいた。
National Constitution Center
Fed
National Constitution Center その隣はフィラデルフィア連銀だったりする。

天候も暑くなかったので、そのまま周囲を彷徨ってみた。
フィラデルフィア連銀から裏手のほうに回っていくとFranklin Square(という公園)がある。
Franklin Square
Franklin Squareのメリーゴーラウンド
子供を連れてくるにはベスト!とか書いてあったが、そんなこと言われてもあんまり関係ないorz ワシがあるのがアメリカ風。

さらにそこから数ブロックでチャイナタウン。
そこにチャイナタウンがあることは以前から地図で知っていたが、実際に言ったことはなかった。Kmartのすぐ裏手だった。
チャイナタウン・門
チャイナタウン・消防署
チャイナタウンっぽい、門。 チャイナタウンは消防署(たぶん)もドラゴン。
チャイナタウン・街路表示
チャイナタウン・銀行
チャイナタウンは街路表示も漢字。

そこから下って、南へ。Washington Square方面へ。
Washington Square・無名戦士の墓
Washington Square・ハンモック
Washington Squareの無名戦士の墓。 Washington Squareでハンモック。
カップルがいちゃついていた。けっ。

この辺りは高級住宅街っぽい。
街の雰囲気はいいが家賃も高そう。
旗
今日は旗日ということで。

そこからSouth Street。写真を取り損ねてしまったが、中小のお店やレストランが連なる繁華街。祝日の午後で、楽しげな一角。
そこからDelaware River沿いのPenn's Landing方面へ。
戦艦ニュージャージー
潜水艦
対岸の戦艦ニュージャージー 退役した軍艦2隻。
USS Carney
 
こちらは現役の駆逐艦カーニーも公開されていた。
これがいたお陰で水兵の姿をあちこちで見掛けた。


日が沈むと雨が降り出した。
先ほどまで花火の音も聞こえていたが、この天気ではあまりいい眺めではなかっただろう。
11:32  |  身辺雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.07.02 (Wed)

Kennedy's Court?

今年の最高裁は穏やかだ、5:4の判決がほとんどない、と5月下旬の時点では言っていたわけだが、
しかし開廷期が終わりに近付くほどharder caseが目立ってくるわけで、6月に入ると論争的な事件が結構5:4で決着している。
On Court That Defied Labeling, Kennedy Made the Boldest Mark - NYTimes.com
By LINDA GREENHOUSE
Published: June 29, 2008
http://www.nytimes.com/2008/06/29/washington/29scotus.html?ex=1215403200&en=bbfbc8762928a4f9&ei=5070&emc=eta1
毎年恒例、Linda Greenhouseの連邦最高裁開廷期の総括。
前開廷期に比べれば保守サイドの優勢は弱まったように見え、特に連邦statutory civil rights関連≒雇用差別関連事件ではそうだ、と。一言でまとめるのは難しいが、言ってみれば
"It was, once again, Justice Kennedy's court."
だ、というのが彼女の見立て。

これ自体に積極的に異論を述べるつもりはない。
しかしこれではダイナミクスの表層しか見ていないように思う。
私はむしろ、Stevens' courtと見る。何故か。

注目されつつKennedyが5票目を投じて5:4でリベラル・ブロックが制した判決の2件の法廷意見を、Kennedyが執筆している。
グアンタナモをめぐるBoumediene判決(*1)、児童の強姦に対する死刑を違憲としたKennedy判決(*2)

主席裁判官が法廷意見に加わらなかった場合、誰が法廷意見を執筆するかを決定するかは多数派の中で最もシニアの裁判官であり、この場合それはStevensだということになる。そして彼がこれらの事件でKennedyを指名した。

グアンタナモの関連では、軍事委員会による敵性戦闘員の決定を認めなかった2006年のHamdan判決において、Kennedyが5票目を投じることで、法廷意見が構成された(*3)
未成年者に対する死刑をカテゴリカルに違憲とした2005年のRoper判決(*4)において法廷意見を書いたのはKennedyである。
そんなKennedyを、Stevensは指名した。実際Kennedyも、Boumediene判決など、ノリノリである。

このようにStevensが、法廷意見の執筆者を決める権能を使うことで、あるいは自らの投票行動においても、かなり戦略的に動いていたのではないか。
他方、Robertsは判断する論点を限定することで彼のミニマリズムの哲学を実践しようとしていたのだが、必ずしもうまくいっていない。
老獪なStevensが若い(!)Robertsを翻弄した開廷期だった、というのが自分の印象である。

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世界の中の連邦最高裁 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
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Roberts Courtの保守傾向 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
Tribe v. Olson - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する

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00:49  |  アメリカ法  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.07.01 (Tue)

儀礼的関心?

(都市)社会学に「儀礼的無関心」という概念がある。
儀礼的無関心とは - はてなダイアリー
知らない人に、あえて、もしくは、いつの間にか、儀礼的に無関心を呈示をする/している現象のことを指す。見知らぬ他人同士のあいだで、不要な関わりが生じるのを避けるための暗黙のルール。
そこで行われることは、相手をちらっと見ることは見るが、その時の表情は相手の存在を認識したことを(そして認識したことをはっきりと認めたことを)表す程度にとどめるのが普通である。そして、次の瞬間にすぐに視線をそらし、相手に対して特別の好奇心や特別の意図がないことを示す。
(E.ゴフマン『集まりの構造』丸木恵祐・本名信行訳/誠信書房/1963=1980:p.14/asin:4414518040)
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B5%B7%CE%E9%C5%AA%CC%B5%B4%D8%BF%B4
この考え方自体は--自らの行動に鑑みても--腑に落ちるのだが;
そして以下の現象自体は比較文化や海外マナーブックでよく指摘されている事項だが;
アメリカの社会の中に身を置いていると「本当か?」と思うこともある。
というのも当地では、見知らぬ他人と(も)目が合うと、前記ゴフマンの引用にあるように視線を逸らす前に、ニコリとスマイルする。それから、視線を逸らす。
日常的に。例えば、廊下ですれ違う際に。エレベーターに乗り込む際に。

そこにあるのを、単なる「無関心」としては把握しきれないように思う。
むしろ、スマイルすることで形式的な友好関係をアピールするという、「儀礼的関心」とでもいうべき現象があるのではないか。

…そこから先は社会学者さんよろしく。
「承認」はどのようにして得られるのか? - Thirのはてな日記
「我々は欧米人が行っているような、激しい承認の「型」を持っていない。…相手を褒めることや、逆に褒められることに慣れていない。つまり承認応答の型を持っていないのである。自分の存在がそこで承認されていること、コミュニティ内で承認を受けていることが、存在していても自覚できないのである。自分が他者の存在を承認していたり尊敬の念を持っていたりしても、その観念を表現として相手に表すことができないのが問題なのではないか」
http://d.hatena.ne.jp/thir/20080629/p1

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01:57  |  身辺雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.07.01 (Tue)

社交としての宗教

学部生の頃、ウェーバーを読んでいて(*1)、「教会」に関する記述がぴんと来なかった。何故、社会学における考察の対象として教会がそのように重要なのだろう? 宗教=内心に関わるのだから、外に現れた行動を対象とする学においては二次的な要因に留まるのではないか。

アメリカに来て、こちらの空気を吸って、認識を改めた。
宗教/教会というのは、教義=世界観の提供という側面も重要だろうが、実際の生活においては、まずは社交の場として機能している。(*2)
他の局面に加えて、教会((で)の活動)という形で、生活に側面が一つ加わっている。
ヨーロッパの状況はよく知らないが、同様か、本家らしくより強く浸透しているのだろう。


「承認」と「宗教」の関係を問うのならば、後者による世界観の提供という側面に行く前に、そのような「社交」の回路としての側面を無視すべきではなかろう。

もっとも、「社交」に注目するのであれば別に「宗教」にリンクさせる必要はない。生活に「宗教」という側面があれば「社交」の回路が一つプラスで確保される、ということである。

むしろ日本社会へのインプリメンテーションという意味では、宗教に限らず、「社交」の回路を見直す、というのが現実的な戦略として有効であろう。
戦後日本社会は生活における「社交」を徹底的に破壊してきた。大概の人付き合いを企業の内に回収していき(*3)、残ったのは子供の学校を通じた関係位であろうか。

そこで、新たな「社交」の回路を、多様・多元的に、展開するのが望ましい。(*4)
で、その萌芽は既にあり、例えばネット上のつながりのオフ会などというのはそのようなものとして把握できるだろう。(*5)ということで、自分は現状を楽観はしていないがあまり悲観もしていない。
承認欲求って昔から政治権力や宗教の源泉だよ - 雑種路線でいこう
「戦後に伸びた新興宗教って、地方から東京に出てきた層に帰属とか承認を提供したこ…。本来は承認の供給不足が問題だったら、それは宗教がシャンとしなきゃいけないんじゃね?」
「自己承認欲求とどう向き合うかについてのLife Hackって伝統的に地域社会や宗教が担ってきた役割であり、高度成長期以降の日本はどういう訳かそれを会社が肩代わりしてきたんだろうけど、会社がその役割から降りて、承認欲求に対するケアから零れ落ちる層が増えたことが問題なんだろうね。」
http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20080629/wel
承認欲求・マズロー周りの、最近の記事クリップ&私見 - シロクマの屑籠(汎適所属)
「宗教と承認欲求/所属欲求の問題は、確かに宗教が担ってきた部分は大きいとは思う。ただ個人的には、新しい宗教を新たに信仰していくのと、「生まれた時から、家族も近所もみなが信仰している宗教に、物心ついた頃から違和感無く包まれている」では、かなりニュアンスが違うと思う。「宗教が承認欲求や所属欲求を提供する」と一言で言っても、自分が小さい頃から信仰して当然としている宗教と、新たにみつけた・入信した宗教では、得られる承認欲求/所属欲求の質的相違は無視できないものだと思う。」
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20080630/p1
『フランスの社交と法』
  • 『フランスの社交と法--〈つきあい〉と〈いきがい〉』
  • 大村敦志(著)
  • 有斐閣、2002年
  • ISBN=9784641047938

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