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2008.05.27 (Tue)

気分の問題

今日は結構暑かった。
夕方、気温を見たら27℃あった。昼間は30℃を超えていたかも知れない。
考えてみれば5月も末。中高生の頃ならば更衣直前で、学ランの暑さに辟易していた頃だ。
夜になって雷とともに一雨来ると、涼しくなる。

Excelをうにゅうにゅいじっていても原稿用紙は埋まらない(*1)。締切も近いのにorz

ブックオフNY店のメモリアルデイのバーゲンセールで買ったもの - インタラクティヴ読書ノート別館の別館
英米法総論 上
* 出版社/メーカー: 東京大学出版会
* 発売日: 1980/03
* メディア: 単行本
英米法総論 下
* 出版社/メーカー: 東京大学出版会
* 発売日: 1980/12
* メディア: 単行本
 セールにて各8ドル。
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20080527/p1
ニューヨークにブックオフなんてあったんだ…本当だ

ではなくて。
原著者の田中英夫先生はなくなられて久しいですが、どなたか改訂版を作っていただけませんか。
確かに情報としては古くなってしまった部分もあるので改訂の必要性はあると思うのですが、あまりに凄い本なので誰も改訂できないというか。
特に歴史の部分はかなり大変ですし(*2)、そもそも英と米両方の、公法と私法と司法制度と思想と…を全部分かっている人というのはなかなかおらず、いたとしても重鎮なので忙し過ぎる。
この間、英と米の距離も拡大してしまいましたし。
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2008.05.27 (Tue)

Versions of Democracy

ブログ【海難期】でホーフスタッターの『アメリカの反知性主義』に触れられていたことから、若干のブロガー氏がコメントを寄せている。
2008-05-26 - 【海難記】 Wrecked on the Sea
[critics][publishing]ニッポンの反知性主義
http://d.hatena.ne.jp/solar/20080526
ここら辺りも勉強しなければならぬと思いつつよく分かっていない。斎藤眞先生の本もチェックできないが、「自分はこのように分かっていない」という整理のための論点メモとして書いておく。

Versions of Democracy

「反知性主義について」(改題) - 虚舟庵雑録
「アメリカの「反知性主義」というのは、第一義的にはヨーロッパ風の考え方に対する反発なのである。… T・ジェファソンのような第一級の知識人…ですら、ヨーロッパとアメリカを対比し、前者を専制に支配された、後者がそれから解放された自由の支配する国であると考えていた。ジェファソンの農本主義的なデモクラシーというのは、そうした「特権の否定」の裏面としての積極面なのであり、…」
「…フロンティアの時代の人口増加率は眼を見張るものがあったとはいえ、それでも人口密度は大変薄かったのである。
こうした伝統がやがてフロンティアの消滅と都市化とによって、変質していくのであるが、…」
http://d.hatena.ne.jp/bunchu/20080526/1211761813
ここでbunchu氏は、(アメリカ側から見た)アメリカとヨーロッパとの対抗関係、その上で(前者側に)析出されるデモクラシーについて言及している。

さらにこれを受けてkouteika氏が
日本の「反知性主義」 - if you cannot be friendly.
「この「反知性主義」の問題は、「都市」と「領域」、そしてそれぞれが産み出す思考様式の関係という視角から眺めてみなければならないように思われる」
http://d.hatena.ne.jp/kouteika/20080526/1211794682
「都市」と「領域」の対抗を指摘している。

その上でいささか乱暴に図式的に考えてみる。
「都市」と「領域」の対抗を、「デモクラシー」と重ね合わせれば、デモクラシーの幾つかのヴァージョンが析出されるだろう。
「領域」と「デモクラシー」の重なりから(*1)は、ジャクソニアン・デモクラシーを見出すことができるだろう。
他方、「都市」におけるデモクラシーは、それが古代アテナイをパラダイム事例として想定するものだとすれば、共和主義の伝統、その現代版としての討議的民主主義にさらに連想がつながる。
もっとも、討議的民主主義は多数派主義や利益集団民主主義との対抗から出てきたことを想起し、そして後者が現代の(≒おおよそ19世紀から20世紀への世紀転換期以降における)都市的生活を背景とするものであることを考えると、「都市」の問題系を考える際に、古典古代のそれを想定するか、現代のそれを想定するかで、それ自体の理解としても、その政治(学)的意義の理解としても、異なった教訓を引き出し得るだろう。

ところでアメリカとヨーロッパとの対抗にデモクラシーを重ね合わせた上で、「デモクラシー」にジャクソニアン・デモクラシーを代入すると、bunchu氏の描写とはまた別の歴史描写が可能となるように思われる。 これはジェファソンら建国の父祖のの政治構想をどのように解するか、どの側面を強調して理解するかに(も)関わる。
bunchu氏は、「ヨーロッパ」と建国の父祖らとの間の断絶を強調し、後者と「デモクラシー」との連続を強調する。
しかし他方、「デモクラシー」をジャクソニアン・デモクラシーと解した上でその独自性を強調すると、その登場は一つの画期として断続性が強調されることになり、他方で相対的に建国の父祖は「ヨーロッパ」により近いものとして把握されることとなろう。(*2)(*3)

Jacksonian Democracy and Judiciary
直接の関連性は薄いがジャクソニアン・デモクラシーつながりで最近偶々読んだ記事をクリップ。
American Exception - Rendering Justice, With One Eye on Re-election - Series - NYTimes.com
By ADAM LIPTAK
Published: May 25, 2008
http://www.nytimes.com/2008/05/25/us/25exception.html?ex=1212379200&en=3d121eb04acf50c8&ei=5070&emc=eta1
選挙による裁判官任命制度を批判的に(具体的にはフランスの訓練制度と対比する形で)報告するもの。

Versions of Constitutionalism

ところでまた全く違う方向への連想だが、アメリカとヨーロッパとの対抗にデモクラシーを重ね合わせると、Yaleの憲法学者Jed Rubenfeldの指摘を思い出す。
Rubenfeldによると、アメリカにとって第二次世界大戦は民主主義の勝利であったのに対し、ヨーロッパにとって第二次世界大戦は民主主義の敗北であった。
Jed Rubenfeld, Unilateralism and Constitutionalism, 79 N.Y.U.L. Rev. 1971 (2004).
このことは立憲主義の理解にも差違をもたらすだろう(*4)

【関連】

popular constitutionと「教育」 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
アメリカにおける軍事組織の(原)イメージ - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
党派的選挙による裁判官選任 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する

テーマ : アメリカ合衆国 - ジャンル : 政治・経済

00:31  |  アメリカ法  |  TB(2)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2008.05.26 (Mon)

連邦最高裁2007-08年度開廷期の中間評価

今期のロバーツ・コートの安定ぶりにはLinda Greenhouseも気になっていたらしい。
Supreme Court Memo - At Supreme Court, 5-to-4 Rulings Fade, but Why? - NYTimes.com
By LINDA GREENHOUSE
Published: May 23, 2008
http://www.nytimes.com/2008/05/23/us/23memo.html?ex=1212292800&en=4d1f0ff83042cf57&ei=5070&emc=eta1
メジャーな事件も含めて5:4の判決が減っていることについての分析。

彼女の見立て:
・主要判決では事案の事実に即した射程の狭い判示にすることで、リベラル・ブロックの裁判官も加わった形で政府側勝訴の安定的な法廷意見が構成されている。
←(私見)これは以前自分も指摘した見立て。

・昨開廷期に保守ブロックが色を出しすぎて批判されているので、その反動。
  特に、Ledbetter判決に対する批判
←しかし法廷外からの批判によって対応を変えるというのは保守ブロックの裁判官の思想からは遠いはず。

・選挙の年だから、"the justices 'probably don't want to provoke controversy, or become an issue, during the election"
←それならば第2修正の事件なんて採り上げるかぁ?(笑)

【関連】

社会のID:[OL] - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
死刑:lethal injection - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
見えない自由がほしくて 銃を - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
Ledbetter - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
Roberts Courtの保守傾向 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
Tribe v. Olson - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する

テーマ : アメリカ合衆国 - ジャンル : 政治・経済

01:05  |  アメリカ法  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.05.23 (Fri)

黒アリ

温かいご飯が食べたくなると、近所の日本食屋(*1)に食べに行く。
日本語の名前で看板が出ているのだが、オーナーは何故か韓国人(系)。入り口に置いてあるビラもハングルだったりする。
しかしアメリカで時々あるように国籍不明の謎の料理が出てくるということはなく、少なくとも自分の作るカツ丼らしきカツ丼は食べさせる。

今日行ってオヤと思ったら、店内のBGMが日本語の歌だった。
メニューがマイナーチェンジしていたし、アムネットのビラも置いてあったし、微妙に日本方向へマイナーチェンジしていた。もしかしたらもっと日本っぽくしろと注文されたのかも知れない。

♪ありがとう~ありがとう~
SMAP「ありがとう」。まぁ無難な選曲かな。

…これは!アリプロかよ!!濃いところ突いてくるなぁ。
こんなところでALI PROJECTを聞くとは。
もっとも、「ローゼン閣下」が次期首相候補に名前が挙がるくらいだから、ある意味現代日本を代表しているのかも知れない。
23:47  |  身辺雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.05.21 (Wed)

謝罪する医師

アメリカで交通事故を起こしたら"I'm sorry"と言ってはならない、過失を認めたことになって高額な賠償を食らう危険があるから…というのはよく言われる、本気なのかジョークなのか分からない話だが;

訴訟リスクという点ではより大きなものに直面していると言えそうなアメリカの医師も、医療過誤訴訟の虞があるとなればミスを認めるべきではない、ということになりそうだし、実際にそうであってきた(現在完了形)が、
Doctors Say 'I'm Sorry' Before 'See You in Court' - New York Times
By KEVIN SACK
Published: May 18, 2008
"For decades, malpractice lawyers and insurers have counseled doctors and hospitals to "deny and defend." Many still warn clients that any admission of fault, or even expression of regret, is likely to invite litigation and imperil careers.
But ..." http://www.nytimes.com/2008/05/18/us/18apology.html?ex=1211774400&en=3d8308f354396f53&ei=5070&emc=eta1
彼らが最近"I'm sorry"と言い始めた、というレポート。

ポイント:
・driving forceとしては、医療過誤に対するコストの削減(!)と、consumerの医療過誤防止に向けたアクションの要請。
・医師/病院側はミスを認め、謝罪した上で、まぁまぁの額の(fair)賠償を提供する、ことにより、
"... they hope to restore integrity to dealings with patients, make it easier to learn from mistakes and dilute anger that often fuels lawsuits."
・患者との関係の回復、ミスからの学ぶことを容易にする、訴訟に油を注ぎかねない怒りの緩和、を狙っている。
"[T]hey hope"という辺りがちょっと弱いのだが、
・ミスそれ自体よりは、ミス隠しや再発への懸念こそが、合理的(reasonable)だった患者を怒れる原告にしてしまうことがある。

同様の話は日本の法社会学研究でも言われていたような。

・→このため、ミスを認めるという新たなアプローチは、(予期に反して)病院の抱える訴訟件数を減らし、その処理にかかるコストや医療過誤保険の保険料の低下をもたらしている。
・新しいアプローチでは、病院側がミスを認める際はすぐにまぁまぁの額の賠償を提示する一方で、ミスを認めない場合には裁判でも徹底して争う。 →原告側弁護士から見ても、訴訟までして戦うのは最後の手段ということになる。

・無謬性から透明性への移行は、カルチャーの大きな変化を意味する。
・新しいアプローチは、過誤対策に自家保険で対応し、またスタッフの全てかほとんどと雇用関係にある(*1)医療機関で最もよく機能している模様。 ∵関係当事者の数が限定されるから。
・34州で、ミスを認めることは裁判所で利用されない旨、立法されている。連邦では立法がうまくいっていない。
この立法というのは、ニューヨークだとこれかな。
NY CLS CPLR § 4547 (2008)
§ 4547. Compromise and offers to compromise
Evidence of (a) furnishing, or offering or promising to furnish, or (b) accepting, or offering or promising to accept, any valuable consideration in compromising or attempting to compromise a claim which is disputed as to either validity or amount of damages, shall be inadmissible as proof of liability for or invalidity of the claim or the amount of damages. Evidence of any conduct or statement made during compromise negotiations shall also be inadmissible...
こうした立法があるにもかかわらず、「ミスを認めるな」というカルチャーがあってきたのは何故か、という問いもあるが。(*2)

こういう実務は日本でも研究されるに値するだろう。
日本の場合、お医者さんのブログなどを管見して懸念されているのは、全体としては納得してもらえる患者が多いとしても、一人でもmonstrousな患者(やその関係者)が混じっているとworkしなくなってしまうのではないか、という虞だと思われる。そういうirrationalな人をscreen outしていく方策も組み立てていかないと拙いのだろう。
あと日本の問題は、刑事司法の介入。これは私見としては余計なことだと思う。

義憤と私憤との狭間で - 雑種路線でいこう
http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20080519/press

【関連】

システムと「個人」の「過失」 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
retribution / revenge - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
損害賠償法と医療 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する

テーマ : アメリカ合衆国 - ジャンル : 政治・経済

23:30  |  アメリカ法  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.05.20 (Tue)

雨雨ふれふれ もっとふれ 私のいいひと つれて来い

日本から速達で送ってもらった郵便物、不在票が入っていたので待つ。
郵便屋さんが来るのは大体お昼少し前か、夕方。
待っていたら雨が降り出したので、そのまま今日はアパートで仕事することにする。

…来ない。雨だからか!?(ォィ)
23:05  |  身辺雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.05.19 (Mon)

激しい雨に 鳴り止まない遺伝子

5時に図書館を追い出されるので生活パターンが以前と違ってきているのだが;

ちょっと小腹が空いたが夕食にするには陽が高すぎるので、デリでスープを賈って帰る。
が、袋から出そうとして引っ繰り返してしまった!
不幸中の幸いだったのは、デリのお姉ちゃんが太っ腹で具が多く汁成分が相対的に少なかったので、被害が最小限で済んだことか。

残ったチキンヌードルをしょんぼりと食べていると、中身といい、紙という容器の材質といい、大きさといい、円筒形という容器の形状といい、カップラーメンを食べている気分になってくる。
20:47  |  身辺雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.05.19 (Mon)

追いかけてね つかまえてみて おおきな夢

今日は卒業のセレモニーがあった、らしい。
午前中は晴れていたのに午後は怪しげな雲行き。一瞬崩れかけたが何とか持ち堪える。
晴れ男/晴れ女が雨男/雨女に競り勝ったか。

アメリカの大学の卒業式は日本のそれよりもずっと盛大で、晴れがましい。
ハレ度:  アメリカの大学の卒業式 > 日本の大学の卒業式
遠いところに住んでいる場合も含め、家族も総出でやって来る。
この点、入学式と対照的、というか、入学式自体がない。オリエンテーション的集会だけやって、授業。(*1)
ハレ度:  日本の大学の入学式 > アメリカの大学の卒業式 ≒ 0
日本の場合、入学式のほうが盛大さでは優勢かも知れない。(*2)
ハレ度:  日本の大学の入学式 > 日本の大学の卒業式

Graduation Party
Locust Walk
どこかの部局のパーティ。
どこだかは知らぬ。
キャンパス中央の通り。
写真にも微妙に写っているが、こちらの卒業式ではガウンを着るカルチャーがある。というか、自分もかつて着た。たぶん元を辿ればヨーロッパの大学のカルチャーで、ということは根っこは教会か修道院辺りにあるのだろうけれども、よく分かっていない。学位によって着るガウンの種類も違うようだが、やっぱりよく分かっていない。(*3)
Gown
Gown2
反射で見えにくくてすまぬ。 化粧品屋のショーウィンドウ。
日本にはそういうカルチャーがない(*4)のが、彼我の卒業式のハレ度の差になっているのでは、と一瞬思ったが、それを言えば日本でならば女子学生の着る女袴がそれに相当するか、と考え直す。
ハレ度:  アメリカの大学の卒業式の格好(男子) > 日本の大学の卒業式の格好(男子)
ハレ度:  日本の大学の卒業式の格好(女子) > アメリカの大学の卒業式の格好(女子) 
男子学生と女子学生とでドレス・コードが違うのはジェンダー的にどうなんだ、という一方で、アメリカ式は女子学生を男子学生と同じドレス・コードに押し込めていると解釈すればジェンダー的にどうなんだ、という問いだけを立ててみて考えない。
20:20  |  身辺雑記  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2008.05.18 (Sun)

団結 時に衝突 あとくされないように とりあえず円満

カリフォルニア同性婚禁止違憲判決 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
http://izw134.blog74.fc2.com/blog-entry-189.html
補足というか蛇足というか。

本カリフォルニア州最高裁判決の判断の柱は2本ある(とのことだ)が、その一つは婚姻は「憲法上の基本的権利fundamental constitutional right」とするもので、今一つは平等の問題として取り扱うこと。

これを日本国憲法上に引き直せば、前者は幸福追求権→13条の問題、後者は14条(1項)の問題ということになる。
しかし大きな違いは、日本国憲法には24条があること。
第24条  婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
 2  配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
「婚姻」を「両性」の関係性の問題として把握する(*1)ことが条文上明示されている以上、同性婚の法制化に課せられる実定憲法論上のハードルはかなり高い。日本国憲法が同性婚を容認しているとするためには、憲法上の「婚姻」とは24条に言うものに限定されないとか、そういう解釈論を展開する必要があるはずだが、そうすると24条の規制を空文化させてしまうのでマズそう。
まあ、そういった辺りについては憲法学者のほうで検討はされているのだろうと想像。(*2)

さて、自分の--そして当ブログの--関心はアメリカ法およびアメリカ法から眺めた日本法にあるわけだが;
同性婚に反対する立場から、州憲法を改正して婚姻を男女間のものに限るとする条項を州憲法の修正で挿入したりしている。婚姻を"a union of/between one man and one woman"などと定義する条項を書き込むわけである。(*3)
何が言いたいかと言えば、それに相当する条項を既にずっと以前から日本国憲法は持っているな、と。(*4)(*5)
2008-05-18 - 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」
[話題]同性婚:米カリフォルニアで容認判決 州最高裁
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20080518#1211070689

テーマ : アメリカ合衆国 - ジャンル : 政治・経済

23:56  |  アメリカ法  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.05.18 (Sun)

雨男をさがせ

今日は大学の卒業式だった、らしい。 ←よく分かっていない
しかし午後から本格的な雨。
卒業生に誰か雨男/雨女が混じっていたのだろう。

夕飯を買いに行ったスーパーでは"Happy Graduation!"の飾り付け。 Happy Graduation!


明日もセレモニーがある、らしい。 ←やっぱりよく分かっていない
23:06  |  身辺雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.05.17 (Sat)

高等教育の授業料

先日のエントリで大学と寄付という話題に触れたので、書こうと思って書いていなかったネタ。

アメリカのロースクールの授業料はバカ高い。

日本でLSを作る際にも授業料は論点だったが、日本のそれがかわいく見えるほど、目茶苦茶高い。ロースクールに限らずprofessional schoolは、「あんたら卒業したら稼ぐんでしょ」と言わんばかりにしばしば高額の授業料を取る。今の私立のロースクールであれば年3万ドルオーバーはザラである。
普通のJ.D.の学生であれば×3、もちろん他に生活費やら本代やらもかかる。夏に--つまりこれからのシーズンだが--働くというカルチャーがあるとは言え、見習いみたいなものだし、焼け石に水。

日本だとそこで「高額所得者しか弁護士になれない。ケシカラン」となってしまうのだが、そこはそれ、アメリカは資本主義の国、そういう面がないとも言えないが、困ったときには市場が何とかしてくれる。つまり貸与制奨学金のシステムが発達している。
貸与制「奨学金」というと何だかよさげだが、英語ではズバリ"student loan"である。要するに借金。
つまりロースクール卒業生=新米弁護士は、10万ドル=1000万円を超える借金を抱えて働き始めることになる。

このことは新米弁護士のキャリアにも影響を及ぼす。
とにかく借金を返さねばならないから、第一の人気の就職先は、給料のいい、大都市の大ローファームということになる。
逆に、給料のあまり高くない職にはなかなか人が集まらない。たとえその人がその分野で働きたいという情熱を持っていたとしても。
そのような職の典型が、検察官事務所を含む(広義の)public interest職(*1)である。(*2)

public interest
撮影したのは数ヶ月前だが、「刑事の弁護士(検察側・被告弁護人側双方)になりませんか」と呼びかける説明会のビラ(*3)
こうやって学生の関心を高めようとしている。

Harvard Law, Hoping Students Will Consider Public Service, Offers Tuition Break - New York Times
By JONATHAN D. GLATER
Published: March 18, 2008
http://www.nytimes.com/2008/03/18/us/18law.html?_r=1&th&emc=th&oref=slogin
この方面における新しい動き。
ハーヴァード・ロースクールが、政府やNPOで働くこととした学生に対し3L時の授業料を免除することとしたというもの。


もっとも、高額な授業料というのはロースクール/professional schoolに限られた話ではなく、アメリカの高等教育=大学教育において一般にいえる話ではある。
そしてこのことは、政治的/政策的にも問題だと認識されている/つつある。
もっともその動機は、高等教育の分配の公正の問題としてではなく(そうした側面もあるのかも知れないが)、財政構造の問題としてである。
すなわち、student loanにおいては連邦の財政支出に基づくプログラムが重要な役割を果たしている。(元)学生の無資力リスクなどは連邦財政が負担することになる。
他方、大学は「非営利組織」として税法上有利な地位を享受して寄付を集め、結果かなりの資産を保持しながら、貯め込むばかりで必ずしも還元されていない。これはどうよ、ということである。

かくして、大学に対してもっと金を使え、とりわけ学生へ還元するようにせよとの政治的圧力が強まることとなる。
Senate Looking at Endowments as Tuition Rises - New York Times
By KAREN W. ARENSON
Published: January 25, 2008
http://www.nytimes.com/2008/01/25/education/25endowments.html?ex=1201928400&en=a21dd71d587a0f6d&ei=5070&emc=eta1
実際、大学もその方向へ動いているとのこと。
Harvard to Aid Students High in Middle Class - New York Times
By SARA RIMER and ALAN FINDER
Published: December 11, 2007
http://www.nytimes.com/2007/12/11/education/11harvard.html?scp=1&sq=Harvard+to+Aid+Students+High&st=nyt
Harvard’s Aid to Middle Class Pressures Rivals - New York Times
By JONATHAN D. GLATER
Published: December 29, 2007
http://www.nytimes.com/2007/12/29/us/29tuition.html?scp=3&sq=Harvard+to+Aid+Students+High&st=nyt
Yale Plans to Increase Spending From Its Endowment - New York Times
By ALAN FINDER
Published: January 8, 2008
http://www.nytimes.com/2008/01/08/education/08yale.html?ex=1200459600&en=6018cde2ff1fe455&ei=5070&emc=eta1
ハーヴァードが学生に対するfinancial aidを拡大したこととその影響のレポート。

もっとも、このような動きが目立ち始めたのは昨夏くらいからだが、その頃からサブプライムに起因する経済的混乱も本格化している。昨夏の時点ではそれまでのパフォーマンスで計られていただろうが、その後の経済情勢からすると財務状況は一気に萎んでいることも考えられ、この方向で単純に進むかは予断を許さない。


サブプライム問題の顕在化以降、金融セクターが萎縮していることからstudent loanについても得ることが難しくなりつつある模様。
Fewer Options Open to Pay for Costs of College - New York Times
By JONATHAN D. GLATER
Published: April 12, 2008
http://www.nytimes.com/2008/04/12/business/12loan.html?_r=1&th&emc=th&oref=slogin
【2008/10/30追記】続報:
College Tuition, Aid and Borrowing All Going Up, Report Finds - NYTimes.com
By TAMAR LEWIN
Published: October 29, 2008
http://www.nytimes.com/2008/10/30/education/30college.html?_r=1&th&emc=th&oref=slogin

【関連】

アメリカの裁判官(の給料)とリーガル・サービス市場 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
サブプライム問題 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する

テーマ : アメリカ合衆国 - ジャンル : 政治・経済

23:19  |  アメリカ法  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2008.05.17 (Sat)

カリフォルニア同性婚禁止違憲判決

離婚が認められないことが教会の分裂の原因になるほど、西洋において「婚姻」は重要なようで。

California gay marriage: California Supreme Court overturns ban - Los Angeles Times
By Maura Dolan, Los Angeles Times Staff Writer
May 16, 2008
http://www.latimes.com/news/local/la-me-gaymarriage16-2008may16,0,6182317.story
カリフォルニア州最高裁が、同性婚を認めないことは州憲法違反と判断。全員共和党知事に任命された裁判官のうち、4:3の判断。
確かにこれはニュース。

日本語で読める中ではCNNが一番正確で詳しいかな。さすがに。
CNN.co.jp:カリフォルニア州最高裁、同性婚認めぬ州法に違憲判決
2008.05.16 Web posted at: 13:00 JST Updated - CNN
http://cnn.co.jp/usa/CNN200805160007.html

判決文本体はこちら。
In re Marriage Cases, 2008 Cal. LEXIS 5247 (Cal. May 15, 2008)
available at http://www.courtinfo.ca.gov/opinions/documents/S147999.PDF
172頁(笑)
斜めに読むにしてもちょっと時間要るから、判断構造の分析はどなたか関心の向きにお任せしましょ(^^;

California gay marriage: California Supreme Court overturns ban - Los Angeles Times
"The court's ruling repeatedly invoked the words "respect and dignity" ..."
Dwokinがアミカス・ブリーフでも出していたのかしらん。

個人的に気になるのは
California Supreme Court Overturns Gay Marriage Ban - New York Times
By ADAM LIPTAK
Published: May 16, 2008
"The court left open the possibility that the Legislature could use a term other than “marriage” to denote state-sanctioned unions, so long as that term was used across the board for opposite-sex and same-sex couples."
http://www.nytimes.com/2008/05/16/us/16marriage.html?th&emc=th
ここら辺ですな。それじゃあそもそも「婚姻」って何、っていう。


州憲法に基づく州最高裁の判断だから訴訟の本案としてはここまでだが、まぁこの判決があっさり発効するとは考えにくいわけで、反対派は州憲法改正を発議して、今秋の選挙の際に一緒に州民投票に付すでしょうな。その際には判決執行のstayが申し立てられることは確実だし、裁判所は認めると予想。

それでは反対派の州民投票の結果はどうなるかと予想すれば、読み切れない。
カリフォルニアだけに、憲法修正なし=本判決の維持、というほうがやや優勢、あたりか。

他州への影響はどうか。
カリフォルニアがいろいろな意味で大きな州であることは確かなので、他州への影響も大きいとの予想がなされているが、他方でカリフォルニアはいろいろな意味で“特殊な”州であるとも受け止められているから、そうすんなりと全米に広がっていくということもないのではないか。

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2008.05.15 (Thu)

月日は百代の過客にして 行かふ年も又旅人也

今日は父の命日である。
12年前の今日、父は他界した。十三回忌に当たる。
昭和15年11月30日生まれだったから、55歳5ヶ月と15日、覚え易い。
両親の結婚記念日でもあったらしい。

肝臓ガンだった。
そのことを母から知らされたのはその数ヶ月前。それと相前後して、ある研究会でガン告知に関する判決を報告するよう割り当てられた。幹事の先生が父のことを知っていたはずがないので全くの偶然なのだが、「何だかなー」と思った。報告自体は四十九日明けの定例研究会期日だった。当時も今も医事法をやっているとは言えないのだが、そんな事情から思い入れのある仕事になっている。
私であれば告知すべきだと考えただろうが、結局告知しないという母の判断を尊重した。もっとも本人も薄々は感付いていたように思う。

父は洒落にならないほどの大酒飲みだった。
若い頃から好きだったようだが、私が十代の頃は半端ではなかった。祖父が他界してからか。
暴力こそなかったものの、怒鳴り合いはしょちゅうだった。
こちらも中二病だったし。しかし経済的に従属していることは否定できないわけで、そのこともirritationの種だった。にもかかわらず結局大学に残るという選択をしたのは皮肉である。
ただ他方、父の髪に白いものが混じっているのを発見した時には、「親父も老いるんだ」という、ある意味当たり前のことを認識してある種の途惑いのようなものを覚えたことも記憶している。
そんな様子だったから母は我々子供以上に苦労していた。しかし晩年、糖尿病の関係で下肢を失ってからは外を飲み歩くこともなかったから、穏やかな月日だった。そのような時間を持てたことで母も納得しているようだし、それでよいのだと思っている。
自分も酒飲みの遺伝子は継いでいることは自覚しているので、意識的に自重している。

父が他界した時--自分でも奇妙な感覚だと思ったのだが--まず頭に浮かんだのは「逃げたな」という感覚だった。フロイトではないが、男子が父親との対決を通じて自己を確立するのだとすれば、決着が着く前に手の届きようがないところに行かれてしまった、という直感だったのだろう。
人格を構築する十代の頃に範とすべき--あるいは、範とすべきと思った--成人男性が身近にいなかったのは確かであって、現在の自分が大人として、あるいは男子として、ある種の欠落があるとすれば--実際、あるのだろうと思われるし、ジョハリの窓ではないがそこには自分の気付いていない部分もあるだろうと想像するのだが--そういったところに根っこがあるのだろう。ちょっと昔の流行り言葉で言えば「アダルト・チルドレン」といったところか。

しかし何だかんだ言って、結局自分も父に似ているな、あるいは似てきているな、と思うこともある。
父が自分の現在の年齢だった頃には、既に自分も生まれていた。ぼちぼち物心も付き始めてきた頃である。
自分がああだった頃、父はどのようなことを考えていたのだろうかと想像する。そうして、人生の長さと歴史の流れの不可逆性を感得する。ことができるようになってきた。

こうやって人は齢を重ねていくのだろう。
01:12  |  未分類  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.05.13 (Tue)

州による貧困者支援

State Programs Add Safety Net for the Poorest - New York Times
By RACHEL L. SWARNS
Published: May 12, 2008
http://www.nytimes.com/2008/05/12/us/12welfare.html?th&emc=th
クリントン政権下の1996年、貧困者向けの連邦プログラムは「就労」を重視する形で大きな変更が加えられたわけだが、しかし必ずしもうまくいっているわけではない。
そこで、州が独自に行っている、貧困層よりちょっと上、一応働いてはいるけれども生活は厳しい層向けの、家計支援プログラムについてのレポート。

州レベルのプログラムだから、要件・額・期間等、内容は州によりまちまち。
アーカンソーの月204ドル・最大2年、やユタの月474ドル・2ヶ月まで、3ヶ月目は237ドル、というのはかなりsubstantialな支援に思えるが、ミシガンの月10ドル・6ヶ月まで、というのは管理コストのほうが高いじゃね、という気もする。

ここでレポートされている受給者はいずれも女性。貧困はジェンダーの問題でもある。(*1)
"...Ms. Greenwood, 33, who lives in a two-bedroom apartment with her four children and a grandchild."
ちょ、おま、33で「孫」って。
単純計算でteenage motherhoodの2連コンボ。

ここら辺は勉強していないのでとりあえずのクリップということで。

【関連】

ヴォランティアの成立し得る空間 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する

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00:40  |  アメリカ法  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.05.13 (Tue)

市民権の証明

今回ではなく以前の長期滞在の際だが;
近所のドラッグストアへ入ったら、確か初老のおじさんだったと記憶するのだが、「ここで有権者登録していきなさい」と言われた。有権者登録というのは、まぁ、そんなところでもやっているわけである。(*1)
"I'm not an American citizen."
"Oh, OK, welcome to Chicago!"
Voter ID Battle Shifts to Proof of Citizenship - New York Times
By IAN URBINA
Published: May 12, 2008
http://www.nytimes.com/2008/05/12/us/politics/12vote.html?_r=1&th&emc=th&oref=slogin
インディアナのID法に対し合憲判断が下ったということで;

今度はミズーリで、有権者登録の際に米国籍の証明を求める憲法修正が提案されているとのこと。
もちろん市民権なき者の投票を防ぐためだが、普通のID以上に要求される文書が限定されることから、投票権を有する者が事実上投票できなくなる虞はさらに大きい、と反対側は批判。

ミズーリのID法は州最高裁で違憲判断されたので、憲法修正でいくことになったとのこと。この判決というのは
Weinschenk v. State, 203 S.W.3d 201 (Mo. 2006)
かな。(*2)

他の州でも同様のmeasureは検討されているようだが、この秋の選挙に影響を及ぼし得るのはミズーリのみ。しかも、ミズーリの政治情勢は大統領選挙全体を左右し得る状況にあるので、重要性はさらに大、とのこと。

もっともこれから憲法修正が提案されて住民投票にかけられるのだから、その結果次第ではある。
しかし、移民に対してはここのところ風当たりが強いこともあり、どちらに転んでも一騒ぎあるかも知れない。

【関連】

社会のID:[OL] - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
ギブ・ミー・選挙権 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する

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00:15  |  アメリカ法  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.05.10 (Sat)

夏休みモード

試験期間は昨日までだったようで。
図書館も24時間営業が終わり、今日は週末ということもあり17時に追い出される。
以前17時閉館だった際に比べ、日も長くなっているのに加えて夏時間だから、まだまだ陽が高い。自分はlate afternoon~early eveningが一番ノっている時間帯なので、どうも調子が狂う。

residence bulidingの前で引越し業者が荷造り用の木箱を並べていたり、学生が段ボール箱を持ってキャンパスをうろうろしたりしていた。
そういう季節ではある。
あちらこちらにmoving saleのチラシも目立つ。
23:32  |  身辺雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.05.09 (Fri)

円高?

雨だったので篭る。

大学の試験もほぼ終わり、図書館の人影もかなり少なくなった。
ミーティングや研究会もほとんどオフだから、大学に行ってもあまり人に会わない。


こちらで買った本の整理をする。
…何だかこちらの本屋で買うよりamazon.co.jpで買ったほうが安いみたいなんですけど(笑) これも円高の影響?
22:11  |  身辺雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.05.08 (Thu)

ヴォランティアの成立し得る空間・補論

ヴォランティアの成立し得る空間 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
http://izw134.blog74.fc2.com/blog-entry-179.html
先日のエントリに対してTBを頂いた。
タダ働きとしてのボランティア - すなふきんの雑感日記
http://d.hatena.ne.jp/sunafukin99/20080508/1210200420
先のエントリの特に後段は、日本の状況は脇に措いてもっぱらアメリカを観る際の論点メモになっていたので、日本の状況へ置き戻していない(汗)(*1) 少し補足しておく。

念のために補足すると、
(a) 先のエントリはヴォランティアに実際に従事する人については何も語っていないし、ましてや批判するものではない。ポイントはヴォランティアに依拠して社会システムを組み立てることの問題性であり、仮にヴォランティアに依拠するのだとすれば、「それによって供給される財・サービスを受け取れない人が出てきても仕方ない」という覚悟ないし割り切りが必要なのではないか、という指摘である。

(b) 先のエントリではもっぱら個別的な対価的牽連関係に着目していたので、市場全体に及ぼすインパクトについてはあまり考えていなかった。
「「対価」を生み出さないということは、本来経済が有する富の生産流通過程を中断することにならないか。これははたして経済にとって望ましいことなのだろうか?」
自分としては「あらゆる財・サービスが市場で提供されるべきである」とまで言えるかは自信はないが、
ボランティア活動は公益になるか(*2)
「ボランティア活動家が、本職の労働時間を削って、非営利活動をすると、営利活動が減少するから、政府の税収が減る。しかもボランティア活動は、有料で同じサービスを提供していた業者から仕事を奪うので、失業者を増やすことになり、政府は失業対策のために余計な支出をしなければならなくなる。」
http://www.nagaitosiya.com/a/volunteer.html
これらの指摘に対して特に異論はない。
実家の庭には父の趣味であれこれと樹木が植えてあるのだが、流石に数年に一度は植木屋の手を入れないと大変なことになる。
地域に、既に職業としては引退した高齢者が小遣い稼ぎに仕事を請け負うサービスがあり(*3)、実家の植木の手入れでもそこにしばしば頼んでいる。もちろん普通の業者に頼むよりも安いからなのだが、何故安くできるかをちょっと考えてみれば、彼らの生活がその仕事に懸かっていないからである。彼らは既に年金を受け取っているはずだが、これは言うなれば補助金付きで労働市場に参入しているようなものであろう。そして、現役世代から仕事を奪っている。
そんなことを昔考えたことを思い出した。
タダ働きとしてのボランティア - すなふきんの雑感日記
「コメントを書く
arrack 2008/05/08 15:08
団塊の大量退職者をボランティアとして放課後の教師うんぬんという話ありましたけど、単純に考えたら塾講師の職をダンピングで奪ってることと同義ですから大変な問題なはずなんですが」
http://d.hatena.ne.jp/sunafukin99/20080508/1210200420

タダ働きとしてのボランティア - すなふきんの雑感日記
「日本社会でも実質的には社会的コストを共同体的機能の無償奉仕的行動に依存してきた部分が大きい可能性を考えれば示唆的である。そうした意味ではむしろ日本社会の方が現代に至るまで広義の「ボランティア的」(家内労働・企業内サービス残業など)社会であり、またあり続けているのではないか…」
日本社会が家庭内労働やサービス残業といった「広義の「ボランティア的」」なるものに支えられている、という指摘には同意する。
ただ、すなふきん氏も慎重に「ボランティア」としているが、家庭内労働やサービス残業というのは、語の真の意味でvolunteer=自発的なものではない。むしろ現状において実際にそうした役務を担っている当事者というのは、そうせざるを得ないが故にそうしている。
そう考えると、ここにはそうせざるを得ないように仕向けている権力を見出せる。(*4)

さらにそこから考えを進めると、
(1) 公共セクターや政治的リーダーが“ヴォランティア”を称揚するのは、かかる権力の弛緩に対する反動だと理解することができる。

(2) かかる権力の源泉は、外部労働市場の未発達・機能不全に求めることができる。すなわち、家庭内労働であれば労働市場から女性が排除されていること、サービス残業が強要されるのは転職市場が未発達なことから、当該家族/雇用関係から離脱することが不可能ないし困難であるため、事実上、“タダ働き”するより他ないためだ(*5)、といえる。
小泉政権下の諸施策を「新自由主義」として“負の遺産”とする一方、昔ながらの日本型システムを懐かしむ声も強いのだが、自分としてはそれは外部労働市場の不在をキーとする抑圧的な社会への回帰を志向しているようにしか思えないのである。


ただ、さらに留保を付せば、(前述(b)にもかかわるが、)人の動機付けとして常に狭義の交換取引的なもののみに依拠して思考すべきか、と言い切れるかは自信がない。
短期的に自分の得になるかどうかは分からないけれども、とにかくやってみよう、後々「情けは人のためならず」が実現すればそれでよし、そうでなくとも仕方ない、というような行動/態度/動機付け(*6)は、(それを“ヴォランティア”と呼ぶかどうかは別問題として)社会の潤滑油としてあっていいのではないか、という考えもある。
社会の構成員がそれぞれそのように考えていれば、各構成員は中長期的に与えるものと受け取るものがトントンになるであろうし、そのような状況が成立するのであれば、そのような行動を促すミームも行動経済学的な意味で合理的なものだろう。

自分が批判したいのは、実際には与えることと受け取ることとに非対称性が生じているにもかかわらず、自ら「与える」つもりのない者が、「与えること」の「道徳性」を強調して相手に「与えよ」と迫ることにある。無論、このことを意識的・無意識的にキャッチする者は、与えること自体を差し控えるであろう。(*7)

なお、
ボランティアや支援行為は富裕層の特権的行為か - すなふきんの雑感日記
「「kmizusawa 公的セクターが募集するボランティアはたしかにいかがわしい。しかも無償だから好き勝手出来る(連絡なしで勝手に休んだり)と思ってる人が応募してきたりして大変だという話もちらっときいた」
結局人間というのは「どうせタダ働きだし・・・」とタカを括っているとどうしても手を抜くものなんだろう。それなりの質を確保するにはそれなりのコストがかかるということ。」
http://d.hatena.ne.jp/sunafukin99/20080509/1210286967
逆に、むしろ無償のほうが提供される財の質が上がる場合もあって、献血(有償であれば売血)の例がよく挙げられ、その理由も経済学的に説明されているはずなのだが、すぐに思い出せない。Posnerだったかな…


【関連?】

popular constitutionと「教育」 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
愛国心概念の空虚さ - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
で、誰をひっぱたくのか - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する

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21:06  |  日本社会  |  TB(3)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.05.06 (Tue)

ヴォランティアの成立し得る空間

湯浅誠さんの目的がよく分からない - 躁うつ病高齢ニートの映画・TV・床屋政談日誌
「具体的には「市民」のチャリティや共同体の互助に依存する社会ということでしょう? それでは上に書いたようにかえってパブリックの福祉を弱体化させてしまったり…」
http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080430/p3
「市民」「共生」幻想の危うさ - すなふきんの雑感日記
「ましてやセーフティネットを「市民」のボランティア的活動というあやふやなものに委ねようとするのはその「進歩的」外観とは裏腹に、実は退行的なやり方とすら言えるかもしれない。」
http://d.hatena.ne.jp/sunafukin99/20080501/1209595779
これらの見解に基本的に同旨なのだが;
もし、社会の全ての成員が一定のベースラインの財の分配を受け得る権利を有するのだと考えれば、その供給をヴォランティアに期待することは、社会的に必要な財の供給を社会全体としてしかるべきコストを支払わずに、誰かのタダ働きに期待することになる。それは社会が全体として“サービス残業”に依存するということではないのか?
最近--といっても既に十数年のスパンだが--、しばしば公的セクターによって“ヴォランティア”が称揚されるが、公的セクターや政治的リーダーがそのように言うのは供給のためのコストをディスカウントして「善意」にタダ乗りしようとする意図が見え見えに感じられてどうにも違和感が拭えない。

逆から見ると、ヴォランティアがヴォランティアとして望ましいものとして社会的に了解されるためには、ヴォランティアによって供給される財は「あったほうが好ましいし、あるに越したことはない」が、「全ての成員に対して必ず保障されるべきもの」ではなく、それを超えたものとして把握されなければならないだろう。(*1)
つまり、社会の全ての成員に保障されるべきベースラインは低く設定され(てい)ることになる。

この観点からアメリカを眺めると、貧困等の社会問題の(特に、政府の施策としての)放置とヴォランティア精神とは、平仄が合っているものとして(*2)理解できる。
逆に言えば、福祉国家原理とヴォランティア精神とは一貫しないように思われるわけだが、それが両立している(ように見える)社会ではどのように整合性が確保されているかが論点になるはずだと思われるのだが、あいにく不勉強にして知らない。(*3)


さて、以上のような視角からすると、
なぜサヨクは駄目なのか?・・・いつものモグラ叩き・・・ - 躁うつ病高齢ニートの映画・TV・床屋政談日誌
「ボランティアやチャリティ自体が福祉社会の自己否定に繋がってしまうのではないか? 例えばアメリカが福祉社会を構築できないのは、別にサヨクが説くような大資本や支配層の横暴(?)に理由があるのではなくて、「自分たちのことは自分たちでやる」「金持ちやそこそこ豊かな中産階級が私的な福祉で貧乏人を助けるべきで、大きな国家に福祉を委ねてはいけない」という彼らの自治意識も要因となっているのではないか? アメリカといえば、昔も今も向こうの大資本家は「搾取」も批判されるが、一方で私財をチャリティや財団などに投げ打つのも好きでしょう? この辺りは宗教的な観念も大きいのでしょうけれど、しばしば美談として称えられる向こうの中産階級・富裕層のボランティア意欲の強さや富豪・成功者の施し故に、アメリカは福祉社会になれないのではないか?」
http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080503/p1
自己決定・自治主義と福祉主義の狭間で - すなふきんの雑感日記
「日本でかつて左派を支持していたようなタイプの層が小泉改革ブームの時に「改革」という文言に反応し、大挙して「改革」マンセーに乗っかったという現象をさらけ出したことと、彼らが同時にボランティアやチャリティが大好きな傾向とは何か根底で通じるような気がする。つまり日本の戦後リベラル=左派の中にはアメリカでの保守の行動原理と通じる部分がだいぶありそうだということだ。そしてこれは戦後民主主義とアメリカ文化が「セットで」同時に流入してきたことと関係があるのかも知れない。ここには日本の左派の中にある地方分権志向なども含めアメリカ的なマインドが無意識的にせよ影響しているのではないだろうか。同時に世界中の左派の特徴である大きな政府で福祉国家支持という矛盾する(!)志向も同時に持っていて、だったら中央集権でないといかんじゃないか?」
http://d.hatena.ne.jp/sunafukin99/20080503/1209802113
これらの、volunteerismとアメリカ型保守との連関の指摘についても、基本的に、一般的・抽象的レベルにおいては同意するのだが、細かく見ていくと--アメリカ理解として、その上での日本への応用可能性において--若干の留保が必要なようにも思われる。

寄付文化の性質
確かに、功成り名を遂げた大金持ちが寄付をするというのがアメリカ(型資本主義)のカルチャーの一部にある、というのは指摘の通りなのだが;
しかし、その寄付の宛先はしばしば既存の、しばしば大規模な、非営利組織である。
典型は大学で、ハーヴァードやイェール、スタンフォードといった有名大学のほうが無名の大学よりも金持ちの卒業生を輩出しやすいというのは確かであり、彼らが出身大学に寄付をすることで、既に金持ちの大学はさらに金持ちになっていくという循環に乗っていくことになる。
そこに、所得の再分配効果を見出すことは難しい。(*4)

教会や社会正義を訴えるNPOといったところへの寄付はもう少し所得再分配効果を持っているかもしれないが、内部の運営費用等に費やされて(*5)、寄付金額の一体どれだけが実際の低所得層へ渡るかは眉にツバをつけて考える必要がある。(*6)

リベラルとprogressivismと「保守」
アメリカ政治のコンテクストにおいて「保守」と対抗関係にあるのが「リベラル」なわけだが;
まず第一に「リベラル」サイドのヴォランティア活動もある。確かに「リベラル」な政治的立場は政府の役割を相対的に重視するが、しかしこのことは草の根レベルの活動を否定するものではない。

また、現在のコンテクストでの「リベラル」の淵源を辿っていけばニューディールに行き着くわけだが、ニューディールの淵源をさらに求めれば19世紀終わり~20世紀初頭のprogressivismだと言える(*7)
progressivismは、確かにGilded Age~Lochner時代≒アメリカ産業革命の資本主義の高度化(*8)のもたらした社会的・経済的諸問題に対抗するという形で出てきたものであって、その意味では“ビジネス保守”と対抗関係にある。
しかし他方、prograssivism運動にはキリスト教倫理の影響も見て取れる(*9)のであって、一筋縄ではいかない。(*10)(*11)

このことは裏返すと、現在言われるアメリカの「保守」が、複数の出自を持っていて必ずしも一貫していないことにつながる。(*12)
少なくとも、経済的権益を重視するビジネス保守と、キリスト教(思想)を背景とする社会的保守とは区別されるべきだろう。
寄付文化は前者に属するのに対し、ヴォランティア文化は後者に属する。
そして、戦後、それらを統合していたのが「反共」のアイディアであったのだが、他方、アメリカにおける「反共」は気に入らないものであれば何にでも貼り付けられていた魔法のラベルでもある(*13)
なぜサヨクは駄目なのか?・・・いつものモグラ叩き・・・ - 躁うつ病高齢ニートの映画・TV・床屋政談日誌
「それといまだに反共意識が強いことも大きいと思います。」
なお、戦後に日本に流入した「アメリカ」は、前述のニューディール・リベラルであったことも確認しておく(*14)。1930年代以降長い間、アメリカでは「保守」はdefensiveな立場に置かれていた。(*15)
宗教とヴォランティア
宗教(家/組織/団体)が、貧困層等社会的弱者に対するサービス提供に積極的なのは、もちろんその教義上の要請という側面もある(場合もある)だろうが、しばしば布教や信徒の基盤確保という側面があることも忘れてはならない。
別にこれはアメリカ/キリスト教というコンテクストに限られず、一般的に言える。(*16)
「市民」「共生」幻想の危うさ - すなふきんの雑感日記
「「連帯と共生」論者の持ち出す「新たなコミュニティ社会」…では異質な思想傾向を持つ人間は排除されてしまう可能性もある。その意味でも公的サービスの方が優れていて公平さが備わっていると思えるのだが。」

まとめ

ようと思ったがまとまらない。この辺りは大事だとは思うのだがあまり勉強していないので、論点メモということで。

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2008.05.03 (Sat)

死刑:モラトリアム終了

死刑:lethal injection - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
「昨年秋よりアメリカは事実上の死刑執行停止状態に合ったが、連邦最高裁の結論は7対2で合憲判断。これにより執行停止も解除される見通し。」
http://izw134.blog74.fc2.com/blog-entry-169.html
というわけで続報。実際に執行の予定が具体化しつつありますよ、と。
After Hiatus, States Set Wave of Executions - New York Times
By RALPH BLUMENTHAL
Published: May 3, 2008
http://www.nytimes.com/2008/05/03/us/03execute.html?_r=1&th&emc=th&oref=slogin
この記事の後半は執行予定が具体化した死刑囚とその犯罪を短く並べているのだが、目を引いたのが
"South Dakota ... set a week's window of Oct. 7-13 for the execution of Briley Piper, 25. He pleaded guilty to the torture murder of Chester Allan Pogue, 19, who was forced to drink hydrochloric acid and then stabbed and bludgeoned to death in 2000."
現在25歳で2000年の犯行ということだと、単純計算では犯行時(25-(2008-2000)=)17歳ということになるが、18歳未満に対する死刑執行はRoper判決により違憲(*1)だから、誕生日の関係で当時18歳だったのだろう。

補:
"Mr. Smith, the oldest death row inmate ...
Asked if the prospect of an end to his confinement came as any relief, he said, "In a way it does."
"Death is death," Mr. Smith said. "If they stick a needle in your arm or shoot you in the head, it's cruel and inhuman punishment, taking a human life."
Yet, he said, "a life sentence is a whole lot worse ― it's torture."

【関連】

死刑:lethal injection - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
第8修正シンポ - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
18:46  |  アメリカ法  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.05.02 (Fri)

こくみんのしゅくじつ

そうか、"national holiday"を日本語に訳せば「国民の祝日」か(謎)(後述)

当然、普段はアメリカのカレンダーで生活しているわけだが;
何故かアパートの部屋にかかっているカレンダーは日本版である。
で、5月になったのでカレンダーをめくった。
あれ、火曜日まで休日になっている。
あぁ、あれだな、国民の祝日に関する法律が改正されて、4月29日が「昭和の日」になって、「みどりの日」が5月4日に移動して、振替休日の規定が変更になったためだな。確か去年は実質的に影響が出ていなかったので、変更の効果が明らかになるのは今年から、と。
国民の祝日に関する法律
(昭和23年7月20日法律第178号)
第3条 「国民の祝日」は、休日とする。
2 「国民の祝日」が日曜日に当たるときは、その日後においてその日に最も近い「国民の祝日」でない日を休日とする。
しかし、何故このようなことをするかな。
「休日」を確保したいのであれば、有給休暇を確実に取得できるようにすればいいだけだろ常考。そのほうが観光客も分散して、観光産業や交通への負荷も分散し、全体として繁栄するんじゃないのか。

簡単に移動できるようなものであれば、“祝日”の価値自体が軽く思えてしまう。国民的/国家的に記憶に値する日だと判断したから祝日にしたのではないのか。
今更なのだが、「体育の日」を10月10日から動かしたのは許し難い。東京オリンピックの開幕という、重大な日だろうに。

条文をちゃんと読んでみると今更ながら初めて気付くことというのはあって、
第2条
建国記念の日 政令で定める日
なのね。
先日、こちらのlaw reviewに日本法に関する論文(筆者はアメリカ人)が投稿されてきて、編集作業(出典のチェック)を手伝ったのだが、その中に「最判昭和35年2月11日」というのがあって、「祝日のはずなのに判決が出ているのはおかしい。誤りでは」と思ったが、確認してみると当時はまだ「建国記念日」はなかったんね。
妙なきっかけでトリビアを身に付ける。

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23:56  |  日本社会  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.05.02 (Fri)

初等・中等教育の“効率的”“効果的”経営

北米市場を制覇するKUMON(公文)、「独り勝ち」の仕組み :: INSIGHT NOW!
石塚 しのぶ/経営戦略
2008年5月1日 10:01
http://www.insightnow.jp/article/1291
(エントリには書きそびれていたのだが、)先日ニューヨークに行った際に、クィーンズの宿の近くで何かどこかで見たことのあるような看板が、と思ったら"KUMON"だったんですよね。
KUMONb
KUMONa
へぇ、アメリカにも進出してたんだ、と。
フィラデルフィアにもあるのかも知れない。近所では見かけないが、郊外へ行けばあるいは。
撤回要求:現職校長、都教委に…職員会議の挙手禁止通知 - 毎日jp(毎日新聞)
「東京都教育委員会が都立学校の職員会議で教職員による挙手や採決を全面禁止した通知を巡り、都立三鷹高(三鷹市)の土肥信雄校長(59)が「教育現場で言論の自由が失われている」と撤回を訴えている…」
「通知後の職員会議について土肥校長は「教職員が『何を言っても意味がない』と思うようになり、活発な議論がされなくなった。教員の意見が反映しにくくなった」と主張。」
http://mainichi.jp/select/today/news/20080502k0000m040151000c.html
Matimulog: free-speech:言論表現の自由を考える素材
http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2008/05/freespeech_766a.html
この都教委の政策自体はunwiseだと思うが、そこで「言論の自由」に飛び付くのも大上段に過ぎるように思われる。

企業経営における言説を見ていると、現場で発生していることを経営側が早く具体的に把握するためにこの種の会議が(も)(再び?)重視されているようであり、そういう動向を仕入れていないのは悪い意味でお役所仕事だなぁ、と。
ダラダラ会議が現場のスピードアップを生む:NBonline(日経ビジネス オンライン)
世界シェア9割、優良企業アルバックの全員納得経営(1)
2008年5月1日 木曜日 大村 洋司
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20080428/154411/
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