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2009.05.11 (Mon)

Same-Sex Marriage

"Same-Sex Marriage"の争点は同性愛者(gay and lesbian)に関連した論点として把握されることが通常だから(*1)、つい「同性愛婚」と訳してしまいたくなるが;


昔、民法家族法の授業で婚姻の要件を習った時(*2)、「婚姻の実体要件は、婚姻意思です」と聞いて、最初、ギョッとした。愛情とか、そういうもんはいらんの?(*3)
しかし冷静に考えてみれば、婚姻の効果という法律効果を帰属させるために要件が立てられているのだから、かかる効果の帰属を受ける意思さえあれば必要条件は満たされる。むしろ愛情だのなんだのの内心に立ち入らないというのは、法/国家の採る態度としては間違いではない。(*4)


で、つい「同性愛婚」と訳したくなるのだが、原語を見れば"same-sex marriage"で「愛」とは書いていない。
婚姻意思を「婚姻の法律効果を受ける意思」と定式化すれば、そこに「愛」は要らない。
というわけでオレ的には以後「同性婚」で統一する方向で。

試しにググってみた。
"同性婚"約156000件
"同性愛婚"約2450件
世間的にも「同性婚」がメジャーなようだし。


で、そういうふうに把握すると:
別に愛し合っていなくても、結婚はできる。現行日本法でも、男女間なら愛し合っていなくても結婚できる。
アメリカの新しいトレンドの下では、男性同士・女性同士でも。
同性愛者でなくても。彼ら・彼女らの性的志向がストレートでも。(まぁ周囲は同性愛者のカップルだと思うだろうが。)
別に性愛(行動)は婚姻の要件ではないし(*5)。異性婚者でもセックスレスカップルなど掃いて捨てるほどいる。(*6)

や、だからどうだというわけではないが。そういうことは可能だよねーというだけで。

ただひょっとすると、この所見が奇妙に見えるのは、アメリカ的な婚姻の観念について重大な見落としを(ネタのためにわざと?)しているからで;
社会関係としてのそれは脇に置いておいて、日本では、法的な意味での婚姻は、実体要件としての婚姻意思+一定の様式、に尽きる。法的な意味での婚姻の成立が、法的なワールドで完結している。(*7)

どうもアメリカ的にはこの辺りの観念が違うっぽい。
婚姻の成立について、政府が関与する主要な局面は、marriage licenseの発給という形を通してである。
これは、"license"である--結婚してもいいよ、という許可であって、これ自体が「結婚しましたよ」ということを意味するものではない。両当事者は、marriage licenseを持って、さらに改めて婚姻関係に入るという作業をする。
つまり、どうも、現行日本法の下では法的には(ほとんど)無視されている社会的儀式が、アメリカでは法律効果の具有のために意味を持つようである。アメリカ的な観念では、婚姻の成立が法的なワールドで完結せず、社会的なsomethingを政府がrecognizeするという構成を執っている、様子(*8)

そこらへんが気になって向こうの家族法の教科書をぱらぱらとめくってみたこともあるのだが、nativeの人にとっては当たり前のことなのか、あるいはlawyerの関心から外れるということなのかこの辺りをきちんと整理してある記述は見当たらなかった。
そうなると身を以て検証するのが一番確実なのだが、あいにく一人ではできず不可能(爆)
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テーマ : アメリカ合衆国 - ジャンル : 政治・経済

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2008.12.29 (Mon)

common law

夏に考え始めたままほっぽり出していたままの一般条項を少し進めようと思ったら、行路氏によって召喚されていたらしいのを見落としていた。
2ヶ月も後の遅レス申し訳ありませんが(*1)、年を跨ぐのはさらにみっともないので今の内に書いておきます。(*2)

フェアユースと「コモンロー」 - 下級役人のつぶやき - Yahoo!ブログ
「◆「コモンロー」とフェアユース
池田信夫氏のブログで、フェアユース規定について「英米法のコモンローの考え方」と述べられていることは、馴染みのない人には誤解を招くかもしれない。
「コモンロー」というと、広い意味で、判例を法源として認める英米などの法体系の総称として使われる場合や、いろいろな意味合いがあるが、狭い意味で使った場合には、ローマ法と異なる法理念によって解決が図られた判例の集積というような意味合いもある。そういうことで考えると、フェアユースは、実は、「コモンロー」ですらないらしい。
…フェアユース規定は、導入された1976年の米国の著作権法改正の議会資料を見ると、エクイティの原理の一つとして適用されてきたものらしい。エクイティ…〔とは〕要するに、コモンローとして判例で集積されてきた法体系でも解決ができなかった事柄について、そういう例外的事例について解決を図るための法理らしい。
……英米法の体系でも、漏れてしまっていた事柄を解決するための他の法理(しかも皮肉なことにローマ法!)の導入ということが、フェアユースの本質なのだとしたら、これを日本のような制定法の世界に持ってくることは……、いや、大変だ。エクイティが、王政のような集権権力を前提として、行政・立法・司法の三権の分立の狭間の法の欠如をカバーする理念ということなのなら、そもそも、制定法主義の日本とは、根本からぶつかることになるかもしれない。
少なくとも、中山先生の言うような米国法と同様のものを、ということにはならないだろう。やったとしても、米国法と同様の文言のものを、新たに制定法として設けるということに過ぎず(※)、効果は大きく違ってくるかもしれない。……
※ これは、全く意味合いが違う。制定法文化の中では、制定法で書いた要件は、その要件に従って解釈されるだけだが、米国法のフェアユースが、元々が制定法でも判例法でもカバーしきれない範囲を、別法理によって解決する仕組みなのだとしたら、同じ要件で日本法にフェアユースを導入したとしても、その妥当範囲がまるっきり異なることになる。 」
http://blogs.yahoo.co.jp/kouro16/17520284.html#18424141

コモン・ローの多義性

"common law"概念の多義性についてはWikipediaでも冒頭に一項割かれているが…ちょっとこの書き方だとぼやけちゃいますね。この点は英語版のほうがクリアに書いてある。(*3)
教科書的には(少なくとも)3つの"common law"概念を区別する必要がある。
  1. イングランドに端を発する・一定の共通する性質を伴った法体系、の全般、という意味での「英米法(*4)
    (反対概念は「大陸法Civil Law / Continental Law」)
  2. 裁判所が事件毎に下した判断から引き出される規範という意味での「判例法
    (反対概念は議会等による「制定法statutes / statutory law」
  3. イングランドの歴史上、2種類の裁判所の系列があり、その内の一方で運用されていた(判例)法を指す(最狭義の)コモン・ロー
    (反対概念は「エクイティ」)
(*5)

もっとも、概念としてはこのように一応区別できるのだが、英語としては同じ語であることも確かなので、実際のコンテクストでは微妙にイメージが重なってくる(重なってきてしまっている)場合もある。このような場合、訳出に苦慮することになる。
例えば、ある時点で採択された制定法により、それ以前の法状態とは異なる現行法の原則が宣明された場合、現行法たる制定法通用以前の法状態について「common lawでは~」と書かれていることがある(*6)。この場合、確かに「制定法がない時点での法状態」という意味では「判例法」なのであるが、そう訳出すると消えてしまうものがある。こうしたコンテクストで筆者が伝えたいのは「英米において中世以来、伝統的な」「制定法によって改革される以前の」(≒「古臭い」)というようなニュアンスである。この場合、前記A.とB.とが混交したような語法になっている(*7)

ついでに書いておくと;
経済学系統の人を中心に、「余計な政府規制をなくせ」という意味合いで、「政府規制をやめてコモン・ローに委ねよ」といったことが言われることがある(*8)
この場合、政府の規制は議会制定法の授権になるものだから(*9)、前記B.的な意味で(制定法ではなく)「裁判所による規範形成に委ねよ」とも了解できる。
しかし他方、この種の議論はしばしば政府の介入を嫌う経済的保守ないしリバタリアンからなされる。そして(現代において)コモン・ロー(B)がカバーする領域として代表的なものは財産権(物権)法・契約法・不法行為法といった民事基本法である。そうすると、「政府規制をやめて、民事基本法を基礎としてなされる私的秩序形成に委ねよ」という意味とも了解できる(*10)。そして日本のコンテクストに照らすと、日本において民事基本法がどのように供給されているかに鑑みれば、このような議論は強く意訳すると「民法に委ねよ」というものとも了解できる(*11)

エクイティの位置付け

さて、繰り返しになるが、コモン・ロー(C)とエクイティの区別についてである。
14世紀頃以来、イングランドでは2系統の裁判所が存在した。一方の系統の裁判所で運用されていた規範(のセット)が最狭義のコモン・ロー(C)であり、もう一方の系統の裁判所(大法官府)で運用されていた規範(のセット)がエクイティである。
そうした意味で、エクイティも判例法=コモン・ロー(B)である。

もっとも、現在においては裁判所も手続も原則として統合されている。また、実体的規範についてもエクイティ上のルールがカタマリとしてあるというよりコモン・ロー(C)由来のルールと混ぜこぜになっていることも多い(*12)
さらに、(「エクイティも判例法だ」といった舌の根も乾かぬ内で申し訳ないが、)議会が制定法を採択する際には従来の判例法=コモン・ロー(B)を念頭に置いてルールを策定する場合も多い。そしてそのように参照された規範がエクイティ上のものである場合もあり、すなわちエクイティ由来のルールが制定法として採択される場合もある(*13)
従って、現代においては、「かつて大法官府(という系統の裁判所)において運用されていた規範に淵源を有する、規範群」といった後ろ向きな形でしかエクイティを定義できないかも知れない。

また、エクイティがローマ法由来であるとの命題も支持し難い。
確かに、エクイティがローマ法とは無関係であるとも言い切るには勇気がいる。エクイティを管轄した大法官(Lord Chancellor)は、初期の頃、しばしば聖職者でもあったから、教会法経由でローマ法的要素が流入した可能性はある。しかし法制史家でない身では確実に言い切ることはできない。(*14)
だが、エクイティがローマ法由来とは言い難い、とはいえる。これは、大陸法--ローマ法を継受したはずの--が伝統的に知らない、英米法に特有の法制度が、しばしばエクイティ起源であることを指摘すれば足りる。例えば、信託、クラス・アクション、ディスカヴァリの如く。

フェアユースと裁判所の権能

さて、フェアユースの話に戻れば、行路氏の言及している「1976年の米国の著作権法改正の議会資料」というのはH.R. Rep. No. 94-1476(*15)のことだと思われる。
同レポートの65頁、フェアユースを規定する法案(後の1976年著作権法)107条の一般的背景を説明している箇所の第2段には"the doctrine is an equitable rule of reason"とのフレーズが見える。
この"equitable"を「エクイティ上の」と読むかどうかも論点である。英語で"equity""equitable"とあっても、コンテクストによって、前述の意味で一定のまとまりと特徴を持った法規範のセットという意味での「エクイティ」という意味なのか、あるいは(日常的な語法により近い)価値原理としての「衡平」という意味なのかは読み分ける必要がある(*16)。例えば同じ段落には"balancing the equities"とのフレーズがあるが、これは後者の意味であろう。

ただ、このコンテクストではどちらで読んだとしても問題はない。"an equitable rule of reason"というのは、従来の規範が内容はどのようなものであるのか--明確な線引きを伴ったルール化はできず、いくつかの考慮要素を念頭に事案に即して判断する--ということを述べるためにあるフレーズである。
三権との関係で、フェアユースが判例法--コモン・ロー(B)--であることは、同段も裁判所の運用について語り、より明確には前段で"case law"とあることから読み取れる。前述の通りエクイティも判例法たり得る。

以上のような意味で、フェアユースが「エクイティ」であるが故に「判例法とも制定法とも異なる」とするのは読み込み過ぎなように思われる。議会と司法部との対抗関係という観点からは、淵源において判例法=司法部起源であり、運用において司法部による規範形成の余地が大きい、という点を押さえておけば足りる。そしてこの内、前者についてはともかく後者--司法部主導の規範形成--については、日本法を含む大陸法も一般条項という形で回路を有している、という点は以前指摘した

だが、もう一捻りある。
エクイティも判例法だとしても、どのような判例法か?
エクイティの特徴として、裁量性や弾力性・柔軟性を指摘されることがある。救済を与えるかどうかは事案に即して裁判所が裁量的に判断し、救済の内容もall-or-nothingではなくやはり事案に即して謂わばテーラーメイドで決められる。
要するに、裁判所のフリーハンドの余地が大きい。
"common law power"(*17)に基づいて判例法を発展させる権能に加えて、英米の裁判所はかかるエクイティ上の裁量も有する。こうした幅広い権能を行使することで、英米法の法域において司法部は法の世界を駆動する中心としての役割を占めているわけである。
翻って、日本の裁判所にそのように振る舞う準備と覚悟はあるか。以前立てた問いに戻ってくることになる。

【関連】

一般条項の溜息 - アメリカ法観察ノート
一般条項の憂鬱 - アメリカ法観察ノート
コモンロー的なるもの? - アメリカ法観察ノート

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2008.07.26 (Sat)

カタカナ語尾ー

昔、IT絡みの法律論文の翻訳をしていて、技術関係の専門用語の訳に迷った。
そこで、情報科学科出身でそちらの方面で仕事をしている先輩に問い合わせてみた。
特に、単語末の「ー」があったりなかったりするのはどうなのだろう、ない場合のほうが多い気がするのだけれども、と。

回答:「分野によって違う。というか学会によって違う。もっと言えば学会の偉い人が誰かによって違う」

「…そうなのか(^^;;;」と思った。
マイクロソフト製品ならびにサービスにおける外来語カタカナ用語末尾の長音表記の変更について
「マイクロソフト株式会社…は、外来語カタカナ用語末尾の長音表記について、今後の製品やサービスの開発において国語審議会の報告を基に告示された1991年6月28日の内閣告示第二号をベースにしたルールへ原則準拠する方針を決定しました。…
…今後は、より自然な発音に近い表記を採用します。」
http://www.microsoft.com/japan/presspass/detail.aspx?newsid=3491
個人的には語末に「ー」があるほうが不自然な感触があるのだが。何だかダラリとした語感がまとわりつくような。
英語の語尾においても強勢が置かれることはまずない音節だから、英語の発音からもさらに乖離して和製英語感が増すように思う。

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2008.07.07 (Mon)

ID

ID = identification
〔名詞〕
身分証明書。

英語だと、ID = identification = (自己)同一性の表示、「お前が何者であるか」を問う、という、とても個人主義的な構成。

日本語は「『身分』証明書」、『身』の『分』の証明。社会全体のコンテクストが所与のものとしてあって、その何処に配置されるのか、という発想。

テーマ : 英語 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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2008.06.23 (Mon)

固有名詞の英語読み

先の「ワルソー=ワルシャワ」からの絡みで。

最近の中等教育では、(中国語圏を除く)海外の固有名詞は現地読みで統一されているのだろうか。
自分の頃はちょうど移行期で、「プトレマイオス(トレミー)」とか「カエサル(シーザー)」とかいう案配だった。でも「アリストテレス」は「(アルストートル)」ではなかったな。
高校の世界史の教科書が厄介で、西洋の中世以降の人名を英語読みで統一していた。その代わりに巻末に対照表が載っていて「チャールズ=シャルル=カール=カルロス」とか無駄に覚えたのだが、でも「エカテリーナ2世」を「キャサリン2世」はないだろう、と思った。

英語で遣り取りするとなると逆に現地読みで覚えている知識を英語読みにする必要があって面倒なのだが、前記の通り自分は端境期の教育を受けているから何とか対応できる。完全に現地読みオンリーになったら英単語として一から覚え直さなければならないのだろう。
特に困るのが中国語系統の語で、こちらの頭の中には漢字の日本語読みで入っているのだが、英語では基本的に中国語読み。当の中国人と英語で話すときもなかなか単語が出てこなくて困るのだが、諦めて筆談に切り替えることも。

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