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2008.04.05 (Sat)

アメリカにおける軍事組織の(原)イメージ

木曜の憲法理論ゼミ、先週・今週とassignmentはAkhil Amar "The Bill of Rights"(*1)だった。
現在の関心で読んでいると、本筋と関係ないところに引っかかってしまう。


第2・第3修正の絡みで、建国期の人々にとって"militia"と"army"とが対照的なものとして把握され、前者が称揚され後者が封じ込めの対象とされているのに引っかかった。
militia army
武器を帯びうる全ての市民(*2)
(←→パートタイムのセミプロ兵士は"select militia")
∴"the militia"≒"the people"
(外国人*3)傭兵
徴募・組織・訓練は州政府
(但し、完全な武装解除は×)
徴募・組織・訓練は連邦政府
一時的動員 フルタイム
→地元の同郷者からなる部隊に配属;所属するコミュニティの同輩とともに軍役に就く
地元の名士が指揮
→市民社会/文明社会/文民の社会(civil(ized/ian) society)と結び付きが薄い
→市民社会/文明社会/文民の社会における行為規範を思い出させる
∴略奪や暴行が起こりにくい
内部化された文民統制
恐怖・警戒の対象
軍事組織外の社会的・経済的・政治的関係が軍事生活の過酷さを緩和 待遇は上官次第
「規律」
社会におけるpopular valueの保持
(→第一義的には連邦政府、二次的には州政府に対する抵抗権の具体化)
→政府への追従

日本人は"army"としての米軍にしか出会ったことがないから、こういう対抗関係は見落としがち。アメリカ人にとっても"army"は胡散臭いものとして把握されていた、と。
いや、アメリカにおける常備軍への警戒についてはあちこちで読んだ記憶があるのだが、民兵については「そのかわり」という感じで記述されているパターンが多いかと(*4)。そうではなくて、民兵こそがプライマリーであったと。

もっとも同書Part IIにおいては、南北戦争を通じた"army"の地位の逆転が議論されるわけだが。
(南部反乱諸州を鎮圧し、そこの被抑圧者(=奴隷)を解放した北軍=合衆国軍。)


他方で、政治的参加と軍事的参加との牽連関係も歴史上、継続的に認められて
  • 建国期、アメリカのために戦った民兵は、財産要件にかかわらず、憲法批准の投票を認められた
  • (いくつかの州が認めていた)投票権を持つ外国人は、南北戦争で徴兵の対象となった
  • 南北戦争において、黒人が北軍の兵として戦闘に参加したことは、第13修正、第15修正の採択にプラスに働いた
  • 第14修正2項の「21歳以上の男性」というのは、民兵一般(general militia)の範囲とほぼ一致する
  • 女性参政権(第19修正)の採択にあたっては、第1次世界大戦における女性の貢献(*5)が影響した
  • 第26修正が投票権を18歳以上に拡張したのは、ベトナム戦争時の徴兵年齢とのギャップを埋めるため

【関連】

Get Your Gun - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
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テーマ : アメリカ合衆国 - ジャンル : 政治・経済

21:48  |  アメリカ法  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.04.05 (Sat)

Because It's There 春霞氏との一連の遣り取りについて

一応、トラックバックは送信する。
もはや春霞氏には理解してもらうのは困難かも知れないが、読者が両者の主張を読み比べることを期待して。
もちろん、春霞氏からTBを拒絶されることも大いに考えられるし、それはシステム上もブログ慣習としても認められたことであろう。その場合、私としてはただ残念に思うだけである。個人的に自らの主張がreachする範囲が狭まるという面もあるが、それよりも、「十分な反論の機会を与えた上でそれを論破して得られた結論こそ、正当性が高まる」という、一般的に言えるであろうし、春霞氏自身もコミットしていると思われる(後述)規範に自ら反することになるはずである。

0. 概要

Because It's There プリンスホテルによる日教組会場使用拒否・司法判断無視問題(下)~裁判制度が危機に陥ってもいいのだろうか?
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-846.html
こちらのエントリで"IZW134"名義のコメントが2つある。これは私のものであり、ブログ主である春霞氏と若干の遣り取りがある。2008年02月19日15時08分08秒付けの公開されていないコメントもあるが、これも私のものである。

別のエントリで"IZW134"名義で再びコメントし、その過程で公開されていないコメントについて言及した。これに対する春霞氏の回答によると、前記コメントを公開する意思がないようである様子が読み取れた。
Because It's There 終身刑創設法案を今国会提出へ~亀井静香・死刑廃止議連会長に真意を聞く(東京新聞平成20年3月18日付「こちら特報部」より)
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-952.html
本エントリは、一連の遣り取りにおける私の意図を説明する。議論の中身についても触れるが、中心はネット上での議論のあり方についてである。一連の遣り取りにおいて、私は建設的な議論と意見交換を意図したつもりだったが、春霞氏からは適切な対応を頂けなかった、と感じている。
12:53  |  未分類  |  TB(0)  |  CM(3)  |  EDIT  |  Top↑

2008.04.05 (Sat)

愛国心概念の空虚さ

日本における「愛国心(教育)」の主唱者は、とにかく「国を愛しなさい」と言うだけで、その内実は空虚。むしろ、他の分配(経済的財を含め)をディスカウントするために、替わりに「愛国心」を分配しているようにすら思える。
自分は個々人の「愛国心」を否定しないが、本当に「国」が「愛」するに値するのであれば人々は放っておいても愛するはず。政治的リーダーがそれを言い出すとすれば、自らの失政を喧伝しているようなものだと思うのだが、その割にはこうした視点の意見はあまり見かけない。

日本の権力が構造化するにあたって空虚な中心が必要なのだとすれば(→天皇制の問題系へ)、それを確保しようとするのは為政者として自然なリアクションなのかも知れないが。
国旗・国歌問題 実りのないカタルシスゲームの末路 - Munchener Brucke
「結論から言うと、保守系政治家の自己満足+コアな支持者向けのパフォーマンスというベクトルと、政治家に教育問題に関心を持ってもらって教育予算を多く確保したい官僚組織のベクトルの合力によって推進されていると言っていいだろう。 …
…天皇陛下は純粋に、誰もがわだかまりなく自然に国旗や国歌に敬愛の念を抱くような時代が訪れることを望んでいたのであろう。ところが2004年当時東京都教育委員であった米長邦雄氏は、天皇陛下に「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話し、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と陛下に指摘されてしまった。 」
http://d.hatena.ne.jp/kechack/20080403/p1
国旗・国歌に対するリベラルな解答 - 過ぎ去ろうとしない過去
「愛国心教育の支持者に愛国心とは何ぞやと問うてみても、愛国心はけして軍国主義のことでは無いのであって脊髄反射のように反対する左翼は……と左翼批判をはじめるばかりで肝心の愛国心については答えてもらえない。」
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080328/p1

ところで、国歌って「鳥の詩」のことだよね(笑)
というのはともかく、なんで「故郷」や「さくらさくら」を国歌にしなかったのか、という意見もあるとかないとか。
世界の片隅でニュースを読む : 「日の丸」「君が代」は格好悪い
「「日の丸」「君が代」については戦後長らく、…「正直ダサい」というイメージが潜在していた。」
http://sekakata.exblog.jp/6959796/

【関連】

National Constitution Center
12:47  |  日本社会  |  TB(1)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
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