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2008.02.07 (Thu)

カッペの契約法

石橋を叩いても渡らない自分は、日教組の教研集会をプリンスホテルが蹴っ飛ばした話題を今頃になって書く。
先週のパウエルの二重契約に続き、契約法の教材として民法の先生が泣いて喜びそうな事例だ…とは言えパウエルの事例は実際には二重契約ではないのでしたか。


ブロガーさんのリアクションでは、Dan Kogai氏がプリンスホテルを「カッペ」と評しているのが比較契約法の観点から興味深かった。
404 Blog Not Found:グランドプリンスホテル新高輪はカッペ、日教組はカッテ
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50995853.html

比較契約法のイロハのイだが、大陸法系契約法では契約上の債務の履行強制が認められるのに対し、英米法系契約法では債務不履行の場合も損害賠償のみでカタを付けるのが原則で、履行強制は例外的な場合にのみ認められる。
この点は様々な説明の仕方が可能だが、一つの説明として、市場経済の発展度合いで説明する仕方がある。
市場が十分に発達していると、その中のプレイヤーから見れば次から次へとビジネスの機会が巡ってくるわけで、だとすればその中をサーフィンでもするように波に乗っていくのが「らしい」行動となり、後は損害だけをお金で清算すればいいか、ということになる(*1)
他方、市場経済が十分に発達していない、前近代とまではいかないが半近代程度だと、アテにしていた供給者が債務不履行をやらかすと代替財の供給者が見つかり難いから、履行自体を法的にも確保してもらわないと困る、ということになる。(*2)

そういう評価軸からすると、プリンスホテル側の行動様式は「田舎者じみている」どころか、契約を破ってでも市場経済の波に乗っていこうという“都会的”なものだとも言えそうだ。(*3)(*4)


さて、Dan Kogai氏は代替プランを用意していなかった日教組の対応もネガティヴに評価するわけだが、ビジネスマンとして極めて冷徹な(その意義については後述)評価としてリスペクトしつつ、そこまで日教組に(あるいは同様の状況に置かれた他のプレイヤー(ビジネス含む))に要求するのは酷かと思う。
この点は、何故国家は契約法を用意するのか、という論点にも絡む。

日本契約法は田舎モノの法律なので(笑)、履行強制原則主義を採用している(民法414条)(*5)
すなわち債務不履行があれば裁判所は「履行しろ」と命じることができる(*6)
だとすれば、債権者当事者からすれば、債務者が債務を履行しなかったとしても国家権力によって強制的に履行させることができることをアテにして行動してよいはずであって(*7)、日教組は実際にそうした、だけだと評価できる。

国家が契約法を用意するのは、それによって諸々の取引活動--引いては経済活動・社会活動一般--を促進しようとするためだと言える。
前述の通り具体的なデザインには様々なものがあり得るが、いずれにせよ「契約違反があればこのような国家的サンクションを提供します。だからぜひ安心して契約関係=取引関係に入ってくださいね」と言っているわけである。

だが今回、日本国のなしたこのサービス提供の予告は実現されなかった。
裁判所の決定というのは単に「こちらに正義がある」と状態を申し述べるものではない。「だからかかる状態が実現されねばならない」という権力発動の宣言である。

本件の問題のコアは、裁判所のlegitimateな決定が下されたにもかかわらず、それが実現されなかった、という点にある。
これは法の支配の根幹に係わる。もっと言えば、司法権は国家の統治権能の一部である以上、日本国の統治権が貫徹されなかったということであって、国家体制の危機、国体の危機である。
法の支配がよく(良く/善く)浸透して確立している社会であれば、裁判所の命令を、よき(良き/善き)市民は尊重し、自発的に従うものであろう--たとえその決定が、自らの主張を容れるものでなかったとしても、その主張を申し述べ、相手方の主張に反論する機会を十分に与えられる等のdue processに適ったものであるのであれば。

だが、本件ではかかる自発的遵守はなかった。

だとすれば、日本国としてはそのような事態を看過してはならないはずで、国家の機能を特徴付けるところの暴力装置を動員して、裁判所の決定に従わせしめ、法の支配を貫徹すべきところであった。(*8)

以上のような意味で、本件は根底的な意味で憲法体制が動揺した事例だと、自分としては受け止めている。そしてそういう視点から見ると、Dan Kogai氏による"Plan B"の奨励は、日本国の権威がアテにならないとしても、そういう状況を(も)念頭に置くべきだ、という、冷徹なビジネスマンの態度である。

無知を晒してるっぽいので追記。アクセスできる資料が限られてるので許して(汗)
裁判所は強制的に従わせしめる手段を持っていないのか。
ざっと条文を眺めるところでは民事保全法52条→民事執行法172条、程度か?法律に規定のない権力を発動するとすれば、そのほうがよっぽど法の支配の危機である。裁判所がデフォルトで有している権能はアメリカのほうが日本(その他大陸法諸国)よりよほど大きい、というのは確かに押さえなければいけないポイントだが、それ自体一つの大きなテーマなのでここでは置いておく。
いずれにせよ、裁判所の命令に(十分な)強制力が付与されていないとすれば憲法体制としては脆弱性を抱えていると言わざるを得ず、全体の論旨は変わらない。
[2008/02/08 20:30追記]



さて、最早履行期が過ぎてしまったので、日本法の下においても損害賠償で決着を付けるしかないのだが…本件の損害って何だろう?というのはある。
履行利益の賠償なのだが、本件の履行利益って何だろう、と。
ビジネス関係であればその取引から挙げることを期待していた利益、と定式化してあとは立証の問題に放り込めそうだけれども、本件の「集会を開けていたであれば得たであろう利益」というのはちょっと思いつかない。(*9)
判例があるのかも知れないけれどもあいにく調査できる状況にないので、とりあえず疑問だけ書き散らしておく。

個々の参加者の旅費等は一見損害のように見えるが、個々の参加者とプリンスホテルとは契約関係にない。(*10)
請求するとすれば不法行為で請求を立てるか、あるいは何らかの形で日教組のほうにこの旅費等のコストを帰属させてそれを債務不履行による損害として構成する、といったあたりか。

その後、ホテル側による個々の参加者に対する宿泊拒否も明らかとなった。
[2003/03/02 20:50追記]


なので、損害賠償で決着を付けるとしても賠償額はあまり高くなりそうにない。
それだけに、実力を行使してでも履行を強制しなかったことの意味がより深刻なもののように思える。
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テーマ : 法律全般 - ジャンル : 政治・経済

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