今度の月末!3日しかない2008-07-28 Mon 23:53
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文系学生のための実験授業2008-07-27 Sun 17:19
更新頻度が落ちているのはリアルで忙しいから…というか、このエントリも現実逃避(汗)
(15)科学実験 文系学生も : 教育ルネサンス : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) 大学でひろがる 文系のための科学実験 (大学プロデューサーズ・ノート 【早稲田塾】)楽しそー <高校は理系クラスで入試は文理併願して法学部に落ちていたら理転して今頃ナノテクか何かをやっていただろうオレ 高校の先生に直接聞いたのか、高校の先生に話を聞いた大学関係者に聞いたのか忘れたのだが; 「最近の高校生は忙しい」のだそうで、授業でも実験とかをほとんどやらないらしい。 (→そこで、(受験生確保のためのPRの機会である)オープンキャンパスや出張授業では実験を見せて/やらせて欲しい、という話につながる、らしい。) 自分が高校生の頃は授業でガンガン実験していたのだが。 化学など、入試の関係で高3は2学期までに全範囲を終わるから、3学期は「残り時間は全部実験な」とひたすら有機合成をやっていた。で、センター試験が週末にある火曜日だか水曜日だかには目に硫酸をぶち込んだりしていた(笑)(*1) そういう経験からすると高校で実験をやらないという話がピンと来ないのだが、土曜の授業がなくなった影響とかかも知れない。 とまれ、そうだとすると実験らしい実験にほとんど触れずに大人になってしまう若者も多いのだろうと思われるし、それは科学的な理解力が(も)問われるこの世の中では大問題だと思われるし、紹介されている取組自体は望ましい方向であろう。 ただ、関係の(必然的に理系の、恐らくは実験系の研究室の)先生の、意欲と尽力が必要だろうな、大変そうだな、とも想像する。 こういうのもその種の取組と関係あるのだろうか。 |
カタカナ語尾ー2008-07-26 Sat 01:15
昔、IT絡みの法律論文の翻訳をしていて、技術関係の専門用語の訳に迷った。
そこで、情報科学科出身でそちらの方面で仕事をしている先輩に問い合わせてみた。 特に、単語末の「ー」があったりなかったりするのはどうなのだろう、ない場合のほうが多い気がするのだけれども、と。 回答:「分野によって違う。というか学会によって違う。もっと言えば学会の偉い人が誰かによって違う」 「…そうなのか(^^;;;」と思った。 マイクロソフト製品ならびにサービスにおける外来語カタカナ用語末尾の長音表記の変更について個人的には語末に「ー」があるほうが不自然な感触があるのだが。何だかダラリとした語感がまとわりつくような。 英語の語尾においても強勢が置かれることはまずない音節だから、英語の発音からもさらに乖離して和製英語感が増すように思う。 |
思い出の 事件を裁く 最高裁2008-07-21 Mon 01:45
そんな川柳があるが、裁判に時間がかかるのは日本の専売特許ではない。
エクソン社のタンカー・バルデス(Valdez)号がアラスカ沖合で座礁し、、大量の原油が流出した事故、原油に塗れた海鳥の映像は世界中に流され、その後も大規模環境破壊の象徴であった。 1989年、もう20年近く前になってしまった。直接に覚えているのも20代後半以降だろう。 アメリカ法では、典型的な大規模環境汚染事故として、数多くの論文で言及される、環境法、不法行為法のパラダイム事例でもある。 そんな事件が今開廷期、連邦最高裁に到達している。 Exxon Shipping Co. v. Baker, 128 S. Ct. 2605 (2008)大規模かつ長期間の紛争であるからlegal actions(*1)も錯綜している。その過程でエクソンは諸々の汚染除去費用、罰金・課徴金・和解金等を負担している。 差し当たって最高裁へ上がってきた争点は、漁民・先住民・土地所有者を原告とするクラス・アクションにおいて、被告エクソン側は懲罰的賠償を命じられることありうべしか、あり得るととして額はどうか。 トライアルで陪審に認定された填補賠償額は2億8700万ドル(*2)。これに対して懲罰的賠償は、船長個人に対して5000ドル、エクソン社に対して50億ドル(*3)。 Alitoがエクソンの株式を保有していたことから審理に参加せず、8人の裁判官が4:4に分かれて最高裁の判断がなくして下級審の判断が確定する可能性があった。 結論についてはそのようなことはなく法廷意見が構成されたが、一部の論点について4:4に分かれた。 法廷意見はSouter執筆。 代位責任と懲罰的賠償本件では、船長がアルコール依存症で、問題の事故の際も危険な海域であったにもかかわらず酔っ払って自室に引き籠もっていたことが特に問題視されたわけだが、それでは果たしてそうしたエージェント(代理人)の行為についてプリンシパル(本人)たるエクソン社は懲罰的賠償の責任を負うか。この論点が最高裁の意見が構成されなかった部分であり、同数で分かれたので、下級審の結論をそのまま維持して=エクソン社はかかる責任を追うものとして検討を進めている。但し、この部分に判例としての先例性はない。 と書かれている法廷意見(の部分)に全員が同調しているので、果たしてどのような意見構成で4:4に分かれたのかは明らかでない。 「控訴審までの判断を維持」という補助線を引くと、そのような立場は後の論点で反対意見に回ったStevens、Ginsburg、Breyerだから、彼らが「エクソン社責任あり」に投票したと仮定。もう1票だから、それは多分書いた本人だろうと、Souterと推定して4:4。…いつものブロック分けで面白くない。 CWAと懲罰的賠償次の論点は、水質汚濁を規制する連邦清浄水法(Clean Water Act)が、コモン・ロー上の懲罰的賠償を専占するか(*4)。最高裁の判断はCWAをそのように解釈できないというもので、この部分も全員一致。懲罰的賠償の額最後の論点が懲罰的賠償の額に対する規制の部分で、一番注目される所。そして5:3で意見が分かれた点でもある。但し、裁判所のこの部分の判断は海事法に関する連邦裁判所のコモン・ロー権限に基づくものであって、これまで主に争われていた州不法行為法等に基づく懲罰的賠償に対して連邦憲法の立場から介入していくという事件類型とは異なる(*5)。もっとも、懲罰的賠償一般についての認識を示していると読める判示もあり、また部分的にはデュー・プロセスに基づく判例も参照しており、繊細な取り扱いが要求されるだろう(*6)。IV.A-Eは懲罰的賠償制度を歴史及び比較法を含めて概観しており、今後しばしば引用されることになるものと思われる…つーか、「お前はオレか」って感じのまとめ方(*7)なんですが(笑) さて、この部分の判示のコアはIV.Fになってようやっと出てくる。 言語的定式化はダメだ、固定的な額の上限は定められないとした上で、填補賠償額を基準とするとする。 では填補賠償の何倍にするか。3倍という州がやや多いが、本件のような"worse than negligent but less than malicious"な事件にはうまく当てはまらない。 2倍…連邦や州の制定法でそのようなものが定められている場合とは大分異なる。 というわけで、陪審による懲罰的賠償の裁定の中央値が填補賠償額の0.65倍弱であるとの実証研究に依拠して、「このぐらいでいいよね」と1倍=填補賠償額と同額、でラインを引いた。 Stevens、Ginsburg、Breyerがそれぞれ反対意見を著している。形式上は相互に同調してはいないが、論旨は共通するものがある: ・確かに裁判所は海事法に関するコモン・ローを持っているかも知れないけど、そんな線引きは議会に任せたほうがいいんじゃね、というのと; ・1倍ルールは硬直的過ぎだろ。裁量の濫用さえチェックすれば十分だろ、という点。 「懲罰的賠償は填補賠償と同額まで」という、非常に明快なルールを宣明してみせた訳だが、とにかく「エイヤッ」と線を引くことが優先されて実質的な理由付けは弱いとも思われるし、 Damages Cut Against Exxon in Valdez Case - NYTimes.com果たしてこの判示が懲罰的賠償一般に広がっていくか、逆に言えば本件の射程はどの程度かは、かなり不安定、と読む。 射程を広い方向に読んでいけば、
実際、法廷意見の判旨もそのように読める箇所がある。 "... [A]wards at the median or lower would roughly express jurors' sense of reasonable penalties in cases with no earmarks of exceptional blameworthiness within the punishable spectrum (cases like this one, without intentional or malicious conduct, and without behavior driven primarily by desire for gain, for example) and cases (again like this one) without the modest economic harm or odds of detection that have opened the door to higher awards...他にも、本件の事案においてExxon側の行動が取り立ててblameworthyというほどではない、という事情が繰り返し摘示されてそれに依拠して判旨が組み立てられている。 「1倍」というのは一人歩きし易い数字だが、本件の事情の下においての線引きだとして、案外、事情判決的に読まれていく余地もあるのではなかろうか。 射程が不安定だろうと読むもう一つの根拠は、裁判官の意見の分かれ方。 Gore判決を中心とする懲罰的賠償の憲法的規制に関する一連の判例法とは、裁判官の意見の構成が異なり、入り組んでいる。
これは本件が海事事件=連邦コモン・ローの事件であることから来る。 このことも、射程は案外短いのではないか、という根拠。少なくとも、海事事件以外への影響は小さい、と読む。 |
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University Museum2008-07-19 Sat 22:12
あづい。
午前中はまだ涼しい風が入るのだが、午後の数時間はどこかに避難しないと(言い訳) 扇風機を買ったのだが焼け石に水。 今日の避難場所は大学の博物館。 大学にオマケで附属しているものだし、と思って期待しないで行ったらなかなかどうして、本格的だった(*1)。ゴメンナサイ。以前訪れたときは全部観きれなかったので続きを観た。 大学の調査隊が収集してきた人類学的・考古学的資料がメイン。 やっぱり博物館はワクワクするね。知の蓄積。知られていなかったことが明らかになっていく感覚。 ![]() 屋上(?)庭園が涼しげ。 来週の週末を乗り切れば週末も図書館が開くようになる、はず。 |
法学徒の守備範囲2008-07-18 Fri 01:03
フーコー講義録をここまでもってきて読む - インタラクティヴ読書ノート別館の別館ああ、そうか。だから自分はナショナリズムの問題系とかにさっぱり食指が動かないのだな。 やはりどこまでも法学徒なのだ。 |
夏本番2008-07-17 Thu 20:23
なんか聞き慣れない音が、と思ったらセミの声だった。
そりゃそうか、日本の子供は夏休みシーズンだ。 当地ではぼちぼちLL.M.の英語補修コースが始まっているらしい。張り紙を見掛けた。 3L、LL.M.の皆さんはBarの追い込みの時期である。 |
今日は涼しい2008-07-14 Mon 23:22
朝起きたら雨だった。
暫くは雨というと夕方〜宵にかけての広義の“夕立”が多かったので、しとしと系の雨は久しぶり。 ついでに肌寒い位、気温が下がった。 というわけで今日はアパートで仕事。 これが昨日と逆なら仕事も捗ったのに。 頑張って原稿用紙のマスを埋めようとするが、一方は字余りでもう一方は字足らず。うまくいかない。 つーか2本同時に書くなよ >俺 でも本当は3本あるorz |
芸術活動と政治:植民地インドの場合2008-07-13 Sun 23:45
暑さからの今週の避難先はフィラデルフィア美術館。
や、書かなきゃいけない原稿があることは分かっているのですが…だからこそ首が回らなくなる前に行っておきたいというか…金曜日のリベンジというか…(汗) 何だかぞろぞろ人が固まって移動しているからガイド付きツアーかと思ったら、一旦出ろとの警備員の指示。アラームが鳴ったとか。 でも反対側のwingは規制なし。 何の予備知識もなしに観たのだが、20世紀前半のインドの画家Nandalal Boseの特別展が面白かった。 1883年生まれで本格的に活動を開始したのが20世紀初頭。イギリスによる植民地支配下のインドで、絵画を含む伝統的な文化が衰退しているとして復興運動に携わり、その代表的な芸術家となり、後進の育成にも力を入れた。 画題はヒンドゥー教の神話や自然の生き物が多い。西洋式リアリズムへの対抗としてのspiritualityを強調したとのことだが、特に後者の画題についてはむしろ写実的との印象も受けた。これを「リアリズム」との対抗に位置付けるというのは、analytical/anatomicalな態度に対する、東洋思想的holisticなアプローチ、ということか。 手法の開拓に当たっては東アジア、特に日本の美術の影響も受けたとされており、特に晩年は"Sumi-e period"として知られるとのこと。それ以前の作品も素人目に観て、水墨画のみならず浮世絵その他日本画の影響が感じられた。 インドの独立運動には日本からの関与も指摘されるが、それと関係あるのだろうか? タゴールやガンディーとも親交があったということで、「過度に政治的にならないようにしつつ」ガンディーの思想の普及にも寄与したとのこと。 |
金曜の夕は2008-07-11 Fri 22:46
帰りがけ、大学の前のカフェが何やらイベントの準備をしていた。
![]() "Bastille Day"らしい。だから↑右端は監獄の門だな。 尤もバスチーユ監獄の襲撃は14日だった気がもの凄くするのだが、まぁそこはそれ誤差の範囲ということで、お客の集まる金曜の夕方にやっちまおう、ということだな。 ![]() 従って飾り付けもトリコロールである。 ![]() フィラデルフィア美術館、通常は17時閉館の所、金曜日は夜まで開いているのだが、今日は違った。 アクセスが制限され、警官が警備に当たっている。 ![]() 騎馬警官(trooper)まで出ていた。
州知事のやることだから"private"といっても「総理大臣の私的な懇談会」みたいなものだと思うが。 |
TOYAKOとTOKYOは何か似ている2008-07-10 Thu 01:23
サミットも終わったようで。
そうでなくてもビミョーな感じのサミットだったようだが; 日本のマスコミの論調は、温暖化ガス排出に関して「日本の努力で、数値目標は盛り込めなかったが何とかアメリカを説得して一応のコミットメントを引き出した」という辺りだと思うが; M氏と世間話をしていたら、どうやら海外での評価は「フクダはブッシュ(とハーパー・カナダ首相)とつるんで温暖化ガス排出へのコミットメントに反対するヤツ」という感じらしい。 日本政府の立場が海外メディアに伝わっていないのか、日本のジャーナリズムの情報収集and/or分析能力が不足しているのか、情報不足で自分には評価できないが; いずれにせよ、日本のマスコミ(へ)の対応に問題があるのは確かだろう。 globeandmail.com: G8 takes small step on climate テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済 |
死刑の対象犯罪の範囲2008-07-09 Wed 12:31
ある朝、妻の連れ子(stepdaughter)(8歳)を強姦し、医師に「初めて見た」と言わせしめた多量の出血を伴う傷害を内外性器に負わせた、などという鬼畜野郎に同情の余地は皆無なのだが;
「鬼畜野郎」ではあっても「鬼」ではないので「鬼退治」はできない。 Kennedy v. v. Louisiana, 2008 U.S. LEXIS 5262 (No. 07-343, June 25, 2008)事案の概要は冒頭の通り。 関連情報を若干付け加えると
児童への性的虐待への懸念が強まる中、児童のレイプ等に対して死刑を規定する州が現れた。本件のルイジアナ州はその嚆矢であり、そうした立法(*3)に基づいて死刑判決を受けた被告人が第8修正違反を主張して争った事例である。 関連する先行判例として主要なものはCoker判決の他に
5:4。 法廷意見はKennedy執筆、Stevens、Souter、Ginsburg、Breyer同調。 反対意見はAlito執筆、Roberts、Scalia、Thomas同調。 Kennedyが法廷意見を執筆したことの意義は先に指摘した通り。 法廷意見が、第8修正事件では既に定着した審査基準だといえる 「成熟しつつある社会の進歩を示す、品位の発展的な基準the evolving standards of decency that mark the progress of a maturing society」(*7) をガイドラインとし、さらにその具体的適用にあたってはRoper、Atkinsに倣って各州の動き→第8修正の目的についての独立の法理論的検討ないし道徳的・倫理的判断、という枠組を採用している(*8)のに対し、反対意見もこの枠組に基本的に乗って議論している(*9)。 そこで、論点毎にまとめてしまうのが分かり易いだろう。
Linda Greenhouseは法廷意見に死刑廃止の方向性は見出せないとするが、 Justices Bar Death Penalty for the Rape of a Child - NYTimes.com例えば法廷意見の末尾には "Difficulties in administering the penalty to ensure against its arbitrary and capricious application require adherence to arule reserving its use, at this stage of evolving standards and in cases of crimes against individuals, for crimes that take the life of the victim." (emphasis added)とあり、強調部分などはそう読む余地もあると思うが、いずれにせよ近い将来に連邦最高裁が連邦憲法上、死刑制度それ自体が違憲と判断する見込みがないことはその通りだろう。 だが、(個人的法益の侵害について、という限定付きとはいえ、)死亡の結果を伴わない限り死刑を利用してはならない、という判示は、ある意味常識にかなうものだが、幅広くsweepingでもある(*13)。むしろ、本判決で死刑の利用を限定したのは、適切な犯罪類型を小さく削り込むことで死刑制度それ自体の維持を狙ったもの、と評価することも不可能ではなかろう。 ところで、法廷意見、反対意見とも、連邦法は児童の強姦に対して死刑を規定していないことを摘示している。 しかし実は2006年の改正により、軍事法廷において、児童の強姦について死刑が可能であることとなっていた。当事者もその他の関係者も手続中、同法を摘示しておらず、指摘されたのは判決後、軍の弁護士のブログ上において、という珍事が起きた。 In Court Ruling on Executions, a Factual Flaw - NYTimes.com当事者は再審理を申し立てることも可能だが、この点は判断において決定的なポイントではないし、結論が覆る可能性は低いであろう。 面白いのは、ここで槍玉に挙がるのが裁判所ではなく、当事者や法廷助言者である、ということである。特に連邦司法省は、briefの提出すらしておらず、本件に関心すら示していない。 日本であれば「裁判所は法を知っている」から適用法条に誤りがあれば大騒ぎだが、ここではむしろ当事者らが裁判所の注意を喚起できなかったことに焦点が集まっている。 憲法裁判の特殊性はあるかも知れないが、法情報の存在形式ないしステイタスや、訴訟における当事者と裁判官の機能分担について、興味深い法文化的現象である。 連邦司法省はミスを認めた。 Justice Dept. Admits Error in Not Briefing Court - NYTimes.com 【関連】Kennedy's Court? - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する連邦最高裁2007-08年度開廷期の中間評価 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する 死刑:lethal injection - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する retribution / revenge - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する 第8修正シンポ - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する 死刑:被害者感情論 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する 性犯罪の履歴保有者の居住制限 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する |
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ライセンスとガイドラインとニコニ・コモンズ2008-07-07 Mon 01:12
ニコニ・コモンズとクリエイティブコモンズ・ライセンスの誤解について瑣末な点ながら指摘する - 半可思惟 あいまいな日本のニコニ・コモンズ - 雑種路線でいこう重要な指摘。 現時点ではだが私見を付け加える準備も能力もない。他日のためのクリップ&論点の指摘のみ−−しかも実務的ではなく理論的な(*1)。 ・ソフト・ロー論との接合の、知的財産の分野における可能性。 ・CCライセンスは英米財産法における制限的約款(restrictive covenant)に範をとったものと思われるが、本当か。直接の出自を確認できないとしても、機能的には類似するのではないか。だとすればそれを参照した検討の可能性。 ・何故「契約」ではダメなのか。契約に「後日ライセンス条件を見直すかも」と書き込むのとどう違うのか。 【関連】ユーザとクリエータの間 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考するみくみくになるのかな - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する After Tasini - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する 失言 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する |
ID2008-07-07 Mon 00:53
ID = identification
〔名詞〕 身分証明書。 英語だと、ID = identification = (自己)同一性の表示、「お前が何者であるか」を問う、という、とても個人主義的な構成。 日本語は「『身分』証明書」、『身』の『分』の証明。社会全体のコンテクストが所与のものとしてあって、その何処に配置されるのか、という発想。 |
Photo ID2008-07-07 Mon 00:41
アメリカでは日常的にphoto ID(写真付き身分証明書)を求められる場面が多い。
よくあるのが、クレジットカードを使う際や、お酒を買う際。後者は未成年に飲酒させないための年齢確認のため。飛行機に乗る際、というのもある。 先日も選挙の投票の際にphoto IDを要求することが合憲とされたばかり。 しかも、state photo ID=政府の発行する写真付き身分証明書、であることが要求されることも多い。 一番ポピュラーなのは当然、運転免許証であるが、別にこれに限らない。他にはパスポートや銃の所持免許などもあり得る。 ここからが本題で、そういった、他に何かの「免許」や「許可」を取得していない/取得するつもりのない人でも、state photo IDがないと生活に困るわけである。 そこでどうするかというと、単なる証明のためだけの身分証明書を、多くの州(*1)が発行している。しばしば(*2)、運転免許と同じ運輸担当部局が管轄している。 何が言いたいかと言えば、日本政府もそういう「証明のためだけの身分証明書」を発行することも考えられるのでは、と。 まぁ原付の免許なんかは実技なしの学科のみで取れるから主婦の人とか身分証明書代わりに取る人もいると聞いたことが。あ゛、住基ネットのあれとかはそれを狙ったのかいな。 Kousyoublog | なぜ運転免許証=身分証明書の最たるものになったのか? さてそれではアメリカでは何故そう頻繁にphoto IDの提示を求められるのか、という問いはもちろん重要な問いとして立てることができる。 (きちんとリサーチしたことはないものの体感的には)どうも「(state) photo IDを持っている/提示することができる」=「“ちゃんとした人”and/or“一級市民”である」という観念というか感覚というかがあるのではないか、と思っているのだが。傍証として、911テロ後、航空機のセキュリティが上がった際に、その一環として搭乗の際の身分証明書の提示が求められるようになったことを指摘できる。 無論これを裏返すと、「そうではない」(とされて(しまって)いる)人が社会内に普通に存在している、ということでもあり、貧富の格差の問題や不法移民の問題へとつながっていくわけだが。 【関連】社会のID:[OL] - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する |
習得し難い言語2008-07-07 Mon 00:15
昔、特に意味もなく「語学をマスターしよう」を思い立って、しかし貧乏学生だったのでお金をかけることもできないかったから、差し当たりNHKラジオの語学講座を片っ端から聴くことにした。これなら一言語一ヶ月2百数十円のテキスト代のみ。
全講座制覇、は放送時間と録音機材の兼ね合いで無理だったが(*1)、とにかく片っ端から聴いてみた。 しかし取り立てての目的意識もなく聴いても身に付かないわけで、いずれも精々綴りの読み方(*2)を覚えたくらいだった。 大学で第二外国語だったドイツ語も使い物になっていないんだよなー しかし複数の言語を横に並べてみると見えてくるものもあって; 綴り→発音の対応がきっちりしていると、その法則性さえマスターすればテキストから音を再生できるようになる。そうすると早い段階からテキストさえあれば学習を進めることができるようになって、自学を促進する。 発音→綴りの対応がきっちりしていると、ブツブツ口で覚えたことが、そのまま書き言葉としても再生できるようになって、両者の協働に好ましい。 このことを感じたのがフランス語で、フランス語は黙字が多いので特に発音→綴りの対応が崩れ易い(読まれない子音字によって綴りが違ってくる)。他方、フランス語は主語の人称で動詞を活用する。にもかかわらず、綴りは違っても読まれない子音字のみしか異なっていない場合も多くて、活用表をブツブツ口に出しても綴りには復元されないので結局覚えなかった。 自分が取り組んだ中で綴りと発音の一対一対応がよくとれていたのがスペイン語。 この基準だと、英語はあまり習得し易い言語とは言い難い。綴り→発音の対応はまだマシだが、発音→綴りの対応はかなり悪い。 さて、この基準に照らすと、日本語は後天的学習者にとっては最悪に近い言語だと思う(汗) 発音をそのまま書き下せるだろう、って? 仮名だけならばその通り(*3)。しかし、漢字が厄介。 同音異義語を漢字の使い分けで区別している例は多い(発音→綴りの対応の崩れ)。 他方、一つの漢字の読みが音・訓、さらにそれぞれ複数あるのもザラ(綴り→発音の対応の崩れ)。 漢字圏出身の留学生が苦労しているのも見ているし、非漢字圏の西洋人だと日本語の会話は全くペラペラの人でも読み書きが覚束ない場合もままあって、それはそれなりに理解できる。 便利なんですけどね、漢字かな混じりの日本語システム(*4)。 ひらがな、カタカナ、漢字を使い分けられるのが日本語の強み - Zopeジャンキー日記 【関連】日本人の範囲・枕 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する |
フォースを信じるのだ2008-07-04 Fri 11:32
今日は独立記念日、"Independence Day"というより"Fourth of July"というほうが早い。
昨夜は日付が変わると同時に近所の若者が"Happy Birthday, America♪""O say, can you see, by the dawn's early light♪"としばらく騒いでいた。 今日は、Independence Mallを偵察に行くことに。
天候も暑くなかったので、そのまま周囲を彷徨ってみた。 フィラデルフィア連銀から裏手のほうに回っていくとFranklin Square(という公園)がある。
さらにそこから数ブロックでチャイナタウン。 そこにチャイナタウンがあることは以前から地図で知っていたが、実際に言ったことはなかった。Kmartのすぐ裏手だった。
そこから下って、南へ。Washington Square方面へ。
この辺りは高級住宅街っぽい。 街の雰囲気はいいが家賃も高そう。
そこからSouth Street。写真を取り損ねてしまったが、中小のお店やレストランが連なる繁華街。祝日の午後で、楽しげな一角。 そこからDelaware River沿いのPenn's Landing方面へ。
日が沈むと雨が降り出した。 先ほどまで花火の音も聞こえていたが、この天気ではあまりいい眺めではなかっただろう。 |
Kennedy's Court?2008-07-02 Wed 00:49
今年の最高裁は穏やかだ、5:4の判決がほとんどない、と5月下旬の時点では言っていたわけだが、
しかし開廷期が終わりに近付くほどharder caseが目立ってくるわけで、6月に入ると論争的な事件が結構5:4で決着している。 On Court That Defied Labeling, Kennedy Made the Boldest Mark - NYTimes.com毎年恒例、Linda Greenhouseの連邦最高裁開廷期の総括。 前開廷期に比べれば保守サイドの優勢は弱まったように見え、特に連邦statutory civil rights関連≒雇用差別関連事件ではそうだ、と。一言でまとめるのは難しいが、言ってみれば "It was, once again, Justice Kennedy's court."だ、というのが彼女の見立て。 これ自体に積極的に異論を述べるつもりはない。 しかしこれではダイナミクスの表層しか見ていないように思う。 私はむしろ、Stevens' courtと見る。何故か。 注目されつつKennedyが5票目を投じて5:4でリベラル・ブロックが制した判決の2件の法廷意見を、Kennedyが執筆している。 グアンタナモをめぐるBoumediene判決(*1)、児童の強姦に対する死刑を違憲としたKennedy判決(*2)。 主席裁判官が法廷意見に加わらなかった場合、誰が法廷意見を執筆するかを決定するかは多数派の中で最もシニアの裁判官であり、この場合それはStevensだということになる。そして彼がこれらの事件でKennedyを指名した。 グアンタナモの関連では、軍事委員会による敵性戦闘員の決定を認めなかった2006年のHamdan判決において、Kennedyが5票目を投じることで、法廷意見が構成された(*3)。 未成年者に対する死刑をカテゴリカルに違憲とした2005年のRoper判決(*4)において法廷意見を書いたのはKennedyである。 そんなKennedyを、Stevensは指名した。実際Kennedyも、Boumediene判決など、ノリノリである。 このようにStevensが、法廷意見の執筆者を決める権能を使うことで、あるいは自らの投票行動においても、かなり戦略的に動いていたのではないか。 他方、Robertsは判断する論点を限定することで彼のミニマリズムの哲学を実践しようとしていたのだが、必ずしもうまくいっていない。 老獪なStevensが若い(!)Robertsを翻弄した開廷期だった、というのが自分の印象である。 【関連】D.C.の銃規制は違憲 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する世界の中の連邦最高裁 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する 連邦最高裁2007-08年度開廷期の中間評価 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する 社会のID:[OL] - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する 死刑:lethal injection - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する Ledbetter - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する Roberts Courtの保守傾向 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する Tribe v. Olson - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する |
儀礼的関心?2008-07-01 Tue 01:57
(都市)社会学に「儀礼的無関心」という概念がある。
儀礼的無関心とは - はてなダイアリーこの考え方自体は−−自らの行動に鑑みても−−腑に落ちるのだが; そして以下の現象自体は比較文化や海外マナーブックでよく指摘されている事項だが; アメリカの社会の中に身を置いていると「本当か?」と思うこともある。 というのも当地では、見知らぬ他人と(も)目が合うと、前記ゴフマンの引用にあるように視線を逸らす前に、ニコリとスマイルする。それから、視線を逸らす。 日常的に。例えば、廊下ですれ違う際に。エレベーターに乗り込む際に。 そこにあるのを、単なる「無関心」としては把握しきれないように思う。 むしろ、スマイルすることで形式的な友好関係をアピールするという、「儀礼的関心」とでもいうべき現象があるのではないか。 …そこから先は社会学者さんよろしく。 「承認」はどのようにして得られるのか? - Thirのはてな日記 |
社交としての宗教2008-07-01 Tue 01:24
学部生の頃、ウェーバーを読んでいて(*1)、「教会」に関する記述がぴんと来なかった。何故、社会学における考察の対象として教会がそのように重要なのだろう? 宗教=内心に関わるのだから、外に現れた行動を対象とする学においては二次的な要因に留まるのではないか。
アメリカに来て、こちらの空気を吸って、認識を改めた。 宗教/教会というのは、教義=世界観の提供という側面も重要だろうが、実際の生活においては、まずは社交の場として機能している。(*2) 他の局面に加えて、教会((で)の活動)という形で、生活に側面が一つ加わっている。 ヨーロッパの状況はよく知らないが、同様か、本家らしくより強く浸透しているのだろう。 「承認」と「宗教」の関係を問うのならば、後者による世界観の提供という側面に行く前に、そのような「社交」の回路としての側面を無視すべきではなかろう。 もっとも、「社交」に注目するのであれば別に「宗教」にリンクさせる必要はない。生活に「宗教」という側面があれば「社交」の回路が一つプラスで確保される、ということである。 むしろ日本社会へのインプリメンテーションという意味では、宗教に限らず、「社交」の回路を見直す、というのが現実的な戦略として有効であろう。 戦後日本社会は生活における「社交」を徹底的に破壊してきた。大概の人付き合いを企業の内に回収していき(*3)、残ったのは子供の学校を通じた関係位であろうか。 そこで、新たな「社交」の回路を、多様・多元的に、展開するのが望ましい。(*4) で、その萌芽は既にあり、例えばネット上のつながりのオフ会などというのはそのようなものとして把握できるだろう。(*5)ということで、自分は現状を楽観はしていないがあまり悲観もしていない。 承認欲求って昔から政治権力や宗教の源泉だよ - 雑種路線でいこう 承認欲求・マズロー周りの、最近の記事クリップ&私見 - シロクマの屑籠(汎適所属)
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