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2008.01.06 (Sun)

帰路

フィラデルフィアへの帰り、ニューヨークのPenn Station。
帰りの列車は2時1X分のはずだったから…あの14分のやつだな。

…あれ、違う列車だ。確認…え、11分発!?
というわけで帰りの列車に乗りそびれた。確認の足りないお前が悪いと言われれば返す言葉もないが。
以前、大阪に行った時に往路が伊丹だったので戻りも伊丹だと思い込んでいて実は関空発の便で、乗り損なったことを思い出した。交通機関は慣れかけが一番怖い。


というわけで思いがけず、以前より気になっていたSEPTANJ Transitを乗り継いでフィラデルフィア=ニューヨーク間を移動するというルートを試すことに。

試した結果:
・安い!Amtrakの約半分。しかも今回予約していたAmtrakのチケットは特に安いやつで、2倍~3倍の列車もあるから、値段的には比べものにならない。
・但し時間的には結構根性が要る。単純に乗っている時間だけを計算すれば、Amtrakの5割増前後で、コストパフォーマンス的には悪くない。が、列車の接続が悪い。経営主体も別だから調整とかあまりしていなさそうだし。まぁ本を読んでいればいいのだけれども。
トータルの結論としてはビミョーな感じ。
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23:41  |  身辺雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.01.06 (Sun)

Les Misérables

せっかくニューヨーク行くんだし、ミュージカルかリンカーンセンターでオペラでも、どうしてもというわけでもないが都合が合えば、
くらいのつもりで、とりあえずネットで情報を集める。

…えぇっ、レミゼが1月6日で終演デスカ。
決してmusical loverというわけではないのだが、レミゼは何度か観た。
ニューヨークでは2度観た(*1)。意識的にそうしているわけではなく偶々だが(*2)
日本版も一度は観た(*3)

もう観られないとなると、折角なら、と思い、チケット情報をチェック。
…うん、終演間近の週末のチケットなら売り切れてるよね。
ん、プレミアム・チケットならある。た、高っ。でも耐えられない額でもない… あ゛、クリックしちゃった(笑)

で劇場に行くと…わ、近っ。一桁列目の舞台真正面。しかるべき値段を払っただけある。

でperformanceだが、良かった。
単にいい席なので音響も良いだけかも知れないが。

特に良かったのが(これも当たり前かもしれないが)ジャン・バルジャン。最初から最後まで、低音から高音まで、ムラなく(良い意味で)均質、かつ深みのあるperformance(=演技and演奏)。

エポニーヌも良かった。一番気に入っているシーンはマリウスとコゼットがいちゃついてる横で歌うエポニーヌなので、エポニーヌが良いと全体の印象も良い。

あとリトル・コゼット萌え。あの歳であの歌は今後が楽しみ。

数度観ると気を回す余裕も出てくるのか、若干気付いた点。
原作と比してミュージカルのストーリーは、コゼットとマリウス結婚後のジャン・バルジャンとマリウスとの確執の部分が割愛されている。そうすると:

その1。結局、「ジャン・バルジャンはコゼットを助けました、ジャン・バルジャンはマリウスを助けました、二人の幸せを見届けて天国へ行きました」というお話としてまとまっている。
結果的に抽出されてくるのは、世代の問題系。次の世代のために捨石になる(なれるか)というモチーフ。

その2。六月暴動のシーンが後半のヤマ場として設定されている。ラスト、ジャン・バルジャンが死ぬシーンでも、その際に倒れた者たちがステージ奥で並んで「民衆の歌Do You Hear the People Sing?」の旋律が演奏される。
「自由のために戦う」というモチーフの強調を読み取るのは、アメリカで観ているバイアスか?


【関連】
で、誰をひっぱたくのか

テーマ : ニューヨーク - ジャンル : 海外情報

23:34  |  身辺雑記  |  TB(1)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.01.06 (Sun)

MoMA

金曜日は夜まで開いているということで、ニューヨーク近代美術館(MoMA)に寄った。
ていうか、よく見ると会場のヒルトン・ホテルから1ブロックも離れてないし(笑)
MoMAは新館舎になってから行っていなくて訪れたかったので、ちょうどいい感じ。

5時半頃行ってみたら、入り口から目茶苦茶混んでいた。どうやら金曜の夕方4時以降は入場無料になるらしく(そこまでは調べていなかった <よわよわ)、皆な考えることは同じ、と。
中に入っても混み具合は変わらず、日本の美術館で海外から有名作品が来る展示会と変わらんなー、という感じだった。

MoMAを訪れたのは2度目、か?
前回は「思ったよりモダン」(*1)という印象を持ったのだが;
今回は「あれ、MoMAってこんなにコンテンポラリーだったっけ」という印象。

それにしても現代美術というのは
「これは芸術だ」
って言ったモノ勝ちだよなー(笑)(*2)

テーマ : ニューヨーク - ジャンル : 海外情報

22:58  |  身辺雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.01.06 (Sun)

AALS年次総会・その3・妙に日本語が通じた件

日本からの先生方もけっこう見かけた。

しょっぱなの午前中のセッションから、どこかで見たような日本人っぽい顔が、と思ったら有名なM先生だった。
次のセッションとの合間にご挨拶しようと
私「Professor M?」
彼「Yes…ああ、IZW134さん」
えぇ、何で知られているですか!? ちゃんとご挨拶したことないはずなのに。確かにうちの大学のOBですけれども。

他にも(日本語で)「IZW134さん、お久しぶりです」と突然話しかけられたらY先生だったり、お手洗いで(別の)Y先生とばったり出会って「こちらではどんな具合ですか」みたいな話になったり、本だけで知っていたS先生と名刺を交換したり。

もちろん外国から来ている人は日本人に限らない。
ポーランドとか、ウガンダとか、アフガニスタンから、という人もいた。
ここらへんは気になっているまた別の問題系へと連なっていくけれども、いずれ。
22:47  |  身辺雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.01.06 (Sun)

AALS年次総会・その2・米国ロースクールの国際化

AALS年次総会で議論されていた中身だが、ロースクールを如何に国際化していくか、という意識が強く出ていたのが印象的だった。(自分がそっち系統のセッションを中心に出ていたことを差し引いても。(*1))
しかも、教育のみならず研究においても。
むしろ、「国際化していこう」という前向きな姿勢よりは、「国際化してかないとマズイ」という危機意識といったほうが当たっているかも知れない。


その背景要因ないし原因(としてrecognizeされているファクターとして言葉の内外に染み出しているもの)は、まぁ一言で言えば「グローバライゼーション」なのだが、もうちょっと具体的に整理してみると:

(卒業生たる)弁護士の業務自体の国際化
米国内で外国クライアントの案件を扱うのみならず、外国の事務所に滞在して事件を取り扱うこともありうる(*2)。そういうcross-culturalなシチュエーションにも対応できる人間を育てなければならないのではないか、という意識。
さらにより一般的に、ロースクール教育と業務の現場とのギャップが大きくなっていると認識されており、実務サイドから“即戦力”を求められている、という状況もある。

・米国内の裁判所に出てくる事件でも、国際性を帯びている。
特にWTOの裁定が関係していたり、NAFTA絡みとか。そういったものを米国内の法制度とどう接続していくか。

・特にヨーロッパのカウンターパートが、教育・実務の双方で域内統合を深化させていることとの対比。

・単純に「オレら外国のこと知らな過ぎてヤバクね」という意識。
「日本人とかは意識的に外国情報集めてるよねー」などという発言もあった。


で、具体的に国際化していく局面だが:
・留学生の受け入れという面では既にLL.M.プログラムを中心に各校とも蓄積がある(*3)
それを、大学のassetとしてどう活用していくか、というのが現在の中心的な関心らしい。

・アメリカ人J.D.学生を、外国の大学に送り出す、ということも重要になりつつある模様。

・そのようなフォーマルな人の遣り取りだけではなくて、教育・カリキュラムの中で国際的な事項をどう取り込んでいくか、という問題群。
このようなことを考えるときに、国際法や比較法関連の授業を提供する、というのはまず思いつく。
しかしこちらでむしろより重要だと考えられている(ような)のは、普通の(?)科目、特に1年次の基本科目の中で国際的な話題に触れる、というアプローチ。民訴の授業で国際的な裁判管轄を議論するとか、契約法の授業でCISGとかUNIDROIT契約法原則に触れるとか。

こういう発想は日本にはない。個々の教員が(恐らくは自分の研究とも関連して)個別的なトリビア的に外国法の話をすることは少なからずあるだろうが、システマティックに科目の内容の一部として取り込んでいくということはほとんどなされていないだろう。
しかし、こういったアプローチのほうが効果的なのではないかと思える。(例えば)国際法の体系的な理解のためには別個に科目を立てる必要があろうが、選択科目とする限り、そもそも関心を持った学生しか履修しない。だが、必ずしも関心を持っているわけではない者も、そういった話題への最低限のexposureはあったほうがよいのではないか。むしろ関心がないからこそ、最低限の問題の提示を与える必要があるのではないか。我々は既に好むと好まざるとにかかわらず、既に国際的なものに巻き込まれているのだから。

・教育のみならず、研究においても比較法・外国法研究、やってかないとねー、というのが大きなトピックとして出ていた。
しかし(もちろん個別的な研究はこれまでにもあるけれども)法学研究における主要な研究手法としてはどうしたらいいのか、未だ試行錯誤中、という印象。

この関連の報告をした人と後で少し話をしたのだが、言葉の壁の話題になって、外国法の資料の英語アーカイブを作らなきゃと思ってる、ということを言っていた。
日本はこれまで外国法研究が盛んだったので、独・仏・英・米に関する情報の蓄積があるから、特に東アジア諸国からの留学生は日本語を勉強すればこれらの法域の法情報にもアクセスできる、というメリットがあったわけだが、英語でこれをやられちゃうと負けるなーと思った。


・研究に関連して、国際化とは直接関係ないのだけれども、もう一題。
20世紀前半までは、重要な研究のあり方として、数巻本のtreatiseを書くというのがあった。Corbin on Contractsとか、Bogerd on Trustsとか。
が、ここ数十年はそういうのがあまり出てないじゃないか、と(*4)
言われてみれば確かにそうだな、と。
ただ、リステイトメントなんかがそういう「大家によるtreatise」の代替なのかな、という気もしないではない。

テーマ : アメリカ合衆国 - ジャンル : 政治・経済

21:59  |  アメリカ法  |  TB(2)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
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