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2008.03.23 (Sun)

ユーザとクリエータの間

「宇宙世紀は来ない」 ユーザーが作る“ゲームの次世代” - ITmedia News
「「大半のイノベーションはユーザーによって引き起こされてきた」と、エリック・フォン・ヒッペル氏の「民主化するイノベーションの時代」は訴える。… IT化で生産性が上がって暇ができ、性能が上がったPCであり余るコンピューティングパワーを持て余した一般ユーザーは、自分のために何かを作り、企業の製品に“勝手に”“無料で”付加価値を加えていくだろう。「企業の描いたロードマップは役に立たなくなってくる」
…ゲームユーザーの“創造性”には4階層ある--「シムシティ」を開発したウィル・ライト氏はピラミッド型の「創造性のエコシステム」を指摘する。最下層はプレイするだけのユーザー、次は、ゲーム内で決められたパラメーターをいじって楽しむユーザー、3番目は、システムが許す範囲で創作する--例えばマップを書き換えるなどする--ユーザー、そして頂点が、ゲームそのものを作ってしまうユーザーだ。
最下層:頂点の人数比率は、100:1程度。頂点のユーザーが強くなることで、最下層のユーザーもひきずられるという仮説があり、それは実証研究で証明されつつあるという。
「ユーザーの創作は、ある臨界点を超えるとお金になる」--頂点のユーザーの創作物は、商品価値を持つ。このプラットフォーム上でゲームメーカーは、頂点のユーザーが作ったものを洗練させ、価格を付けて再配布するなどして利益を上げながら、最下層のユーザーにもアピールしていくことになる。「企業はプラットフォームホルダーにシフトしていくしかないだろう」」
(強調引用者)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0803/17/news016.html
そうだとすると、ときメモ判決のロジックはおおよそ的外れだということになるのか?
「本件ゲームソフトのプログラムは、主人公の能力に関する初期設定を固定し、その設定を基盤とした上で、プレイヤーが選択した行動(コマンド)に対する能力項目の数値を創作的に加減させ累積させてストーリーが展開するという構造になっているから、プレイヤーによって作り出され蓄積されるセーブデータは、プログラムとは別個独立に截然と区別されて存在する単なる数値ではなく、制作者が初期設定の数値によって表した主人公の人物像(能力値)を変化させ、それに応じたゲーム展開を表現するための密接不可分な要素として構成されているものというべきである。
従って、その初期設定は勿論、コマンドの選択に関連付けられた各能力項目の数値の加減は、本件ゲームソフトの本質的構成部分となっているもので、これを改変し無力化することは、それによる表現内容の変容をもたらすものというのが相当であり、本件ゲームソフトの著作物としての同一性保持権を侵害するものと解せられる。」
大阪高裁判H.11.4.27民集55巻1号122頁
少なくとも、ときメモ事件の裁判所のリアクションが、古典的な「著作物」を念頭に置いていて、データベース型消費(*1)のワールドに適合していないことは確かだろう。


アイマスって、ときメモの正常進化なんだよな(ぼそっ) まぁときメモは別の方向で進化(*2)を果たしているみたいだけど(笑)
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2008.03.23 (Sun)

critical

だいぶポイントが絞れてきたかと。
Don't Fear the Reaper : 続・教育における人種的多様性
http://eastriver.exblog.jp/7585957/
いえいえ、ブログにぼちぼち書く意義は(当面)活字にするつもりのない研究seedをああでもないこうでもないと引っ繰り返すことにあります(*1)(*2)のでお詫びされるようなことでもないかと:-)


突き詰めるとポイントは、Bakke判決以来認定されてきた「student bodyの多様性」を「意見の衝突の促進」と解釈するか、という点に収斂する。
(1) 自分がこう読むことを躊躇するのは、McLaurin判決で学生生活への幅広いアクセスが主題とされていたことにhookしている。しかし、時間的先後でも事案的にも区別はし得るかも知れない。
また、初等・中等教育でも(より実存的な意味で)「意見の衝突の促進」はあると言えるのではないか、という認識もある。

他方、「意見の衝突の促進」として解するにあたって、Grutter判決にいう"critical mass"概念が留意される。"critical"を「決定的な」などと訳してしまうとボケてしまうのだが、"critical mass"には核物理学において核反応が起きる閾である「臨界質量」との意味があるとのこと(*2)
(2) 意見の表明が容易になし得るだけの人数、という"critical mass"がGrutter判決のキーワードであったことは、eastriver46説を支持する。
(3) "critical mass"概念のミソは「最低限を確保」することにあるから、人数の多さのバランシングが問題となったシアトル事件はおおよそカバーされないこととなる。


もうちょっと:
(a) 「意見の衝突の促進」を目的としてそれが「セレブとニート」でもよいとするのであれば
  1. 「黒人向けに定員の10%を割り当てる」
  2. 「留学生向けに定員の10%を割り当てる」
  3. 「ムスリム向けに定員の10%を割り当てる」
  4. 「無神論者向けに定員の10%を割り当てる」
  5. 「貧困者向けに定員の10%を割り当てる」
  6. 「同窓生の親族向けに定員の10%を割り当てる」
の取り扱いが異なってくるのはどういうことか。
最初のものはBakke判決により明らかにアウト。
留学生はnational originの絡みでKorematsu判決に照らすと怪しい。
宗教は微妙。
下2つはたぶんセーフ。

(b)
「黒人は黒人で黒人の文化に根ざした劇をやるから~」
これは90年代マルチカルチャリズムの論点ですね(*3)

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