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2008.04.29 (Tue)

社会のID:[OL]

ペンシルバニアは私のビザの条件では運転免許を発行してくれない。らしい。
大学の担当者はそう言っていたのだが、当局のホームページでは該当の情報を確認できない。
ともあれ、という次第でこちらの免許は取得していないし、おかげでIDを要求される場面--少なくない--では何かと不便である。まぁパスポートを持ち歩けばいいだけとも言えるのだが。

Don't Fear the Reaper : 速報:投票において写真付きIDの提示を求める州法は合憲
http://eastriver.exblog.jp/7835701/
もう5月。2007-08開廷期も終盤に入ってきて、注目事件の判決も出始めている。
これもそうした一件。
Crawford v. Marion County Election Bd., 2008 U.S. LEXIS 3846 (Nos. 07-21 and 07-25, Apr. 28, 2008)
available at
http://www.supremecourtus.gov/opinions/07pdf/07-21.pdf
投票の際に写真付きID(運転免許証とか)を要求するインディアナ州法が投票する権利を侵害すると主張された事件。結論は6対3で合憲。

選挙法の専門家であるeastriver46先生が評釈を書くと宣言されているので詳細な分析はそちらにお任せすることとして、ここでは斜めに読んだ感想メモのみを。

事案の特徴として若干追加すれば
  • (当然といえば当然だが)影響を受ける有権者--運転免許等を持っていない有権者--は高齢者や貧困者が多い。
  • こうした有権者は民主党に投票する傾向にあり、当該インディアナ州法も完全に共和党の支持のみで採択された。

正確には(3+3):(2+1)の判断。法廷意見は形成されていない。のみならず相対多数(plurality)意見すら構成されていない。珍しい。
Stevensの意見(Roberts、Kennedy同調)が結論を宣言した"lead opinion"として扱われているが、何でだろう?主席裁判官が入っているから?(*1)よく分からないのだが、ちょっと見た限りでは根拠規定が見つからない。

大雑把に言えば、運転免許証等の写真付きIDを取得することが
  1. 大したことない→Scalia結果同意意見(Thomas、Alito同調)
  2. 大変だ→Souter反対意見(Ginsburg同調)(*2)
  3. 分からない/十分な証拠がない→Stevens' lead opinion(*3)
というのが判断の分かれ目だろう。文面上違憲を求める事件であるので、c.の立証水準は高く要求されている。


本件でも注目はStevensだろう。放っておけばいつもの5:4になるところを、彼が合憲側に回ることで3:3:3となっている。
Robertsは例によってミニマリスティックに事件を処理しようとしたのだが、法廷意見を構成することに(また!?)失敗、このままだとScalia派の意見が相対多数意見となるところを、老獪なStevensは自らの投票でそれをつぶした、という辺りか。
In a 6-to-3 Vote, Justices Uphold a Voter ID Law - New York Times
By LINDA GREENHOUSE Published: April 29, 2008
"The vote of Justice Stevens, a reliable anchor of the court’s liberal bloc, was something of a surprise. Some speculated that his strategic aim was to keep Chief Justice Roberts and Justice Kennedy from joining the Scalia camp."
http://www.nytimes.com/2008/04/29/washington/29scotus.html?th&emc=th
こちらの見解はもっと積極的に、Stevens主導でRoberts、Kennedyを引き剥がした、という見立て。

逆にAlitoの投票行動は先日のobservationからはハズレ(汗)

「ID法に関する議論は、これで一応合憲ということで決着がつくことになるのか、それともまだ一波乱あるか。」
文面上違憲の主張を斥けただけなので、形式的には適用違憲の事件で再び争われる可能性があるが、本件で要求されている立証水準等に照らすと難しそうではある。
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テーマ : アメリカ合衆国 - ジャンル : 政治・経済

21:21  |  アメリカ法  |  TB(1)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.04.27 (Sun)

2M

授業は終了したし、次の締切まではしばらくあって少し時間に余裕があるので、--などと書くと日本にいる人に叱られそうだが…いや、日本もGWか--この週末はブルックリン美術館メトロポリタン美術館を訪れるために、ニューヨークまで出かけた。

primaryな目的はブルックリン美術館で行われている村上隆展を観ておこうと、土曜日はこちらへ。
村上隆氏は名前だけは以前から聞いていたものの実際の作品を観たことがなかったので。

しかしまぁ、先入観満々で観に行って、その先入観を確認したというのが感想ですな(笑) ヲタク文化をモチーフにしているのにヲタク・カルチャーに対するリスペクトが感じられないのは確か。
クイーンズの宿だったのだが、メトロ7番線から見えた廃工場壁のgraffitiとどう違うのだろう?


日曜日はメトロポリタン美術館へ。
MetではPCを(1)セキュリティでチェックされます;(2)クロークに預けることはできず、持ち歩かなければなりません。従ってPCは宿に置いていくのが吉。自分はもうチェックアウトした後だったので。

"21 Century Met"と銘打って、建物の大改修工事の最中だった。そのため動線があちこちで分断されていて地図があまりアテにならなかった。
何だか「21世紀COE」みたいなネーミングだと思う(汗)

Metを訪れるのは…2回目?
以前訪れた際は、「光の画家」たるモネを初めとする印象派が、照明の使い方の所為か、暗く観えた印象を持った。
今回はそのようなことはなく。
キュレータの展示への考え方が変わったのか、こちらの見方のためか。後者、単純に外が曇っていたから建物内では明るく感じられたのかも知れない。

オーディオ・ガイドを借りたのだが、このオーディオ・ガイドは原則としてキュレータが作品の解説をしている。ふと、こういう仕事をすれば、声優さんにとって新たな領域を開拓するのでは、と思った(*1)。もう既にあるのだろうか。新たな観覧者も獲得できそうだ(笑)(*2)
声つきアイテム - REVの日記 @はてな
http://d.hatena.ne.jp/REV/20080426/p2
23:34  |  身辺雑記  |  TB(1)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.04.24 (Thu)

ゼミのスタイル

木曜の憲法訴訟ゼミは今週が最終日。

通常のassignmentの替わりに、学生の提出したペーパーが題材。
5~6頁程度のペーパー5回が成績評価の要件で、その中で"not necessarily best; good and controversial ones"が4本。
該当の学生が簡単に紹介した上で、defendやるというスタイル。
G教授もベテランだがこういうやり方で授業をやるのは初めてだそうで;
しかしペーパーも基本的に普段の教材に基づいて書かれているわけだし;
文献の紹介+報告者のコメントというのは日本(の法学部)で「ゼミ」というと普通にやるスタイルだよなぁ、と思う。ちょっと意外。


10人のゼミを一学期間見ていると、アメリカのロースクールにもいろいろな学生がいるよなぁ、と思う。
偶々だろうが全員白人。女性は3名。
M氏: ソツないタイプ。以前B教授のFaculty Presentationに出たときには、B教授の論文作成に当たってRAをしていた。
S氏: ひょっろっとした感じのガリ勉タイプ。でも日本的ガリ勉と違って議論には参加する。
R氏: 恰幅のいいボスタイプ。4月の頭に階段から落ちて足を挫いたといって最後は松葉杖だった。以前のACSの集会では司会をしていた。
E1女史: 手堅くまとめるタイプ。既婚らしい。既婚者が普通にいるのもロースクールならでは。
J氏: デレっと、日本の学校ならまず注意されるような座り方をいつもしている(でもこちらでは注意されないのもアメリカ的)。しかし授業参加がいい加減ということはなく、最も(ラディカルな)議論を展開するメンバーでもあった。
M女史: 自分から発言することはまずなく、本人が小柄なことも相俟って(アメリカ人らしからぬ*1)大人しい印章。しかし口を開けばちゃんと意見は持っている。
O1氏: いつもキャップをかぶっている(これを注意されないのもアメリカ的)。前半はあまり議論に参加していなかったが、後半になると発言が増えた。スロースターターらしい。
O2氏: ほとんど口を開かなかった。最終日に他の学生と話しているのから推測すると、留学生だったらしい。ということで納得。留学生が喋りにくいのは日本人に限らないよね。
E2女史: 見た目も喋り方もギャル系なのだが、喋る内容はちゃんとあるのはアメリカ的学生。
B氏: 彼もガリ勉タイプだがS氏よりはひょろっと感は薄い。私は彼にassignmentをもらっていた。
22:30  |  身辺雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.04.22 (Tue)

決戦は火曜日

今日は民主党予備選挙の投票日。
というわけで、キャンパス内もそれぞれの候補者を支持する学生たちが最後の呼びかけ。投票それ自体を呼び掛ける学生も目立った。

オバマ投票当日
帰ったら投げ込まれていた、オバマのビラ。投票日バージョン。


ヒラリーが一応勝ったとは言え、微妙な勝ち方だな。逆転のための勢いをつけるには60%くらいが必要と言われていたが。
23:57  |  身辺雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.04.21 (Mon)

民主党ペンシルバニア州予備選挙

周知の通り、大統領選挙の民主党予備選挙、次の注目はペンシルバニア州の予備選挙で、そしてその投票は明日なわけだが、大票田であるフィラデルフィアも盛り上がってきた。
学内でも学生が中心になって集会が開かれたり、投票を呼び掛けたりしている。

図書館で仕事をしていながら、今日は何だか騒がしいな、選挙だからか、と思っていたが、案の定その通りで、近くの広場でヒラリー陣営がミニ集会をやっていた。
(カメラを忘れたので写真を撮れなかった。) 選挙になると騒がしくなるのは洋の東西を問わない。

大家さんはヒラリー支持らしい。
大家さんはヒラリー支持
ちょうど奥さんが、ヒラリー支持層にどんぴしゃりの「白人・中高年・高学歴・女性」に当たる。同時代人と言っていい。

出掛けには、ドアにオバマ支持の、何と言ったらいいのだろう、よくホテルに泊まると"Do Not Disturb"とか、朝ご飯のルームサービスの指示とかをドアノブに引っ掛けておく札があるが、それと同じようなオバマ支持を呼び掛ける紙の札が掛かっていた。
ふうん、こんなのがあるんだと思って記録しようと思ったのだが帰りには片付けられてしまっていた。
23:30  |  身辺雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.04.21 (Mon)

プロとかアマチュアとか 最初に言いだしたのは 誰なのかしら

「アラ探しより“面白い探し”のほうがいいじゃん」:NBonline(日経ビジネス オンライン)
-- ということは、ああ、「売れるなら、やるよ」というのはマーティさんには「アマチュア」、自分のやりたいことが売れるまで手練手管でその世界に生き残り続けられる人が、プロなんだ。

マーティ: アマチュアは、流行ってる音楽を分析してコピーするとか、どうやってたくさんの人に聴いてもらえるか、すごく企画しているかもしれないけど。でも本当のミュージシャンは、たぶん完全に、自分の心から出てきた音楽を作っているから。「ついてきてくれるファンがいればいい。いなくてもしょうがない」っていう。自分に正直でないと、音楽はつくれないから。
 僕の個人的な音楽のセンスだって、ひょっとしたらマニアックかもしれない。僕はそういうコントロールはあんまりできないんですよ。たぶんほとんどのミュージシャンも、同じじゃないかな。… http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20080418/153514/?P=2
アマチュアは、流行ってる研究を分析してコピーするとか、どうやってたくさんの人に聴いてもらえるか、すごく企画しているかもしれないけど。でも本当の学徒は、たぶん完全に、自分の心から出てきた学問をやっているから。「ついてきてくれる聴衆がいればいい。いなくてもしょうがない」っていう。自分に正直でないと、学問はできないから。
僕の個人的な研究のセンスだって、ひょっとしたらマニアックかもしれない。僕はそういうコントロールはあんまりできないんですよ。たぶんほとんどの研究者も、同じじゃないかな。
単なるプロフェッショナルを超える、「感動を生む仕事」をする人の13の特徴 - 分裂勘違い君劇場
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080420/p1
プロと呼ぶには照れる程度の仕事をする人の13の特徴 - finalventの日記
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080420/1208696840
オマケ:
本当に本当の「プロ」と「アマ」の13の違い
http://anond.hatelabo.jp/20080421195235

テーマ : 思うこと - ジャンル : 学問・文化・芸術

23:01  |  アメリカ法  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.04.20 (Sun)

死刑:lethal injection

Baze v. Rees, 2008 U.S. LEXIS 3476 (Apr. 16, 2008)
available at http://www.supremecourtus.gov/opinions/07pdf/07-5439.pdf
アメリカにおける死刑執行方法の主流は薬物注射だが、その中でも主流の3種の薬物を使用した手法について、第8修正「残虐で異常な刑罰」に照らして争われた事件。
この事件及び同種の事件が裁判所へ継続していたため、裁判所が死刑の執行の停止を命じ、裁判所の命令がない場合でも州当局は執行を差し控えていたため、昨年秋よりアメリカは事実上の死刑執行停止状態にあったが、連邦最高裁の結論は7対2で合憲判断。これにより執行停止も解除される見通し。
口頭弁論の様子から予想されていた結論ではある(*1)

本件では、死刑それ自体の合憲性は争われていない。
また、本件被告人が有罪で死刑判断を受けたことも争われていない。
さらにはこの執行方法が適切に実行されれば死刑囚は苦痛もなく死亡するであろうことも争われていない。3種の薬物とは
  1. チオペンタール麻酔
  2. パンクロニウム:筋弛緩剤
  3. 塩化カリウム:心臓を止める
第1の薬物により麻酔状態となり、第2の薬物は筋肉を動かなくして余計な動きを妨げ、第3の薬物により心臓が停止する。
が、パンクロニウム、塩化カリウムは麻酔状態にないと激痛を伴う。特に、麻酔が効かないままパンクロニウムが作用すると、激痛が走っても身体を動かすことができない。本件で争われたのは、ケンタッキー州の死刑執行手続がこのように手順に誤りが生じる可能性を排除できているか、ということになる。

結論は7対2で合憲判断であり、反対意見の2名も積極的に違憲だと言っているわけではなく判断に十分な認定がなされていないから下級審に差し戻すべきだとするものであり、そのような結論だけを見れば安定的な合憲判断だとも言える。
しかし法廷意見は形成されておらず、3(相対多数意見、Roberts執筆、Kennedy、Alito同調)+1(Stevens執筆)+2(Thomas執筆、Scalia同調)+1(Breyer執筆)で7票。反対意見はGinsburg執筆(Souter同調)で、その他にAlitoの同意意見、Scaliaの結果同意意見(Thomas同調)がある。
そこで採用された判断基準も、
  1. 「深刻な害の実質的な/客観的に容認し得ない危険」があるか(相対多数意見)
  2. 苦痛を加えること自体を目的としているか(Scalia+Thomas)
  3. 「深刻で不要な苦痛の、untowardで容易に回避可能な危険」があるか(Breyer、Ginsburg+Souter)(*2)
と分かれてしまっている。何が判例法かを読み取るのは厄介だろう。
論点を狭く絞り込んだのはできるだけ多くの裁判官を取り込もうという、Rehnquistの弟子たるRobertsの訴訟指揮ではないかと推測するが(*3)が、失敗に終わったと言える(*4)
asahi.com:米最高裁、薬物注射の死刑は「合憲」 執行再開の可能性 - 国際
「判事の1人は、死刑制度そのものの存続について「正当化されるのか論議すべき時が来ている」と指摘する異例の個別意見書を出した。」
http://www.asahi.com/international/update/0417/TKY200804170079.html
薬物注射による死刑執行は合憲、米連邦最高裁が判断下す : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
「審理に加わった判事の1人は「死刑制度自体が憲法違反だ」との意見を示しており、国内で死刑制度の是非が改めて論議を呼ぶ可能性もある。」
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080417-OYT1T00320.htm
(ちょっと書き方に引っかかる部分はあるが、)指摘の通り一番関心を引くのはStevensの結果同意意見だろう。18頁にわたって死刑についていろいろと書いているが、本件の判断に直接係わりのある判示は最後の1頁にも満たない1段落のみである。しかも、「いろいろ思うところはあるけど判例法がそうなっている以上、具体的基準が相対多数意見のものであれ反対意見のものであれ、合憲」と、それまでいろいろ書いていたことに照らすともうちょっと何かあっていいのではないかという書きっぷりである。
最近のStevensは同様に、直接判断に係わりのないことをいろいろと書くのが目立つ印象がある。隠居を視野に入れて(*5)言いたいことを今の内に言っておこうという感じがする。そのように考えるのは洋の東西を問わない。
そしてScalia結果同意意見は、もっぱらこのStevens結果同意意見に対する反論である。

Ginsburgが反対意見にまわる例も同様に目に付くのだが、彼女の場合、いろいろと思うところはあるだろうと想像するにもかかわらず、実際の反対内容は地味に事案の差異を指摘するパターンが多い気がする。

逆に、Alitoの投票行動も目を引く。
最高裁に入る前の下馬評は、"Scalito"とも言われるほど、“硬い”、原意主義的な判断態度が予想されたのだが、実際に蓋を開けてみるとScalia・Thomasグループとは必ずしも同調せず、むしろRobertsのminimalisticなアプローチに同調する例が多いように思える(*6)


今回の判断で、死刑に対して最も批判的だったのはStevens、Ginsburg、Souterと、最も辞めるのが早いだろうと予想されているメンバーである。
そうすると、前述の通り本件の判例法が何であるかを読み取るのは厄介だが、結論的には連邦最高裁レベルでの死刑の合憲性は当面安定的だろう。
注目されていた事件ではあるが、大山鳴動鼠一匹の感もないではない。
今後はしばらくは、NJネブラスカがそうであったように、)死刑制度については州の動きのほうが重要性を増すのだろう。

【関連】

第8修正シンポ - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
死刑:電気椅子 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
NJ死刑廃止 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
Roberts Courtの保守傾向 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
Tribe v. Olson - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する

テーマ : アメリカ合衆国 - ジャンル : 政治・経済

22:30  |  アメリカ法  |  TB(1)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.04.16 (Wed)

言葉を失う

日本より訃報に接する。
訃報に接するのは悲しいことだが、
身近な人であればショッキングであり、
自分より若い方であればなお沈痛に耐えない。

ご冥福をお祈り申し上げます。
00:34  |  札幌  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.04.15 (Tue)

"China in Turmoil"

昨今の中国情勢を受けて、"China in Turmoil: Politics, Riots, and... Olympics?"と題したミニ・シンポジウムが開かれたので顔を出してみた。

アナウンスの様子などから察するに、チベットの問題を受けて急遽企画されたものらしい。大学各所の関係専門家を集めて、それぞれの観点から情勢についてコメントがなされた。
ロースクールからは国際(人権)法と中国法の専門家が登壇。その他に、政治学部の国際関係論/中国外交の専門家と中国史を研究している歴史家が話した。(4人ともアメリカ人/白人、男性。)

時期とテーマだけに、物凄い数の聴衆が集まった。当初の予定の部屋(そんなに小さいわけではなく、ちょっとしたホテルのロビーくらいはある)には入りきれず、急遽講堂に場所が変更されて行われた。
当然、中国人留学生and/or中国系学生と思しき聴衆も目立った。半分までは行っていなかったと思うが、3分の1~4割くらいはいたと思う。

いずれのプレゼンタも、慎重に言葉を選んで、チベット情勢をsingle outしないようにして(それぞれの専門の見地において)より幅広いコンテクストに位置付けようとしていた。また、北京政府/共産党とチベット側の一方的に批判することも避けようとしていたが、状況が状況だけに北京に対して辛口なことも言わないわけにはいかない。
というわけで、質疑応答に移ると、中国人留学生and/or中国系学生が、もっぱら積極的に発言、というか、それ質問じゃなくて演説だし、という様相になった。プレゼンタ側も自らのpositionを明確化しようとするから、だんだんadversarialになっていった。険悪な空気とまではならなかったが、ある種の緊張感があったのは確か。
一連の紛争とそれに対する西側のリアクションから、中国(系)人のナショナリズム意識が高まっているとは聞いていたが、それを目の前で見ることとなった。少なくとも、「国際社会は中国のことを分かっていない/くれない」という感覚は持っているのだろうと思う。


話題が発生した際に、すぐに関連研究者を集めてこのような集まりを開くことができること自体に、総合大学としての強み、それも単に様々な分野の研究者がいるというだけではなく、関連研究者が普段から連携し合っている様が分かる。羨ましいし、そうでありたい。

地政学を英国で学ぶ : チベット紛争(戦争)と中国側の見かた
http://geopoli.exblog.jp/8253289
Chinese Student in U.S. Is Caught in Confrontation - New York Times
By SHAILA DEWAN
Published: April 17, 2008
http://www.nytimes.com/2008/04/17/us/17student.html?ex=1209182400&en=3cdf3ba76fa3a3e0&ei=5070&emc=eta1
ぺきん日記 -中国/北京より- (元祖exblog版) : 欧米批判の先頭に立っているのは、海外帰国組やネット起業家や国際派インテリ....。
http://beijing.exblog.jp/8430156/

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19:58  |  アメリカ法  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.04.14 (Mon)

郵便ToLOVEる

数週間前からToLOVEってトラブっていた郵便物の件がようやっと進展があった。

和書を日本から送ってもらったのだが、中身は全然違うものになっていた。
“正解”は1冊だけで、他はハングルや中国語(繁体字・簡体字)のものに入れ替わっていた。送ってもらった同僚に確認すると、箱も別のものにすり替わっているようだったし、ラベルもよく見るとダンボールを切って貼り付けてある。
どうやら幾つかの箱の中身がごちゃごちゃになって、その一部を強引に配達したようだった。(*1)

ホームページによると送り主のほうからクレームは提出しなければいかないようだったので、そのようにしてもらったのだが、そちらの日本郵政の担当者によると、手続は始めるが受取人のほうからもアクションを起こしてもらわないと物事が動かないとのこと。

コールセンターに電話しても適当なサービスに辿り着かないし、郵便局に出向いたらやはり「送り主から手続してもらわないと」いうことでそもそもそのような手続自体が存在しない模様。

そんな手詰まり状態だったのが、USPS International EMS Inquiry Centerというところから書簡が届いた。
「あんたの所に届けたはずの荷物がトラブってるらしいって日本から問い合わせが来たけど、どうよ」というような趣旨。
回答に際しては件の荷物を郵便局で確認してもらう必要があるとのことだったので、地元の郵便局へ荷物を持ち込む。だが小さな局では対応できない模様。
結局、ダウンタウンまで本の詰まった段ボール箱を抱えて出向く破目になった。
担当のおばちゃんは、最初はピンと来なかったようだが、事情が飲み込めると「これはあっちゃいけないことね」「この書類を送って。それでもまだ問い合わせが来るようなら私に連絡もらえれば私のほうから説明するから」とすごく親切にしてくれた。トラブルとしては重大かつイレギュラー過ぎたらしい。

ここまで激しい郵便事故に遭ったのは初めて。
23:01  |  身辺雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.04.13 (Sun)

日本の統治のスタイル

先のエントリの補論。
日本が神の国じゃなくなりつつあるってことか - 雑種路線でいこう
「1990年代末から2000年代初頭のどこかで、日本の統治機構が暗黙のうちに前提とした微温的な公共観は失われたのだろうか。」
http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20080412/god
これについては自分はかなりはっきりとした意見を持っていて、日本は90年代半ばに統治のスタイルを変更した。特定的には1994年10月1日である。
この日、行政手続法が施行された。これにより、それまでの日本の統治の特徴的なスタイルであった行政指導(*1)に対し、フォーマルな規制が導入された。
これ以降、インフォーマルな行政指導に替えて、フォーマルなrule basedの統治スタイルが主流となった。これを象徴するのがNHKの深夜0時のニュースで、このニュースで「昨日国会で成立した法律」を流すのがルーチーンになったのが2000年頃だと思う。つまり何かあれば法律=フォーマルなルールで対応しますよ、と。
で、これを運用する人材を増やすために法科大学院経由で法曹を増やしましょう、というのが司法制度改革の要諦であったはずなのだが、こちらは法曹界を含めてあまり評判がよくない。

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23:13  |  日本社会  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.04.13 (Sun)

システムと「個人」の「過失」

asahi.com:ニアミス事故、管制官に逆転有罪判決 - 社会
2008年04月11日20時48分
http://www.asahi.com/national/update/0411/TKY200804110205.html
直観的に「おかしな」判断だと思う。
ただ、その「おかしさ」の原因が特定し切れない。
少なくとも、この判決の前提とする政策に対しては、それに賛成しない。しかし、もっと構造的なものがあるのではないかという気がするのだが、詰め切れていない。
ということで書きながら考えてみる。
日本が神の国じゃなくなりつつあるってことか - 雑種路線でいこう
「これはたぶん裁判官の感覚として特別な判断はしていない。だって交通事故だって過失でも責任とるでしょ。」
http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20080412/god
この見方については、半分賛成する。
しかし、よりcriticalな問いは、交通事故と同じに扱ってよいかであり、同じに扱うべきではないとした場合に、何故裁判官から見ると同じに見えてしまうのか、ということであろう。

何故、高裁判断は拙いのか

ネット上のリアクションを見る限り、批判的な見解が優勢のようだが、そして前述の通り私もそちらの側に与するが、問題は、何故、この高裁の帰結が拙いかである。この点、論者の見解は幾つかの考慮が重なり合っているに思われる。
私見では、2つ(ないし3つ)のレベルの考え方を分けるべきであるように思われる。
自己原因究明・再発防止--外在的・政策的対応
asahi.com:「もう管制できない」ニアミス逆転有罪、現場に衝撃 - 社会
「欧米では影響が大きい事故の場合、当事者を免責したうえで真実をすべて語らせ、再発防止に役立てる考え方が主流になりつつある。過度な責任追及は、原因究明に支障をきたす恐れもある。処罰を逃れようと、当事者が真実を語らなくなる可能性があるからだ。この点で、今回の高裁判決は国際的な流れに逆行する形となった。」
http://www.asahi.com/national/update/0411/TKY200804110284.html
事故防止防止制度の防止 - たくぞう@GDB 【 みんカラ 】 ブログ
「事の成り行き次第で自分が処罰される可能性がある場合、当事者は起こった出来事、思ったことを100%正直に話すだろうか?」
http://minkara.carview.co.jp/userid/222963/blog/8431674/
ここで示されている考え方がまず一つ。
事故原因究明のために、当事者や関係者に免責ないし責任制限を与えることで、証言へのインセンティヴを与えよう--少なくとも、ディスインセンティヴを排除しよう--という考え方である。

これは考え方としては一つ筋が通っているが、若干留保が必要であろう。
これは、自己原因究明・将来の事故防止という外在的な政策目的のために、免責・責任制限を与えるというものだから、内在的には責任があるということは排除されていない(*1)(*2)
このことをさらに敷衍すれば、裁判官の目から見れば、しかるべき立法がない限り、被告(人)を免責する根拠はない、ということになる(*3)
構造的問題--システムの中の個人責任
しかし、もっぱらかかる政策判断の巧拙として問題が定式化されるのだとすれば「早くそのような立法的対応をしましょう」という以上のことにはならないはずである。
それを超えて、憤りとも言えるリアクションが見られるのは--そしてその感覚は私も共有するのだが--、本件のような状況においては、通常の過失責任が認定される状況--例えば交通事故--と比べて、より内在的・構造的な差異と言うものがあり、本件高裁の判断はそれを見落としている、という批判であろう。
前述の自己原因究明に基づく免責は(論理的には)責任判断がなされたの問題であるのに対し、責任判断の前または前提について差異があって、個人に過失責任を問うことの構造的前提が掘り崩されているのではないか。そしてそのような差異にsensitiveな法律家であれば、例えば過失の概念を操作してそれに対応することもできたのではないか、という問いである。

こちらに属する議論にも、重なっている部分もあるのだが、細かく見ると2つのヴァージョンないし位相を区別できるように思われる。
怖ろしい時代 - 新小児科医のつぶやき
「この事件で起こった管制ミスは過失です。管制官に刑事罰が下される事により他の管制官が震え上がり、「ミスをしてはいけない」と感じるとは思います。感じることで防げるミスであれば「再発の抑制」効果はあるでしょうが、いくら注意しても絶対には防げないミスであるなら震え上がる程度の反応では済まないと考えます。」
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20080412
バカな裁判官が航空管制をガタガタにさせるって・・・(追記あり) - NC-15
「…一般的な刑事事件と違って、100パーセント悪いというケースってこういう場合ないし。ヒューマンエラーって、0か100かで済む問題じゃない。 …
なので、現状としては、PDCAの徹底、ミスを前提とした運用設計を地道に繰り返すしかない…」
http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20080412/1207995070
ふか&もけ : 管制崩壊?
「専門家が日々の業務を懸命にこなしても。システムに起因するヒューマンエラーを根絶することは出来ません。」
http://fukanju.exblog.jp/6998326
こうした見解に見られるのは、システム全体の問題を個人に収束させるのは適当ではない、という考え方である。(*4)
我々は、システムを小さく分解して一人ひとりの担える作業に変換することで、前近代に比べて飛躍的に大きなものを動かしているわけだが、そうしてleverageが効いて(しまって)出てくる帰結に対する責任を、「個人」に問うことは適当か。
我々は自分自身の行為すら完全に意識して自己決定下に置いているわけではない…だがそれでも、発生してしまった帰結を自分の選択の結果として引き受けるとき、行為者は偶然的・確率的にその行為に追いやられた客体としてではなく、積極的に自由な選択をした主体として立ち現れるのだ。(*5)
本件の問題状況においては、この記述とは逆に、個人の引き受けることのできない帰結を引き受けるよう迫られてしまっているのではないか。
冒頭の楠氏の問題提起に戻れば、交通事故の運転者は発生した帰結の原因をもっぱら自らのコントロール内にほぼ収めることができる(*6)。しかし本件のような問題状況ではできない。(*7)
日本航空機のニアミス事故訴訟高裁判決に抗議する(Ver1.1) - 埋立地の記憶出張版
「医療事故・航空事故・プラント事故を問わず、巨大システムという物に対する理解が日本の司法や報道には無さ過ぎると思う。」
http://d.hatena.ne.jp/satromi/20080412/1207990443
航空管制崩壊 (東京高裁判決) - 元検弁護士のつぶやき
コメント
No.22 ろくろくびさん | 2008年4月12日 23:40
「医師が・・・とか管制官が・・・とかではなく過失犯そのものが現在曲がり角にきているような気がします。」
http://www.yabelab.net/blog/2008/04/12-095702.php
ただ、

コメント
No.14 (ただいま謹慎中)さん | 2008年4月12日 16:54
「「個人の責任を問うこと」は、決して「システム上の問題を無視して、個人に責任の全てを押しつけること」ではない」
という意見も理解できる。完全にシステム内部の統制に依存するにも限界はありそうである。また、「プロ」であるが故に責任が限定されるというのは、業務上の過失に対する責任を加重している現行法との整合性もとり難い。個人の責任を追求するに値する行為と、そうでない行為とを、巧く仕分けしていくことはできるであろうか。


ここから、若干位相の異なる別の問題意識に繋がって行く。
leverageとは直訳すれば「てこ」であって、システム全体の帰結を特定の個人に収束させるとすると、その個人はポッキリ折れてしまう、かも知れない。それを予見すれば、合理的な選択をするアクターは、そのような役割を引き受けることはないであろう。
怖ろしい時代 - 新小児科医のつぶやき
「航空管制業務から逃げだそうと考えても不思議ありません。」
バカな裁判官が航空管制をガタガタにさせるって・・・(追記あり) - NC-15
「なり手いなくなる」
ふか&もけ : 管制崩壊?
「医療と同じように、航空管制も、崩壊に向かうのでしょうか」
「もう医療はできない」医療事故逆転有罪、現場に衝撃 - カーリング漬け - 楽天ブログ(Blog)
「管制官のなり手が減るかもしれませんね。どっかの医療業界ににた動きになるのでしょうか?」
http://plaza.rakuten.co.jp/gaksuzuki34/diary/200804120000/
同じシステムを念頭に置いた問題意識でも、前述のものは責任原因に内在的なものを問うていたのに対し、こちらは如何にしてシステムの担い手を確保していくか、という問いの立て方であって、その限度では政策的な操作可能性は前者よりも大きい。
  • 医療問題発生→医療従事者への責任追及→防衛医療(サービスの質的減少)、医療からの撤退・最初から参入しない(サービスの量的減少)→人手不足!→最初へ戻る、悪循環
  • 航空機事故発生→航空関係者への責任追及→過大なマージンを伴った運行(サービスの質的減少)、航空業界からの撤退・最初から参入しない(サービスの量的減少)→人手不足!→最初へ戻る、悪循環
  • 教育問題発生→教員への責任追及→生徒には係わらない(サービスの質的減少)、教育からの撤退・最初から参入しない(サービスの量的減少)→人手不足!→最初へ戻る、悪循環
再び交通事故との対比をすれば、運転手が運転から得る効用はもっぱら運転手自身に帰属する。もし運転から得られる効用が潜在的責任を含めた費用を上回ると考えれば、彼は端的に運転を止めるわけであるが、別にそれによって誰が困るわけでもない。
他方、管制官(やその他の職業)がその職務を遂行することは、彼がそこから得られる効用を目的としているわけではない。社会的にそのような職務に従事してもらうことが必要であり望ましいからであって(*8)、責任追及によって過少供給になるとすれば、社会が困ることになる。(*9)(*10)

たぶん後者の問いを一般化していくと、株主の有限責任の根拠といった問題系に接続していく。
REVの日記 @はてな
それは立法の問題です 「http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20080412
資本家:株式の範囲内で責任を負う。
福祉により生活している人:責任を負わない
現場担当者:無限責任」
http://d.hatena.ne.jp/REV/20080412/p2

それではどうするか

それではどうするか、となると、見解は固まっていない。
刑事制裁は望ましくない、という直観はある。そうでなくとも日本は刑事制裁が出しゃばり過ぎだ。(*11)故意や余程のrecklessnessに対して刑事制裁(や懲罰的賠償を含む民事・行政制裁)の可能性は残すにしても、単純過失については民事賠償を軸に組み立てるべきであろう。
404 Blog Not Found:News - ニアミス事故逆転有罪 - 木から落ちた猿の罪
「過失にあたって、刑事罰がほとんど役に立たず、その一方で損害賠償+事故防止策強化モデルが多大な成果を上げているのは、この事件が起こった航空業界ではすでに常識となっていると同時に、「失敗学」を通して他業種のエンジニアにも共有されつつある認識である。 …
プロもミスを犯す。全てのプロがそうである。だからそのミスを罪としてはならない。ただしミスによる損失は、プロの契約不履行と見なせるので、その損害は賠償するのがプロとしての責任である。プロ個人で賠償するにはあまりに大きな損失とて、業界全体であれば賠償は可能だ。保険だってある。」
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51033466.html
この記述は、幾つかの興味深い思考の種を含んでいる。
まず「プロの契約不履行」という考え方。ここで「契約」に触れられているが、ここから「対価」の観念が連想される:ミスの防止には費用がかかる。安全はタダではない

第二に、(日本法は若干異なるが)英米法では契約不履行に対する損害賠償は債務者の過失を問わない、無過失責任である。
逆説的かもしれないが、このコンテクストでは無過失責任/厳格責任のほうが望ましいであろう。不法行為法の経済分析の標準モデルの知見に従えば、
  • 事故防止について航空側はしかるべき対応をなしうる一方で、乗客側は基本的に何もなし得ない。事故防止費用の最適化のためには前者に費用を内部化させるべきである。
  • これにより、社会全体にとって最適な費用配分がなされる。
  • 過失を責任要件とすると、これを争うことによる紛争解決費用がかかる。関係者の情報提供のインセンティヴを確保するとすれば、民事においても過失の有無が無関係になるのが好ましい。
第三に、(賠償責任メインで考えるとして)責任を負う主体についてである。
前述の通り、システムの中に落ち込んでいるアクターに責任を問うことは適当でないと考えられるわけだが、ではどうするか。システムの範囲が特定の法人=会社ないしその一部に収まっている分にはあまり悩まずにその会社を責任主体とすればよい。しかし、システムの範囲が特定の法主体を超えると厄介になってくる。しかし、Dan Kogai氏は業界、保険に触れているし、対応は不可能ではなかろう。
その費用は分散されて航空運賃等に上乗せされるであろうが、乗客は安全を享受しているのだから適正な対価だろう。安全はタダではない。

今日、街を歩いていて、「私見は結果的に無責任の体系を追認することになるのではないか」という疑問を抱いた。が、そんなことはない、との結論。
  • システム内部の個人に対し、その過失についてシステム外部から直接に責任を追及されることを問題にしている。システム全体が外部に対して責任を負うことは前提。
  • システム内部の個人がシステムの内部的統制に従うことも前提。また、故意等については留保を付している。
  • 旧軍の誤りの一つはシステムの問題を個人の精神論に還元したことで、システム的視点を保持している点で既にそうした謬からは逃れている。(システムの問題を精神論で解決すべきでないことは*8で指摘。)
  • 但し、そうするとシステムのデザイン自体に関する責任は詰めるべき論点。「責任を取る職務」の重要性。
  • システム内部における各構成員の職務範囲が曖昧だと、特定の構成員にシワ寄せが行って押しつぶされる虞があることには留意する必要あり。
【2008年4月14日23:55追記】

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【書評】大屋雄裕『自由とは何か』 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
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2008.04.10 (Thu)

popular constitutionと「教育」

ちょっと間が開いてしまった。続き、というかここからが本題。

Akhil Reed Amar, "The Bill of Rights" (1998) の"PART I CREATION"で特徴的なのは、独立期における理解として、第1~第10修正の通称「権利章典the Bill of Rights」を、権利章典(bill of rights)=少数者/個人の権利を保護した文書としてではなく、多数派を擁護するシステムを構築し(ようとし)たものとして読むことである。
もうちょっと分解すると、
  • 憲法全体の権威が人民(We the People)に由来することを前提としつつ、
  • 憲法起草者の関心は新たな連邦政府が少数者に牛耳られ多数派たる人民に対する専制とならないようにすることにあったのであり、その理は修正条項においても同様であり、
  • 具体的には州ないしそれより下の“共同体”の自律性を維持・確保するためのシステムの実装(*1)として第1~第10修正を理解し、
  • そうした意味で第1~第10修正も(「権利章典」と言うよりは)「統治機構」にかかる規定である
と。

但し、"PART II RECONSTRUCTION"では、19世紀--特に、奴隷解放運動、南北戦争、再建期--を通じた、少数者/個人を守るための権利(章典)という、我々に馴染みの深い観念への転倒/転換が議論される。(→権利の擁護者としての連邦、編入理論へ)

populism(?)と「教育」

さて、Amar(の描写する建国の父祖ら)は、一方で憲法のpopular-ity(popular性)を--権威の源泉と実際の制度設計の双方において--強調しているが、他方で人民の「教育」ということに、あちらこちらで触れられる。

新しく設立される政体の、権威の源泉兼最終的安全弁として人民が措定される一方で、人民のナマの選好それ自体を重視しているとは必ずしも言えない。
そうした人民は「教育」されている必要がある。少なくとも、それが望ましい。
しかし「教育」の中身については必ずしもクリアではない(*2)

このことは、建国の父祖らのある種のジレンマを示す。
国王は放逐され、貴族制度は否定された。最早そうした権威に依拠することはできない。
他方、独立戦争と邦時代の各邦政治の実践の経験は、衆愚の危険を示すものでもあった。

これは特に"uneducated"な人々の選好をカウントすべきか、という形で現実的な問題となる。

この点の、建国の父祖らの構想の解釈の可能性はいくつかある。
  • 新憲法におけるpopular-ityへの訴求は、いわば理論的・理念的なものであって、実際にそうであるかは重要ではない(*3)。しかしこれは、「教育」の強調とは平仄が合わない。
  • 建国の父祖らは自らのfellow citizenについてはeductedな人々だと思っていた。しかし、次世代以降については必ずしもそうは言えないから、「教育」によって担保する必要があった。しかしこれは、邦時代の衆愚政治の警戒という契機を含む連邦憲法の作りとは平仄が合わない。
  • 権威の源泉としても実際の権力の運用においても人民に依拠せざるを得ないことを前提に、せめてその帰結をマシなものにしていくことを期待して、人民を「教育」していく。それ以外のあらゆる政体を除くと最悪なものとしての民主主義、か。

教育の場

さて、「教育」というと我々はまず「学校」を思い浮かべるわけだが、建国の父祖らにとっては必ずしもそうではない(*4)
むしろその機能を期待され、また「権利章典」においても制度として確保されたのは、教会、民兵、陪審であった。
教会 民兵 陪審


「普通の市民の間に道徳的行動を促進し、共同体の価値を授けるという、18世紀の州教会と極めてよく似た機能を、20世紀の公教育は担うよう設計されている。」(44頁)(*5)

民兵はコミュニティに即して組織され、すなわち家族、親戚、友人、クラスメート、近隣の住民、同じ教区員らとともに任務に就き、地元の名士に指揮される。民兵の訓練は、親族会(family reunion)や地域のイベントにも似た、social(社交的)な側面を持つ。(*6)

陪審の教育的機能については、トクヴィルの分析が広く知られており、改めて触れるまでもないだろう(*7)
【ここら辺から大風呂敷/大ボラ/妄想が始まります。眉にツバの用意を!】
さて、現代における「教育」の主たる場は学校である。20世紀の学校と18世紀の教会との対応関係は前述の通り。
他方、近代型学校教育が軍隊に範をとることは、フーコー以来の歴史学/社会学/教育学においては常識に属するであろう(*8)。そして、軍隊と民兵との対抗関係については先のエントリで触れた。
つまり、
α 教会 民兵 陪審
β 学校 軍隊


こうした学校=軍隊で涵養される“近代人”的ハビトゥスが、工場労働に従事する労働者の養成を意味していたことも一般的な了解であろう。
さらに、フォーディズムに代表されるように、工場労働者は大衆消費社会における消費者でもある。
α 教会 民兵 陪審 A B
β 学校 軍隊 C 工場労働 大衆型消費


さて、このαから析出されるのは、政治的権威の源泉であり、政治的権力の担い手であり、法的権利の主体である--と擬制される--「個人」である。「政治学的・法的『個人』」とも呼べるし、ここは敢えて「法学部的『個人』」と呼んでしまおう。
他方、βから析出されるのは、学校/軍隊/工場/市場といったそれぞれの空間で、生徒/兵士/労働者/消費者として、実際に行動し、ある振る舞いをする--あるいは、ある振る舞いをしてしまう/してしまわざるを得ない/してしまわざるを得なくなっている--「個人」である。「社会学的『個人』」、あるいは「文学部的『個人』」と呼ぶ。(*9)


このように(強引に)モデル化してみて、まずはこの表の空欄を埋めてみる。
その前提として、βのキーワードを抽出してみると、個別化/アトム化、規格化、規律/自律/自己責任と操作の対象化/受動性(←一方性)との同居、といった辺りであろうか(*10)
αのキーワードをこれと対照的なものとして抽出してみれば、共同体と連帯--但し、前近代におけるような階級秩序及びそこから弾き出されたら生存できなくなるようなものではなく、自律した個人の対等な友愛関係に基づくそれ--、個性/固有性、能動性/主体性、といった辺りか。

その上で空欄を埋めてみる
  1. →前期近代における主要な生産活動…自営農業、家内制手工業辺りか?(*11)
  2. →前期近代における消費…!? サロン型社交とか?
  3. 難しい…アトム化、規格化、一方的対象化/受動といった特徴を持つ、政治参加…マスコミを利用した大衆動員型イメージ選挙か(笑)
α 教会 民兵 陪審 自営農業
家内制手工業(?)
サロン型社交(?)
β 学校 軍隊 大衆動員型選挙(!?) 工場労働 大衆型消費


さて、αをもたらしたのはもちろん市民革命である。
βをもたらしたのは産業革命である。
さらに、前者が先行し、前者と後者の間には50年~1世紀程の時間的懸隔がある。
  • イギリスやアメリカは、市民革命も産業革命もきっちり経験した(*12)。いずれもアングロ・サクソンだけれども偶々だろう(*13)。αの基礎があるから、βがうまくいかなくなってもαに立ち戻って修正する復元力がある!?
  • ドイツや日本は、産業革命はきっちりかっちりやったが、市民革命はやっていない。まぁ、3月革命やら明治維新やら自由民権運動やら大正デモクラシーやらドイツ革命とヴァイマール共和国やら市民革命の真似事ぐらいならやったような気もするが、いかにもいかにも中途半端だし。
  • ましてや(旧)社会主義国や現在の途上国は、市民革命はスルーで産業革命をやっている。
  • 逆にフランスは、市民革命はきっちりやったが産業革命はやっていない気がする。とか言うと叱られるか。フーコーはフランス人なんだし。でも産業革命が中途半端だった、くらいなら言っても構わない気がする。
  • 南米も、市民革命(独立運動)はきっちりやったけれども産業革命をきっちりやらなかった(ので今やっている)口かな。

…などと、Amarと全然関係ないところまで妄想してみる。
ヴェーバーやアーレントと照らし合わせればもっとちゃんと議論できるかも知れないけれども。
というか、昔に読んだ(まま忘れてしまっている)ものの(カンチガイを含めた)無意識的反芻、なのではないかという気も(汗)

【2008年5月6日 23:50追記】
阪口先生の本を読み返していて、トクヴィル=アメリカ型モデルvsルソー=ジャコバン型モデルの対抗の記述にぶち当たる。あ゛ー、すっかり忘れいていたー(爆) アメリカしか見ていないとこういうことになる(汗)

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【書評】大屋雄裕『自由とは何か』 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する

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23:41  |  アメリカ法  |  TB(2)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.04.10 (Thu)

図書館探検部

普段はロースクールの図書館で仕事をしているわけだが;
必要な資料がビジネス・スクールの図書館にあるらしいことが分かったので調べに出かけた。実はロースクール以外の図書館を使うのは初めて。

ビジネス・スクールに出向いたら、そこには図書館はないとのこと。
どうやら総合図書館棟の一部がビジネス・スクールの図書館になっている模様。建物としては1個なのだが、全体として一つの図書館なのではなく、中が複数の部局分の幾つかの図書館になっている、という趣らしい。
各部局としては不便じゃないのかいな、と思う。

しかし、学部生向けも含め複数の図書館の機能をまとめてあるだけに、トータルの規模はかなり大きい。
もちろん今時の図書館らしく、IT関係の設備も充実している。中には"Information Diner"なるコーナーもあり、"diner"の名の如くファミレスみたいなブースにPC1台+各種ケーブルが接続できる、という仕掛けになっていた。本当にご飯食べている学生もいたし(笑)

大きな図書館を彷徨うのは、知の遺産のオーラを感じることができて気分が高揚する…かどうかはその人次第か。自分はそういう体質だ。
ずいぶんと日が長くなった。
今日は憲法理論ゼミの日だったが、学期の始まった1月にはゼミの終わる頃には真っ暗だったのが、夏時間もあって今ではまだまだ陽が高い。
のみならず陽気も暖かくなったから、帰り道、キャンパスのメイン通りを歩いていても、学生たちが数多く繰り出していてかなりの賑わい。
そういえば人々の装いも軽装になってきた。半袖やTシャツも目に付く。


久々に晴れた。
桜はpeak outしつつあるところで、散る花びらや葉桜も目立ち始めてきた。
桜4月10日
桜4月10日
桜4月10日
桜4月10日
件の図書館の前
桜4月10日
桜4月10日
先週末から、フィラデルフィア日米協会の主催で、桜まつりSubaru Cherry Blossom Festival of Greater Philadelphia *1)として、日本関係の各種イベントを集中的にやっている…らしい。
昨日の昼も、ワシントンの日本大使館から大使館員が大学にやって来て講演していった(*2)
その一環で利き酒会というのがあって、明日の夕方だと思って楽しみにしていたのだが、昨日の夕方だった(>_<)
22:01  |  身辺雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.04.09 (Wed)

"Lawyering in the Public Interest"

"Lawyering in the Public Interest"という講演会を聴きに行く。
この題名だけ見ると「刑事被告人のpro bono弁護」とか「貧困者向け法律扶助」みたいなものを思いつく。が、演者のAbner Mikva元判事は議員(州→連邦)、連邦裁判官、ホワイトハウス法律顧問と三権を渡り歩いた人物。そりゃまぁそれも"public interest"(*1)でそういうことをやっている人は"public servant"だけどさぁ(笑)

従って内容も、三権それぞれから見た法的landscape、及びそれと政治過程との係わり、といった趣だった。
立法側と司法側とを比べて、議員は法律を作ることができる、新しいことを注入して法的landscapeを変えることができる(*2)のが面白い、裁判官にとって法的landscapeは所与でそれをどう運営していくか、と描写していたのは面白かった。
D.C.巡回区でScaliaと同僚で、思想は違うが友達だ、と言っていたが、Scalia流の三権分立は3隻の船が別々に進行して係わりあいにならないのがよい、と考えているというイメージ、他方彼は、三権はそれぞれの関係は入り組んでいる、としていたのも興味深い。このScaliaの思考の描写も合っていると思う。
三権の一つが強い時期があることもあるが、三権分立の観点からは(数十年オーダーの)長期的に見て強くあり続けるべきではないし、歴史的も実際に三権の一つが強くあり続けたことはない、ともしていた。

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23:46  |  アメリカ法  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.04.06 (Sun)

はるのいちにち

久々にフィラデルフィア美術館へ行く。
特に目的もなく、館内を彷徨う。

近世の陶磁器の展示の解説:
「オランダ東インド会社は中国(や日本)との陶磁器の貿易で大きな利益を上げた…デザインや意匠については西洋から持ち込み、中国で生産した製品を…」
って、今と変わらないじゃん(笑)
グローバリゼーション。

現代美術のコーナーで、紙製(?)のチョウをたくさんコラージュ風に集めた作品が目を引いた。
個々のチョウはどうってことないのだが、部屋一杯に広がるとかなりの圧迫感がある。
まだ新しい展示のようで、というか未完で作業中のようだった。作品の年代も「2008年」になっていたし。
写真も撮ったが著作権的にマズイと思われるので載せない。(すみっこのチョウ1頭くらいならフェアユースでセーフな気もするが、念のため。)フィラデルフィアを訪れの際はご覧あれ。

フィラデルフィア美術館前の枝垂桜
フィラデルフィア美術館前のしだれ桜。
天気がイマイチよくないので桜が映えない。他方で天気のいい日はカメラ(と言っても日本から持っていったN903iなのだが)を持っていないか電池が切れている。もう散り始めているのだが。

【関連】

フィラデルフィア美術館・ルノワール展 - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
23:54  |  身辺雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.04.05 (Sat)

アメリカにおける軍事組織の(原)イメージ

木曜の憲法理論ゼミ、先週・今週とassignmentはAkhil Amar "The Bill of Rights"(*1)だった。
現在の関心で読んでいると、本筋と関係ないところに引っかかってしまう。


第2・第3修正の絡みで、建国期の人々にとって"militia"と"army"とが対照的なものとして把握され、前者が称揚され後者が封じ込めの対象とされているのに引っかかった。
militia army
武器を帯びうる全ての市民(*2)
(←→パートタイムのセミプロ兵士は"select militia")
∴"the militia"≒"the people"
(外国人*3)傭兵
徴募・組織・訓練は州政府
(但し、完全な武装解除は×)
徴募・組織・訓練は連邦政府
一時的動員 フルタイム
→地元の同郷者からなる部隊に配属;所属するコミュニティの同輩とともに軍役に就く
地元の名士が指揮
→市民社会/文明社会/文民の社会(civil(ized/ian) society)と結び付きが薄い
→市民社会/文明社会/文民の社会における行為規範を思い出させる
∴略奪や暴行が起こりにくい
内部化された文民統制
恐怖・警戒の対象
軍事組織外の社会的・経済的・政治的関係が軍事生活の過酷さを緩和 待遇は上官次第
「規律」
社会におけるpopular valueの保持
(→第一義的には連邦政府、二次的には州政府に対する抵抗権の具体化)
→政府への追従

日本人は"army"としての米軍にしか出会ったことがないから、こういう対抗関係は見落としがち。アメリカ人にとっても"army"は胡散臭いものとして把握されていた、と。
いや、アメリカにおける常備軍への警戒についてはあちこちで読んだ記憶があるのだが、民兵については「そのかわり」という感じで記述されているパターンが多いかと(*4)。そうではなくて、民兵こそがプライマリーであったと。

もっとも同書Part IIにおいては、南北戦争を通じた"army"の地位の逆転が議論されるわけだが。
(南部反乱諸州を鎮圧し、そこの被抑圧者(=奴隷)を解放した北軍=合衆国軍。)


他方で、政治的参加と軍事的参加との牽連関係も歴史上、継続的に認められて
  • 建国期、アメリカのために戦った民兵は、財産要件にかかわらず、憲法批准の投票を認められた
  • (いくつかの州が認めていた)投票権を持つ外国人は、南北戦争で徴兵の対象となった
  • 南北戦争において、黒人が北軍の兵として戦闘に参加したことは、第13修正、第15修正の採択にプラスに働いた
  • 第14修正2項の「21歳以上の男性」というのは、民兵一般(general militia)の範囲とほぼ一致する
  • 女性参政権(第19修正)の採択にあたっては、第1次世界大戦における女性の貢献(*5)が影響した
  • 第26修正が投票権を18歳以上に拡張したのは、ベトナム戦争時の徴兵年齢とのギャップを埋めるため

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Get Your Gun - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する
見えない自由がほしくて 銃を - アメリカ発祥の地でアメリカ法を思考する

テーマ : アメリカ合衆国 - ジャンル : 政治・経済

21:48  |  アメリカ法  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.04.05 (Sat)

Because It's There 春霞氏との一連の遣り取りについて

一応、トラックバックは送信する。
もはや春霞氏には理解してもらうのは困難かも知れないが、読者が両者の主張を読み比べることを期待して。
もちろん、春霞氏からTBを拒絶されることも大いに考えられるし、それはシステム上もブログ慣習としても認められたことであろう。その場合、私としてはただ残念に思うだけである。個人的に自らの主張がreachする範囲が狭まるという面もあるが、それよりも、「十分な反論の機会を与えた上でそれを論破して得られた結論こそ、正当性が高まる」という、一般的に言えるであろうし、春霞氏自身もコミットしていると思われる(後述)規範に自ら反することになるはずである。

0. 概要

Because It's There プリンスホテルによる日教組会場使用拒否・司法判断無視問題(下)~裁判制度が危機に陥ってもいいのだろうか?
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-846.html
こちらのエントリで"IZW134"名義のコメントが2つある。これは私のものであり、ブログ主である春霞氏と若干の遣り取りがある。2008年02月19日15時08分08秒付けの公開されていないコメントもあるが、これも私のものである。

別のエントリで"IZW134"名義で再びコメントし、その過程で公開されていないコメントについて言及した。これに対する春霞氏の回答によると、前記コメントを公開する意思がないようである様子が読み取れた。
Because It's There 終身刑創設法案を今国会提出へ~亀井静香・死刑廃止議連会長に真意を聞く(東京新聞平成20年3月18日付「こちら特報部」より)
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-952.html
本エントリは、一連の遣り取りにおける私の意図を説明する。議論の中身についても触れるが、中心はネット上での議論のあり方についてである。一連の遣り取りにおいて、私は建設的な議論と意見交換を意図したつもりだったが、春霞氏からは適切な対応を頂けなかった、と感じている。
12:53  |  未分類  |  TB(0)  |  CM(3)  |  EDIT  |  Top↑

2008.04.05 (Sat)

愛国心概念の空虚さ

日本における「愛国心(教育)」の主唱者は、とにかく「国を愛しなさい」と言うだけで、その内実は空虚。むしろ、他の分配(経済的財を含め)をディスカウントするために、替わりに「愛国心」を分配しているようにすら思える。
自分は個々人の「愛国心」を否定しないが、本当に「国」が「愛」するに値するのであれば人々は放っておいても愛するはず。政治的リーダーがそれを言い出すとすれば、自らの失政を喧伝しているようなものだと思うのだが、その割にはこうした視点の意見はあまり見かけない。

日本の権力が構造化するにあたって空虚な中心が必要なのだとすれば(→天皇制の問題系へ)、それを確保しようとするのは為政者として自然なリアクションなのかも知れないが。
国旗・国歌問題 実りのないカタルシスゲームの末路 - Munchener Brucke
「結論から言うと、保守系政治家の自己満足+コアな支持者向けのパフォーマンスというベクトルと、政治家に教育問題に関心を持ってもらって教育予算を多く確保したい官僚組織のベクトルの合力によって推進されていると言っていいだろう。 …
…天皇陛下は純粋に、誰もがわだかまりなく自然に国旗や国歌に敬愛の念を抱くような時代が訪れることを望んでいたのであろう。ところが2004年当時東京都教育委員であった米長邦雄氏は、天皇陛下に「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話し、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と陛下に指摘されてしまった。 」
http://d.hatena.ne.jp/kechack/20080403/p1
国旗・国歌に対するリベラルな解答 - 過ぎ去ろうとしない過去
「愛国心教育の支持者に愛国心とは何ぞやと問うてみても、愛国心はけして軍国主義のことでは無いのであって脊髄反射のように反対する左翼は……と左翼批判をはじめるばかりで肝心の愛国心については答えてもらえない。」
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080328/p1

ところで、国歌って「鳥の詩」のことだよね(笑)
というのはともかく、なんで「故郷」や「さくらさくら」を国歌にしなかったのか、という意見もあるとかないとか。
世界の片隅でニュースを読む : 「日の丸」「君が代」は格好悪い
「「日の丸」「君が代」については戦後長らく、…「正直ダサい」というイメージが潜在していた。」
http://sekakata.exblog.jp/6959796/

【関連】

National Constitution Center
12:47  |  日本社会  |  TB(1)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.04.02 (Wed)

封印解除!

もちろん昨日のエントリはエイプリルフールなわけでして。
3次元以上の同居人はいない(笑)
結局、荷物は自分で拾ってきた。

ホームページや簡易掲示板、ブログなどで簡単に情報が発信できるようになって、毎年4月1日は皆なカジュアルにホラを吹くようになった。
何だか、バレンタインの義理チョコとパラレルに見えるのは自分だけだろうか。


DTIブログの旧サービスを削除しました。
引越し完了です。

近所のCVSの駐車場・梅?
看板
近所のCVSの駐車場。梅? サブプライムな現場。
桜はけっこう好き。<ベタな日本人(笑)
気温高め&雨上がり&風強し、と花がもつには厳しい条件だったけど、結構残っていた。
桜
例の勘違い桜
勘違い(左)。
こいつはあまり残らなかった。
先日まではけっこう咲いていたのだが。
桜(ロールクール脇)
桜(ロールクール脇)
晴れたので空との対比がきれいに撮れた。
雨上がりの眩しい陽射しを
素肌で受けとめたら
胸に飛びこんだ瞬間のイメージ(*1)
14:46  |  身辺雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.04.01 (Tue)

はじめてのおつかい

荷物が届かない。
先週後半に数度、不在通知が入っていたので、「日曜に来てくれ」と書いたのだが(そしてその通知は持っていかれたようなのだが)、結局日曜には来なかった。
週が明けても来ない。
そろそろ保管期限を気にしなければならなくなってくるから、郵便局に拾いに行ったほうがいいのだが、いろいろと立て込んでいて今週は首が回らない。妻が拾いに行ってくれると助かるのだが、渡米したばかりで「はじめてのおつかい」は本人もいやがるしこちらも心配なので、結局自分で時間を捻り出すより他ない。
04:31  |  身辺雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
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