CIAリーク事件−−取材源の秘匿2007-11-28 Wed 19:25
著名な卒業生を呼んで話題の事柄について講演してもらうというシリーズで、Norman Pearlsteine氏という人がやってきた。
ロースクールの卒業生だがジャーナリズム畑の人で、長年ウォール・ストリート・ジャーナル、Time, Inc.で働いていた。と言うか、CIAリーク事件で取材資料を特別検察官に引き渡す判断をした本人ですな。近著 の宣伝も兼ねて(?)、この事件の当事者から見た裏話、といった趣向。 取材の現場がどう(だった)か−−一般論としても、この事件の関係でも−−という点が強調されていた(当たり前か)。ジャーナリズム実務では"confidential"と"anomymous"は違うんだ、とか、タイムの記者Matt Cooperとニューヨーク・タイムズの記者Judith Millerとでは取材資料の内容が違っていたから対応が分かれたとか。それまで資料提出を差し控えていた彼らをサポートしていた人から、Karl Rove他の名前が出た後で「秘密にしてなくてもよかったじゃないか」と言われたというエピソードには笑った。 最後には質疑応答でジャーナリズムの市民的不服従というトピックまで出た。 横道・その1。 このような講演シリーズの企画趣旨は、卒業生の活躍を見せて学生を鼓舞することにあろう、と推測するが、実際の聴衆には学生はあまりおらず、もっと年配の聴講者が目立った。原因の一部はこの講演が継続法学教育(continuing legal education; CLE)の単位として認定されることになっていたからだろう。どうせCLEの単位を稼がなきゃいけないなら、ポピュラーなトピックの話を聞きたいからね。 CLE自体についてはまた機会があれば。 横道・その2。 Pearlsteine氏、1967年卒業か68年卒業か、紹介の際に食い違いがあってちょっとよく分からなかったのだが、いずれにせよ、取得学位はLL.B.だった模様。この頃までまだJ.D.の学位に移行してなかったのだな、と。(*2) |
Asia2007-11-26 Mon 01:15
オーストラリア総選挙の話の続き。
選挙結果を伝えるニューヨーク・タイムズの記事。 Ally of Bush Is Defeated in Australia - New York Times…そうですか。オーストラリアはアジアですか(^^; 大学院生の頃、日本へやって来たアメリカ人の先生を連れ回す仕事をしていた時、世間話の中で、 俺「アジアへ来たのは初めてか?」 彼「んっと、イスラエルに行ったことあるな」 そっか、イスラエルはアジアか、と思ったことがある。 以前どこかで読んだが、イギリスは旧植民地からの移民が多いが、従って「アジア人」と言うと南アジア出身者が想定されるので、肌の色が黄色い人というより浅黒い人を連想するのだとのこと。 米国にいると自らが「アジア人」であるとの意識を強く持たざるを得ないが、正確には「東アジア人」か。 もとより「アジア」の語自体がオリエンタリズムの産物だとの意見もある。 せめてできることは、視点の位置によって見え方は政治的に規定されざるを得ないことを自覚するとともに、諸々の見え方の可能性を想定して違った見方を提示されたときにうろたえないことか。 テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済 |
オーストラリア政権交代2007-11-25 Sun 20:58
オーストラリアの総選挙で与党が大敗して政権交代、イラクからも撤兵の方向。
目に付いたブログの多く(おそらく左翼系)(*1)はまた反アメリカ=ブッシュの選挙結果だ、と意気が上がっているようだが、本当なのだろうかと。 イラクを含めた外交は争点ではあっただろうけれども、内政上の他の争点もあっただろうし、むしろそちらが主要だったとの報道もある。そもそも、従来の野党側がそのような外交政策を主張したのも、単に与党の反対を主張してみたというだけで別にそうしたcauseにコミットしているとは限らない(*2)。 もうちょっと冷静な視点が必要でしょ。 昨年のアメリカ議会選挙のときも同様に思った。確かにイラクは重要な争点だったけど、明らかに唯一の争点ではなかったし、第一の争点であったかも怪しい。 そもそもアメリカ=ブッシュ=ネオコン=イラク戦争=対米追従外交みたいな思考自体が短絡的。 じゃあ政権交代が起これば安保は解消されるのか、と考えればそんなことはあり得ない。90年代クリントン政権の対中接近・対日強硬姿勢も、強気に出ても日本との関係は壊れない、という依存的な政策態度だったというのが私の解釈。(足元を見透かされた、とも言う。) Je n'avais pas l'intention d'aller a la mer.-en maniere de Haruphilie - 長門有希の一人称が変わるとき まあ私も、アメリカについていけばいいと考える(そうとしか考えられない)外交姿勢については疑問に思うが。アメリカのことを勉強しているが故に、米国内であればまず通用しない話を外交の局面で要求してくるのはどうなんだと思うし、それを切り返せない日本外交も歯痒い。 しかしそれに対するアンチテーゼがやはり短絡的なのでは、展望は開けないなと。 テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済 |
性犯罪の履歴保有者の居住制限2007-11-24 Sat 18:53
Georgia Court Rejects Law on Sex Offenders - washingtonpost.com報告されているジョージア州最高裁判決はこれ。 Mann v. Ga. Dep't of Corr., 2007 Ga. LEXIS 849 (S07A1043, Nov. 21, 2007)性犯罪の履歴を有する者に対して、子どもの集まる施設(学校、教会、スクールバスのバス停等)から1000フィート(=約300m)以内での居住制限を課しているジョージア州法の効力を同州最高裁が否定した事例。 最近の風潮では、性犯罪の履歴保有者に対する制限を認めない判断は珍しいのでメモ。 だが、ざっと読んだところ、射程は狭い。 そもそも、二重処罰禁止原則やデュープロセスあたりを土俵に性犯罪履歴保有者の権利を検討したものではない。 そうではなくて、性犯罪履歴保有者が住居の立ち退きを命じられることを規制的収用(regulatory taking)として認定。 あらゆる子どもの集まる施設から1000フィート以遠に住居を探すこと自体が至難の業だが、本件は実際にそういう家を見つけて購入した後に、近所にchild care centerができて立ち退きを命じられた事例。このような場合の除外規定(他州の同様に立法にはある)がないことを裁判所は重視。 関連して、性犯罪の履歴を持つ者がどこに住んでいるかは誰でも分かる制度になっているが、そうすると第三者たる私人がそういう人の家の近くに子どもの集まる施設を作れば彼を追い出すことができることになることも問題視。州のポリスパワーを私人に委ねているのはけしからん、と評価しているのは興味深い。 但し収用として構成しているから、正当な補償が支払われれば立ち退き自体は正当化されると思われる。 また同様の地域における就労制限については(適用)合憲判断。 連邦憲法(第5修正)に基づいた判断だけど、連邦最高裁は上訴は採らないかな。 事案的に面白かったのが、この男性、結婚を契機に件の家を買っている。この奥さん、彼が性犯罪の履歴を持っていると知って結婚したのだろうか。なかなかに肝っ玉の据わったと言うか。 とは言え、彼はpredatorではないとされているようだし、実際に刑も軽い。それなりに年齢も行っていて自分で判断のできる相手と合意に基づいて、という所をふんじばられたのかも知れない(*1)し、そうだとすれば彼女もそれほどアブない男だとは思わなかったのかも知れない。(ひょっとすると、当の相手と結婚したというシナリオもあり得る。) ここらへんからは、それなりに自己決定もできるハイティーンに対して何故規制をかけるのかという問い(*2)(*3)や、“性犯罪者”を特に取り出して事後規制を課す根拠は近代法の前提たる個人の自律モデルと緊張関係に立つのでは(*4)、といった方向に考えを巡らすことができるが、いずれ機会があれば。 |
サンクスギビング2007-11-22 Thu 22:46
サンクスギビング、感謝祭です。
静かです。学生街なのでアパートの周囲も学生の住民が多く、週末などは夜中までうるさいことが多いのですが、今日は静かです。 昨日Mさんと昼ご飯を食べた時は、日本のお正月と比定することで合意。 10月はハロウィーン、11月は感謝祭、12月はクリスマス。 前回の長期滞在の際も「こいつらお祭りばっかやな」と思ったものだが、今回は9月下旬の渡米なのでその感はさらに強く。 |
見えない自由がほしくて 銃を2007-11-22 Thu 18:26
まあ判決が出てからでもいいのだが、そうするとかえって好き勝手に書けなくなっちゃうかも知れないので書いておこう。
High Court to Weigh Ban on Gun Ownership Justices to Decide on Right to Keep Handgun - New York Times Justices To Rule On D.C. Gun Ban - washingtonpost.com連邦最高裁が第2修正について、銃保持を個人の権利として認めるか、腹を括った模様。 "The petition for a writ of certiorari is granted limited to the following question: Whether the following provisions -- D.C. Code ァァ 7-2502.02(a)(4), 22-4504(a), and 7-2507.02 -- violate the Second Amendment rights of individuals who are not affiliated with any state-regulated militia, but who wish to keep handguns and other firearms for private use in their homes?"なんか、第2修正は個人の権利を承認していることを前提としているみたいなサーシオレィラィの書きぶりだなぁ(笑) 第2修正のテクストも載せておきますか。 "A well regulated Militia, being necessary to the security of a free State, the right of the people to keep and bear Arms, shall not be infringed." 政策論としては、これだけ銃が“普及”している状況で保有を禁じるのは、規制に従った正直者がバカを見るだけで、あまり現実的ではない話ですが; 憲法論として、規制できない、政治部門にはそのような政策的余地は認められないとするのはどうなんだろうか。政府にとってはかなりキツイことになるんじゃないかなぁ。(*1)(*4) 特に近代国家の特徴(*2)はしばしば暴力の独占にあるとされる以上。 …あ、アメリカは前近代国家なのか!?(笑) 外から観察者だから見える議論配置の奇妙さもあって。 保守派は銃規制けしからん、と言うわけだが、ナイフの規制はどうなのだろう?法的には直接的には"Arms"の解釈問題。ナイフや斧の規制はアリだが銃の規制はダメ、というのは妙なポリシーに思えるが。<調べてない あるいは、銃権利論を一歩下がって世界のコンテクストに置いてみると、今現在も米軍はイラクやアフガンでひぃひぃ言っている。(ここ数週間は安定しているとの報告もあるが。) イラクの部族勢力やタリバン(の構成員)を武装解除するというのは、正しく彼らの権利を侵害している、論理的にはそう言えるはずなのだが、権利論者はどう答えるのか。 もちろんいくつかの回答は予想できて、その一は「合衆国憲法上の権利を議論しているのであってその他の国は関係ない」説。これはアメリカ例外論の問題系につながる。 あるいは、「ヤツらはテロリストだから関係ない」説。この説は「善良なる市民と悪人とは区別しうる」+「オレ(達)は善良なる市民であり、そのことは揺らぎ得ない」(+「悪人を排除しても構わない」)という命題から構成されているのだけれども、いずれもノーテンキに維持できる命題ではないはず。(*3)もっとも、こういう思考回路は別にアメリカ特有でもないし、たぶん、保守の問題系というものにつながっていくのだろう。 法解釈論としては、本件で原告Heller側が「自己防衛の権利」としてその主張を定式化しているのが気になるところ。実質論としては前述の政府の樹立根拠との緊張関係は腑分けされなければならないし、形式論としては「民兵Militia」という文言と緊張関係に立つ(はず)。 D.C.政府側はここら辺を突いて、文言解釈の好きなScaliaとかの関心を引こうとするのだろう。プラス、独立期の民兵の状況とかに関する歴史研究が大量に裁判所に流れ込みもするだろう。この戦術が功を奏するかは微妙だが。 リベラル派の論者のほうがむしろ個人の権利としての銃保持を認める議論をしているとどこかで読んだが(冒頭の各記事はちょっとぼやかし気味); 仮に今度最高裁が憲法上の権利としての銃保持をrecognizeするとすれば、保守派版のRoe v. Wade判決みたいな位置づけになるのだろう。 そうなると、「権利」をめぐる議論状況が入り組んでくると予想。一方の権利を擁護して他方の権利を擁護しないというのは、不可能なポジションではないかも知れないけれど、かなり特定性の高い社会の構想に依拠した主張になるだろうから、恐らく正当化のハードルは上がる。 ついでなのでリンクも張っておきましょ。 - 全米ライフル協会 http://www.nra.org/ こっちだけだと不公平ですかね。どこにしましょう。 - Brady銃犯罪防止キャンペーン http://www.bradycampaign.org/ ついでのついで、銃と中絶という話になったので。 物足りない部分はあるが(Lawrence v. Texas判決に言及がないのは明らかに問題)、「性と暴力」という切り口は面白い本だと思った。 |
絶望した!2007-11-21 Wed 23:53
Mさんと昼ご飯を食べながら喋る。
私がこちらでやっていることから、日本の憲法裁判の話題に。 彼は日本の裁判所が原告適格に厳しいのは9条の問題に立ち入りたくないからだろうとの仮説を持っていて、意見を求められた。 大陸型の限定的な司法(権)観念で説明しようとするが、うまく伝わらない。 彼「行政訴訟であれば合理的だが、憲法事件では他に介入する機関がないから憲法上の職務放棄でしょう」 自分でもいいことだとは思ってないことは説得的に喋れない罠。 彼「政府が明示的に憲法を停止して憲法上の権利を廃止したら、日本国民も怒るでしょう」 俺「…いや、自分の利益に影響ない限り、受け容れるんじゃない?」 という辺りから、最後は日本社会が如何に絶望的かという話になった(笑) サンクスギビングなので7時に図書館を追い出される。 |
ズボン訴訟2007-11-19 Mon 18:21
少し前のニュースだが、しばらく前から話題の、アメリカで判事が、ズボンがなくなったと言ってクリーニング店相手に法外な賠償請求を吹っかけた訴訟を起こした、という話。
ズボン訴訟の判事、失職へ=米紙(時事通信)ここで言及されているワシントン・ポストの記事はこれですな。 Judge Set to Lose Job, Sources Say - washingtonpost.comわ、Wikipediaの記事まであるんだ(笑) これによると、判事職の失職は確定した模様。 「アメリカじゃまた無茶な訴訟を。これだから訴訟社会は」と呆れるのが平均的日本人のリアクションだろう。まぁ、アメリカ法観察者の自分も苦笑は禁じえないし。おまけにそんな訴訟を判事が起こしたとなれば(*1)。 ただ、訴訟社会を批判したり、アメリカでも不法行為改革を推進する陣営がこの事件を例に引くようだが、それはどうなのかな、と。本件で被告勝訴の判断(しかも陪審審理で)が下ったのは、むしろアメリカ不法行為法and/or陪審裁判が健全に機能しているとも解釈できる。(*2) それよりも。この事件はきちんと追いかけていなかったので、英語のソースを読んだのは前掲のワシントン・ポストの記事が初めてだったのだが、自分的に衝撃だったのが: 私も本件を冷ややかに=原告に批判的に見ていたのは前述の通りだが、 その際、原告=白人男性だとイメージしていた。何の根拠もなく。ただ、「判事」職にある=社会的強者だ、という情報のみから。 違った。 記事の写真にもある。Pearson(元)判事は黒人だった。 そのことを知って、自分の思い込みの浅はかさに愕然とした。事実を確認しなければならないという当たり前のことを、改めて肝に銘じた。とりわけ普段慣れ親しんでいない外国のことをウォッチする者としては。 第2に、そうすると、本件のイメージも大きく変わってくる。何の根拠もなく原告=白人男性だと思い込んでいたときは、、弱きものの状況にinsensitiveなマジョリティによる横暴、という事件だと了解していた。 実際はそうではない。 マイノリティである黒人が、判事職に任命されて舞い上がったのか、韓国系移民というマイノリティを叩く、という構図の意味。 弱い者達が夕暮れ さらに弱いものをたたく(*3)その音が響きわたれば、ブルースは加速していくのだろう。 |
ケータイ・カルチャー2007-11-18 Sun 19:40
前回、9年前の長期滞在の時と比較して、アメリカ社会で一番変わったと感じるのは、携帯電話の普及。
1998年の時点でも、日米ともに、携帯電話は徐々に社会に浸透しつつあったが、未だ普及途上だった。 しかも、普及の態様が違っていた。 当時、アメリカでは、携帯電話は都会のエグゼクティヴ風のビジネスピープルが持つもので、すなわち携帯電話は第一義的にはビジネス・ツールであった。 他方、日本で携帯電話は学生を含む若者から普及し始めた。 この差異が携帯電話をめぐる社会規範にも違いをもたらしているようであった。日本では携帯=若者の持ち物=必ずしも必要ではないオモチャ、であるから、公共空間での利用に対する風当たりが強い。対して米国では、第一義的にビジネス・ツールである以上、その利用はビジネス行為であり、公共空間に対しても利用でも理解が示される… が、今回アメリカにやって来ると、全く様相が違っていた。 誰も彼もがケータイを持っている。電車やバスに乗ると、ビジネスとは全く関係ない、全くのプライベートな会話をしていたり、あるいはケータイ・メールをにらんでいたり。 日本と全く違わなくなった。そう思う。 公共空間での利用についても制限的な方向で、例えば車内でアナウンスがあったりするのだが、皆あまり気にせずに使い続けているのも一緒だ。 Devices Enforce Silence of Cellphones, Illegally - New York Times |
national2007-11-18 Sun 19:28
national
〔形容詞〕 《米》「全米の」「全米的な」;《法・政治》「連邦(政府)の」 一般的な意味としても地域的(local)な事項に対して、国全体をカバーする「全国的な」という意味があるが、アメリカのコンテクストでは、一州や地方に留まらなり広がりを持って、少なくとも米国本土48州をカバーする、という意味合いになる。 - national market - national law school: 全米から学生を集め、卒業生は全米で活動する、トップクラスのロースクール さらにこのことを政治体制やその統治モードとしての法の局面に投影すれば、一州に留まらない、全米をカバーする政府/政体、すなわち連邦政府の(=federal)、という意味になる。 - national government これを「国の政府」と訳すのは誤りではないが、連邦制下の連邦・州間の緊張を見落としてしまうように思える。アメリカ英語でアメリカ国内のことが語られているのであれば「連邦政府」と訳したい。 - national park これも「国立公園」と訳すのは間違いではないが、「州政府に委ねず連邦政府が直接管理することで自然環境の保全を図っていますよ」というニュアンスを前面に出すのであれば、「連邦立公園」ということになる。スワリの悪い訳語なので使わないが。 (ちなみに日本では余り知られていないが"state park"もある。ナイアガラの滝はニューヨーク州立公園。) |
bootleg(ging)2007-11-18 Sun 15:18
bootleg(ging)
〔名詞、動詞〕 「不正録音(する)」 実演家の許諾を得ないで、演奏を録音する行為。またはその録音物。 長靴の中に隠して酒を密輸したことが語源。転じて密造酒を指すようになり、さらに前記の意味で使われるようになった。 「海賊版」と訳されることもある(対応する英語は"pirate")が、狭義の海賊版が正規の録音物を無許諾で複製したものを指すのに対し、"bootleg"はそもそもの演奏の録音の時点で許諾を得ていないのがポイント。「密造」というニュアンスが消えてしまうので、「海賊版」という訳語は避けたい。 というわけでさしあたり「不正録音」と訳しているのだが、スラングっぽさが消えてしまうのが難点。 アメリカでは1994年ウルグアイ・ラウンド協定法により違法化(17 U.S.C. § 1101(民事);18 U.S.C. § 2319A(刑事))。但しその合憲性については議論あり。 |
日米首脳会談2007-11-17 Sat 18:57
福田首相がワシントンへやって来てブッシュ大統領と喋っていったらしい。
asahi.com:日米首脳共同会見 福田首相の発言全文 - 政治 日米首脳会談:福田首相が帰国の途 - 毎日jp(毎日新聞) 福田首相、米国訪問終え帰国 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)ぜんっぜん知らなかった。だってこっちじゃ報じてないんだもの。 まぁ、その程度の位置づけってことですな(爆) テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済 |
War on Terror?2007-11-14 Wed 18:53
今日の夕方にはFederalist Society主催の「テロとの戦い」(軍事・外交と内政の双方に関して)の討論会があった。
Hoover InstitutionのDinesh D'Souzaを呼んで、それにBW教授が反論コメントをする、というスタイル。 で、彼の講演は、芸としては堂に入って講演慣れした様子を感じさせたが、中身はベタなネオコンという感じでさっぱり説得的ではなかった。(自分自身の政治的傾向を差し引いても。) Federalist Society主催ということで、彼に対してもっとsupportiveな雰囲気になるかと思っていたのだが、批判的コメント・質問ばかりだったのが印象的だった。特に拷問の有用性を肯定する議論をした辺りは批判が集中していた。今のロースクール学生のメインの意識はここら辺にあるんだと了解。 という感想を終わった後、M氏(10月10日のエントリ参照)と話したら、「あれはアメリカ人でも極端」と評される。 D'Souza氏がイランをアブないイスラム原理主義国家として位置づけているのもちょっとマテ感あり。「中東の普通のイスラム教徒には、イランのようなイスラム専制と、エジプトやサウジアラビアや湾岸諸国のような世俗専制しか選択肢がない」って、少なくともイランはそれなりに機能している民主体制だと思うのですが。確かに今の大統領は保守派だけど、前の大統領は穏健派だったし、その変化は選挙で起きた。 アメリカのイラン政策は前から疑問だったが、この程度の理解で政策を作られちゃうのも何だかなーという気がする。 今調べて分かったのだが、D'Souzaって有名人だったのね。知らなかった(恥) しかしインド出身という割には、外からのヒネた視点(私のような)は持ってないのかね。むしろ外来者ということで過剰に適応しちゃったクチかしらん。 |
Faculty Presentation2007-11-14 Wed 18:32
教員が執筆中の論文について学生に話す、という企画のシリーズをやっている。 2005年クラス・アクション公正法(Class Action Fairness Act of 2005; CAFA)に関するB教授のセッションがあったので、出た。
本当はwait listだったのだが、直前になってキャンセルが出たということで、出た。 中身についてはまだちゃんとよく分かっていないので(と言うかCAFAは大事な立法だと思う(B教授もそう言っていた)ので勉強に行ったのだがやっぱりまだよく分かっていない)、月末にこのテーマのシンポがあるのでその時に考えることにする。(B教授もCAFAには批判的だが否定的ではない模様。) minimam diversityは妙な考え方だな、と思っていたのだが、B教授によると前例はあるとのこと。 現在は連邦裁判所のほうが州裁判所よりも保守的と言うか、ビジネス利益に有利と思われているので共和党主導の議会はCAFAのような立法を通すわけだが、中長期的にはその状況は維持されるだろうか、という疑問はある。政治部門の状況は既に変化しているし。entrepreneurialな原告側弁護士も対抗戦術を編み出して、十数年経つとまた全然違う状況が生まれているかもしれない。 今日コメントしておくのは、このような企画が設けられていること自体について。 教員が最新の研究上の関心を学生に提示するというのがniceなやり方だろう。特にアメリカのロースクールではフォーマルな「研究者養成」というのはあまり行われていないから、このような企画は学生に対して研究職に対する関心を喚起することになるだろう。必ずしも研究職に進まない学生でも、アカデミクスがどのような関心を持っているかを知ることはいいことだし、そのこと自体が研究と実務の垣根の低いアメリカ法(法学分野に限らないが)の状況を示す。日本だと、伝統型大学院は研究者見習いだから、普段からアカデミックな意見を交換しているが、学部(最近は法科大学院もそうかも知れない)だと与えられた課題を受身に処理するばかりになってしまいがちだから、そういった学生相手に「学問の現場」を示す機会を設けるのもいいじゃないか… そこまで考えて、ハタと思った。 日本の学生は、学問の先端的状況に触れる機会は設けられていないのだろうか?大学という高等教育機関は、教員が研究していることを講ずる、という前提で設計されているのではないのか。少なくとも自分は、自分が今何を考えているか(「悩み」も含めて)は授業でも喋る。 この「研究者が研究していることを講ずる」というモデルは何「ではない」かを問えば、「予め定義された知識(技能でも可)のセットを伝達する」というモデルではない、ということになる。初等中等教育は後者のモデル。 で、最近流行の(大学における)「分かりやすい授業」とか「シラバス」というのは後者のモデルを前提としているように思える。これは前提とされている前者のモデルと整合的なのだろうか… だんだんぐちゃぐちゃになってきたので強制的に思考を打ち切ることにする。そもそも自分に大学教育を語る資格があるかも怪しいし。法科大学院に巻き込まれて「知識や技能を如何に組織化して伝達するか」に、日米比較を含めて関心を向けざるを得なかったのは確かだが。 このことをアメリカ法(教育)のコンテクストに引き戻すと、ケース・メソッドのラングデル的理解とポスト・リアリズム的理解とかいう話にも行くのだけれども、それはまたいずれ。 今日のセッションに話を戻す。ランチが出て、それをつまみながらのセッションだった。この間のACSのセッションでもそうだったし、大学側主催であれ、学生側主催であれ、お昼の時間帯の会合は"lunch will be served"となっていることが多い。とは言ってもそんな大層なものではなく、ピザを1切れにソーダをプラコップに1杯とか、そんなものだ。 こうやって人を集めることはいいことか悪いことか。暫定的には、いいことだとjudgeしている。本当に関心を持っている人は放っておいても話を聞きに来る。一番聞かせるべきは何となく気にはなるけどそれほどenthusiasiticというわけでもない、という層。そういう層にアプローチするには悪くない手。 …と書くと今度はアメリカの選挙運動と日本公選法の供応禁止規定を連想する。 |
紅白2007-11-12 Mon 17:29
NHK紅白歌合戦の司会者が発表された。
第58回NHK紅白歌合戦 紅白好きを公言していた(完了形)私だが(*1)、一昨年のみのもんたの司会に続いて去年のDJ OZMA騒動で「何だかなー」感がある。 いずれにせよ、幸か不幸か今年は観られない。 リア・ディゾンが出場するかが話題のようだが、自分的に偏った音楽界の今年の話題は「もってけ!セーラーふく」と初音ミクなので、ここらへんを投入してくれば「NHK、ネ申」と見直すかも知れない。 しょこたんにグレンラガンのOPを歌ってもらうのもアリだね。 |
フィラデルフィア美術館・ルノワール展2007-11-10 Sat 19:52
フィラデルフィア美術館へ行く。
何だかんだ言って初めて、ようやっと、という感じ。 5回くらいは絶対に行くだろう、ということで、メンバーになる。(大人1回入館14ドル、個人会員60ドル。) ちょうどルノアール展をやっていた。 Philadelphia Museum of Art - Exhibitions : Current Exhibitions 印象派好きとしてはラッキー。 ルノアールは人物画が著名だが、風景画も…という趣旨の企画展で、人物が描かれている場合も戸外が背景になっている作品を集めているのが特長。 この絵どこかで、と思うと大抵シカゴ美術館所蔵作品だった。絵を見るのを覚えた美術館なのですぐに分かる。 しかし。 一番インパクトがあったのは。 「犬とルノアール夫人Pierre-Auguste Renoir: Madame Renoir with a Dog」 オーディオ解説で「『ルノアール夫人』ってタイトルだけど、後にそうなるので、まだ結婚してないんだよ。この20歳のお嬢さんをよく郊外にモデルとして連れ出して…」…って、成立年代からすると当時ルノアールは約40歳なんですが。20歳年下の娘に手を出すというのは!(爆) |
Ledbetter2007-11-05 Mon 15:51
American Constitution Societyという学生団体(*1)が開いた"Ledbetter"に関する講演会に出てみた。
"Ledbetter"って何だ?と思いながら覗いたのだが、出てみればすぐに分かった。5月の連邦最高裁判決Ledbetter v. Goodyear Tire & Rubber Co., Inc., 127 S.Ct. 2162 のことだった。 女性の労働者が性別に基づいた業務評価の故に昇給の際に不利に取り扱われていて、20年弱経過してかなり差がついてから、1964年公民権法第7編に基づいて訴えた事件。論点は事件を提起できる期間の起算点で、原告が最終的な差はそれまでの差別の積み重ねなのだから、と主張したのに対して、最高裁の裁定は、いや、差別行為は個々の昇給の判断だし、だとしたらそれぞれ個別に出訴期限は走る、とした。(大雑把なまとめ。) 確かに、出た当時に読んだとき、ちょっとギョっとしたのを思い出した。そりゃ理屈はそうかも知れないけど、一々小さな昇給での差別を見つけ出して訴えるのは無茶じゃないか、と。 で、米国でもやはりそのように了解されているようで、Ledbetter判決を覆すための立法が継続中(Fair Pay Restoration Act, 2007 S. 1843)とのことで、そのための運動をしているNGOがロースクール生に宣伝に来た、という辺りらしい。 まず、こちらの教授がLedbetter判決の概要を説明した後、NGOからの一人が判決の影響と議会の状況について、もう一人が運動のよびかけ、その後で質疑応答、と構成だった。 基本的な論調は、Roberts Courtの保守基調が鮮明になった具体例としてLedbetter判決も位置づけていた。2番目のプレゼンタが、Alitoが最高裁裁判官に承認される際に批判・懸念されていることが現実になった、ムリムリの解釈をして現実には機能しない判断をする、philosophicalには美しいのかも知れないが、という趣旨の発言をしていたのが印象に残った。 自分はAlitoではなくScaliaについてだが、とても大陸法的思考(*2)をする、という印象を持っているので、こちらでも(ネガティブな意味で)同じような感想を持つ人がいるのだな、と思った。 3番目のプレゼンタが、学生には4つのできることがある、とアジっていて:
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challenge(s)2007-11-05 Mon 13:27
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